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日本人として揺蕩いながら

「同じ音声」でない、ということに、老若男女不特定多数の人と日々話す仕事を通して、そして昨年からがっつり意識してじぶんの声を聞くことで気づけたのが大きい。じぶんが発する音の揺らぎが、実はかなりニュアンスを左右する、ということも。「伝え方」とかいう言い方だとまだ甘い。伝わらないのだから。

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そういえば、あの映画を観た時も色々感じたことがあって、


最後に:

ペラペラの堪能な英語を話す日本人の友人を昔は羨ましいと思っていた(「羨ましい」というより、そういう人たちと同じ場で比較されやすい場面で、英語を扱うことが恥ずかしいと感じていた?)のだけれど、よく考えてみれば日本語ですら「堪能」に話していない(ここ最近だいぶ、ついったらんど書き言葉大量生成のおかげで饒舌になってきたが、)あたしがましてや母国語じゃ無い英語をそんな簡単に堪能になれないと思えたのは大きい。し、ひとつひとつの言葉をあ〜だこーだ考えながら紡いでいることを、第二言語として英語を幼い頃から習得していった経験のある人にちゃんと理解してもらえたので、その理解者がひとり居ただけでもう十分だと思えたのがかなり大きい。あたしは別に、英語が堪能になりたいわけでは無い。表現したいだけなので。

じぶんが「!!!」と感じる適切なタイミングで、その時じぶんが持ちうる中での適切な言葉をちゃんと扱いたい。だから、言葉探しの旅に終わりが無い。


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