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【町の片隅のボクサーの物語】映画『ケイコ 目を澄ませて』感想

映像に魅了される99分だった。
ざらついた町並みに柔らかい光の線、16mmフィルムで撮られた映像は懐かしさを感じさせる。物語の舞台が戦前から続くボクシングジムという事もあって、映画全体にレトロな雰囲気が漂っている。

一見すると2022年に作られた作品とは思えない。だが、マスク姿で生活する人々や無観客で行われる試合など、本作は間違いなく今の世界を撮った映画だ。

映画『ケイコ 目を澄ませて』は耳が聞こえないボクサーの実話をもとに描かれた作品だ。監督は『きみの鳥はうたえる』の三宅唱監督。主演は『愛がなんだ』、『神は見返りを求める』の岸井ゆきのがつとめている。

2022年製作/99分/G/日本

『きみの鳥はうたえる』も映像の心地よさが印象に残る作品だったが、本作も映像の素晴らしさに目を惹きつけられる。

印象的なのが光と影の撮り方だ。光の差し込むジムや夜の河川敷の風景はフィルム撮影も合って美しい。

特に心掴まれたのは夜の河川敷でケイコが警察官に職質を受ける場面。歩き出すケイコに走る電車の影が重なる瞬間、その渋くて格好良いこと。思わず姿勢を正してしまう。

劇中で何度か映される夜の河川敷から見た町の景色も好きな映像の一つだ。地元の学校や仕事帰りに見た景色が脳裏に浮かんだ。

自分は東京生まれでも育ちでもないが、こうした景色は誰の心の中も原風景としてあるのではないだろうか。記憶の懐かしい部分をくすぐられたような気分にさせられた。

美しい映像とともに語られる物語は「ボクシング映画」としては少し意表を突かれるものだった。
『百円の恋』や『BLUE ブルー』などボクシングを題材にした映画というと、人物の内面を掘り下げたり、人物同士の関係性を強調したりとドラマ要素が強い作品が多い。

ここ最近撮られたボクシングを題材とした邦画。ボクシングと映画って相性良いよね。

そうした作品に比べると、本作の撮り方は俯瞰的でケイコに対しても一定の距離感を置いている。三宅監督が従来の「ボクシング映画」とは異なる作風を目指したことが伺える。

ドラマ性を極力排除した脚本から見えてくるのは、等身大のボクサーの姿。リング上で輝くスターではなく、私たちと同じように悩んだり喜んだりする1人の人間が描かれている。

人物が等身大に描かれている反面、下町の景色を捉えた映像が印象的だ。ジムから大通りに出る階段、河川敷と高架下、マンションの一室、そこに溶け込むケイコの姿。

本作は変わりゆく下町の姿をフィルムに残そうとする意図もあるのではないだろうか。自分には本作はケイコと共に町が主役の映画のようにも感じた。

会長とケイコの疑似親子的な関係も凄く良かった。

もう一つ意表を突かれたのが、劇中でのケイコの描かれ方だ。
映画『CODA 愛のうた』やドラマ『silent』、今年は聴覚障害を題材とした作品が大きな話題となっている。
そうした作品に倣ってではないが、鑑賞前は本作も聴覚障害を持つボクサーの苦しみや葛藤が主題になっているのだと思っていた。

実際は劇中に聴覚障害を殊更強調した描写はない。あくまでハンディキャップの一つとして描かれる。この描き方に心を打たれた。

何故なら聴覚に限らず、何らかの障害を持つ人が題材の作品は障害を強調した作品になりがちだからだ。勿論、そのような作品は必要だし、それが悪いという話ではない。

しかし、障害を持つ人が特別として描かれる世の中ではなく、市井の人々として扱われることこそが本来のあるべき姿だとも思う。
そういう点で本作のケイコは特別な扱いはされていない、そこが素晴らしい。

ケイコ以外の何者でもない岸井ゆきのの演技の素晴らしさは言わずもがな。氷を噛み砕く音やミット打ちの音、つい耳を澄ましてしまうような音の入れ方も心に残る。

センチュリーシネマの12月16日の20:30の回にて鑑賞。お客さんは20~30人程度。先着特典のフィルムはケイコの横顔で嬉しい。


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