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映画『TAR/ター』から思う現代の芸術家の在り方

世界的な女性指揮者に起こる事件の顛末を描いた映画『TAR/ター』。

主演のケイト・ブランシェットの演技が評判となり、アカデミー賞でも主演女優賞含め6部門でノミネートされた話題作だ。

先に言うと、この作品が気になってる人は詳しいあらすじを知らないで見ることをお薦めしたい。
あらかじめ内容を知っておくのも悪くないが、自分はストーリーがどう展開していくのかも含めて楽しめた部分が大きかった。

本作は上映時間が2時間38分と長め。
仕事終わりに鑑賞したこともあって「内容次第では寝てしまうかも…」と危惧してたがそんなことは全くなかった。

パズルのピースが埋まっていくような快感とサスペンス的な演出に気付いたらどんどん引き込まれていた。

今の時代の芸術家の在り方を描いた映画であり今を象徴する映画だと思う。本作が気になってる人は是非チェックしてもらいたい。

これより以下は作品の内容に触れています。未見の方はご注意ください。

2022年製作/158分/G/アメリカ

【感想】

冒頭から意表をつかれた。
真っ暗な画面の中、何者かが民族歌謡のようなものを歌い出す。画面は暗いままクレジットが映し出される。

この場面がそれなりに長く頭の中が「?」になる。気まずい沈黙にも似た時間が過ぎる。

歌い終えたところで、控えめに「TAR」とタイトルが映し出される。このオープニングからして本作がただの映画じゃないことを予感させられた。

物語はリディア・ターの輝かしい日常の様子から始まる。
リディアは世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルハーモニー楽団の初の女性の首席指揮者だ。

彼女は地位も名声も権力も手にしている。序盤はその仕事っぷりから、高級そうなレストランでの同僚との食事など日常の様子が描かれる。
開始20分くらいは自分が何を観させられいるのか分からずに戸惑った。

マーク・ストロング演じる同僚との会食の場面は何を話してるのか正直分からない(お互い腹の探り合いをしてるのは分かるが)。

だが映画が進むにつれ、徐々に物語の輪郭が見えてくる。

一見、完璧に見えるリディアの生活だが時折影が差す瞬間がある。
何者からの本のプレゼントに怯えたり、真夜中の物音が気になって目を覚ましたり。

リディアを不安にさせるモノの正体は何なのか?

物語の全貌が明らかになっていくと共にリディアの周辺の不穏さも増していく。まるで湖一面に張った氷のひび割れが大きくなっていくように。そして崩壊が始まる。

本作は「著名人の炎上」が題材とした作品だ。
華々しく活躍する姿からスキャンダルによる失墜、その後まで描かれる。

リディアが転落していく様を観ながら、映画監督の園子温のことが頭をよぎった。

園子温といえば『愛のむきだし』でベルリン映画祭の国際批評家連盟映画賞を受賞するなど、日本のみならず海外でも高い評価を得ている監督だ。

だが、2022年に園子温による性加害報道がされたことで立場は一変。自身の作品への出演と引き換えにを性行為の強要を行っていたというのだ。

園子温だけじゃない。
海外の監督で言えば、韓国のキム・ギドクも自身の立場を利用し女優やスタッフにセクハラや性的暴行をしたことで韓国映画界を追われた。
ウディ・アレンは自身の養女への性的虐待を告発された過去によりハリウッドを干された。

リディアがしたことも彼らと同じようなことになるだろう。
彼女はクリスタという若き指揮者の将来の道を閉ざし自殺にまで追い込んだようなのだ(劇中内だと事実関係が明らかにされることはない)。

この作品が、ここ数年で巻き起こった「キャンセルカルチャー」の流れからインスパイアされたことは明らかだ。そうした意味で本作は「今」を象徴した映画ともいえる。

自分はこの映画は「今の時代の芸術家」としての在り方にも言及しているようにも思う。
SNSの拡散騒動のキッカケにもなるのが歴史的作曲家のバッハ。20人も子供を作った彼は家父長制そのものだから好きじゃないという学生とリディアは討論する。

バッハがそんなに沢山子供を作っていたというのは初めて知ったが、バッハに限らず昔の芸術家はその奔放な私生活のエピソードが話のネタになることは少なくない。

一般人から見ると眉をひそめるような私生活も芸術家という点で許されているような風潮は確かにあった。かつて芸術は聖域だったし「芸術家だから」というのは一種の免罪符だったのだと思う。

しかし時代は変わった。
誰かの犠牲の上に成り立つ創作物は許されない。映画はこれからの芸術家の在り方も示唆している。

本作の魅力の一つであるケイト・ブランシェット演技はまさしく圧巻。

映画はほぼ彼女の一人舞台。
指揮棒を振りながら恍惚に染まる顔から真夜中の怯えた表情、才能ある若者に振り回される様子など、リディアという人間のありとあらゆる感情を全身を使い表現する。

2時間30分という長い時間、スクリーンに目を向けさせ続けるだけでも素晴らしいのだがその演技は凄まじく打ちのめされた。

若い子に良いように振り回される姿は正直いたたまれないし、リディアの性格も伺える。

スキャンダルによってドイツから追いやられたリディア。

フィリンピンのマッサージ店での場面は皮肉が効いている。
リディアはその醜悪さに耐えきれず店を飛び出し吐いてしまうが、リディアがしてきたことを実は同じことだ。

そもそも彼女は自分が起こしたことにどこまで自覚的なのだろう?
リディアが自身の罪に本当の意味で向き合うのはまだまだ先なのかもしれない。

終盤のフィリピンでの会場での場面、トッド・フィールド監督はあの場面に救いを持たせたと語っている。確かにリディアは全てを失ったことで心機一転を図ったのかもしれない。

ただ、自分にはあの場面は「都落ち」に見えてしまったし、それまでの流れを観ていると、あの姿は哀れにも滑稽にも思えてしまった。

 自業自得とはいえ、リディアが音楽を愛していることは間違いない。こうした喜びをもう味わえないと思うと悲しくはなる。

リディアの人生はこの先どうなるのか。
それは炎上によって表舞台から姿を消した全ての著名人に通じる質問だ。

映画ではその先を描かれない。これはあくまでリディアの人生の一片を切り取った物語だ。

最後にリディアが辿り着く場所。
そこは希望の新天地か、それとも苦しみ続ける煉獄か。

【参考】

※監督のトッド・フィールドと映画・音楽ジャーナリストの宇野 維正さんによる対談記事。

映画の理解についてかなり参考になるので、読むことをお薦めしたい。自分とはけっこう解釈が異なる部分もあり参考になった。

※俳優でもありコメディアンでもあるケヴィン・ハートが語る「キャンセルカルチャー」についての記事。

「キャンセルカルチャー」に関連する一連の運動は、自分は今はまだ過渡期にあると思っている。
記事内では「セカンドチャンス」についても語っている。私個人の意見言えば、やり直すチャンスは誰にでも平等に与えられる権利だと思う。

※『TAR/ター』の劇場パンフレット

映画だけじゃ分からないことも多い本作の理解を助けてくれた。
特に町山さんのページは冒頭の音楽などについても解説してくれいるので役立つ!

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