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【アイデンティティを巡る心の旅】映画『ソウルに帰る』感想

生まれてすぐフランスに養子縁組に出されたフレディ。彼女は25歳の時に偶然訪れたソウルで生みの親を探そうとするが…

『ソウルに帰る』は1人の女性が異国で自身のアイデンティを模索する姿を描いた映画だ。監督はカンボジア系フランス人のダヴィ・シュー。監督の友人の体験談に着想を得たことをキッカケに製作された。

本作は2022年のカンヌ国際映画祭のある視点部門に出品された他、第23回東京フィルメックスのコンペティション部門では審査員特別賞を受賞するなど世界中から高い評価を得ている。

2022年製作/119分/G/フランス・ドイツ・ベルギー・カンボジア・カタール合作

まず、この映画を観て驚いたのは韓国がアメリカや欧州へ赤ちゃんを輸出していたという歴史。

1950年代から韓国で始まった国際養子縁組の流れは近年まで続き、その数はゆうに20万を超えるという。フレディもそうした国際養子縁組をされた子供たちの一人にあたる。

フレディは偶然訪れたソウルで生みの両親を探し始めることになるのだが、彼女の前には見えない壁がたちはだかる。

一つは文化の壁。
映画冒頭、居酒屋で韓国では手酌をさせるのは失礼にあたるという言葉に対し、フレディは敢えて手酌てじゃくでお酒を飲み干す。

この場面でフレディの自由奔放な性格と簡単に自分の生き方を曲げない姿勢が伺える。異国の地でも自分の生き方を貫くフレディ、当然生みの父親やその家族の言うことも受け入れることはできない。映画はフレディを通じてた文化の違いを浮かび上がらせる。

この強引に引き込む場面もフレディの人柄が表れている。

もう一つが言葉の壁。
フレディは韓国語が離せない。父親なりその家族なり誰かと話すときは互いに第三者の協力を得なければいけない。

面白かったのは互いの翻訳者がキツい言い方をしたときにマイルドな表現に言い換えていること。誰かを介した会話では真意は曲げられ思いの丈をぶつけることもできないのだ。

この映画、相手を見つめるカットがとても多いのが特徴的。
自分には言葉でコミュニケーションが取れない代わりにその人の心を知ろうとする気持ちの表れに見えた。

そして見つめている相手がこちらを見ることがほぼない。互いの思いは一方通行だし、この映画にはそういう人物ばかり登場する。

中盤で作品の雰囲気がガラッと変わることにも驚かされた。
本作の日本版のキャッチコピーに「予測不可能」とあるが、その言葉通り物語は予定調和に留まらない。

感動の対面を経たからといってそこで終わる訳じゃない。むしろそこからが始まりだ。映画は幾つもの時を経てフレディの人生と感情の変化を映し出す。

フレディにしてみれば生みの親に対しての感情は複雑だろうし、本人が思ってるよりも大きな感情を抱えているのだと思う。だからこそ偶然訪れたソウルで人生が変わるくらいの影響を受けたのだ。

父親の態度もフレディの立場になってみれば随分都合の良いものに思える。会いに行ったら、こちらの気持ちもお構いなしに嘆き悲しみ、距離を近づけてこようとする。

父に対し怒りもあるし憎しみも湧いているのだと思う。だが、それとは裏腹に切り離せない情も確かに存在している。

母親ヘの執着を見ても明らかだし、絶えず連絡を送ってくる父親のメールを見る瞬間にもフレディの心の機微が見て取れる。

フレディが素直になれない性格は、父親と母親との再会の場面を見ても分かる。過度な愛情でもてなそうとする父親には戸惑いと怒りを覚えるが、会ってくれない母親のことはいつまでも思い焦がれる。

近づけば離れるし離れていれば近づきたくなる。
フレディのこうした気持ちは誰にでも少なからず共感できるものじゃないだろうか。

この態度の違いは父親と母親の存在の違いも大きいだろう。

人と人との関係性は永遠ではない。
取り返しのつかないように思える関係も繋がってさえいれば変化していくかもしれない。
最初は第三者を介してしかコミュニケーションを取れなかった父と娘が片言でも直接会話を交わすようになったのは進歩なのではないか。

そしてピアノが何とも良い伏線になっている。
『ソウルに帰る』なかなか見ないタイプの作品で新鮮だった。主人公のフレディを演じたパク・ジミンはなんと本作が俳優デビューということで、なかなか難しい役を演じきったことも素晴らしい。

【参考】

国際養子に出された子供たちの現在と心境を書いた朝日新聞GLOBE+の記事。興味ある人は是非。

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