【教訓の物語として観る】映画『イノセンツ』感想
先日、『イノセンツ』のDVDが届いた。
『イノセンツ』とは昨年公開された映画で、ノルウェーの団地を舞台に超能力に目覚めた子供たちによる戦いを描いたサイキックスリラーだ。
設定など1983年に刊行された大友克洋先生の『童夢』に影響と受けており(エスキル・フォクト監督もインタビューで影響を受けたと語っている)、「北欧版童夢」という風に例えられていることが多い。
自分が昨年観た中でも特に好きだった作品。
DVD購入を迷っていた時にTシャツ付きのセットを見つけて即購入してしまった。
今回、DVDでじっくり鑑賞して改めて思ったこと、気付いたことがあるのでその感想を挙げています。
DVDだけでなくU-NEXTなど各配信サービスでも観ることができるので気になった人には是非チェックして欲しいけど一つ重大なネタバレを。
この映画、猫が酷い目にあいます。
そういう描写が苦手な方は避けるか気を付けて下さい。
※これより以下は作品の具体的な内容に触れています。未見の方はご注意ください。
(劇場で鑑賞した際の感想も下に挙げておきます、こちらもどうぞ)
2回目観て思ったのは、設定が想像以上に練られているということ。
まず本作の舞台となっているのがノルウェー郊外の団地。世界には団地が舞台になっている映画が数多く存在するが本作もその一つになるだろう。
団地が舞台の映画の場合、登場人物たちは団地の中で様々なコミュニティに属している。
主人公たちは4人の子供はその団地の中でもコミュニティに馴染めなかった者たちである。
ベンはサッカーボールをやり取りする場面からも団地のグループに溶け込めていないことが分かる(年齢の違いもあるだろうけど、白人グループになっているところに人種の違いもあると思われる)。
アイシャはその容姿から恐らく仲のいい友達もいないだろう。
夏休みということでベンもアイシャも友達がヴァカンスに行ってるだけかもしれないが、劇中では「孤独な子供たち」である(夏休み後のベンの様子やアイシャが亡くなった後の様子を見る限り、そういう感じでもなさそうだが)。
そこにイーダ姉妹が引っ越してきたことで物語が始まる。
前回観た時は、子供たちの仁義なきサイキックバトルという点に注目していが、改めて観るとこれは、イーダが子供から大人に成長する通過儀礼の物語でもあると感じた。
イーダは映画冒頭から姉をつなったりミミズを潰したり猫を階段から落としたりと「子供特有の無自覚の残虐性」を発揮する。
イーダの行動は傍から見ると残虐だがそこに明確な悪意はない。
「ただ面白いから」
「感情に任せて」
そういう行動をしてしまう。子供というのは後先のことを考えて行動しないものだ。
だが、こうした自覚のない残虐性も子供は成長するにつれコントロールできるようになっていく。それは理性と社会性を学ぶから。
イーダの前に現れる2人の子供、ベンとアイシャ。
この2人は対照的でもあるしイーダを成長へ導く存在にも見える。
感情のままに行動してしまうベン。
イーダとベンの出会いは特に象徴的だ。
足でミミズを潰したイーダ、ふと目をあげると視線の先にベンが佇んでいる。
この場面は暗喩的だ。
残虐性が2人を結びつけてるようによ見える。2人の間の池(河?)は境界線 (ボーダーライン)のようでもある。
イーダはベンと友達になることで越えてはいけない一線ギリギリまで迫ることになる。
思わぬ力を手にしたことで暴走していくベンの姿は感情をコントロールできなかった者の行きつく先に見える。
哀れなのは、ベンが力に溺れながらも自身の行動を悔いて苦しんでいるところだ。
また映画ではベンが感情を抑えられない原因には彼の家庭環境などが影響してると暗に湿している。
ベンに対してアイシャは理性の象徴ともいえる存在だ。アイシャはアナを通じて優しさと理性を教えてくれる。
イーダもベンの行き過ぎた残虐性についていけなくなり距離を置くようになる。
この物語はイーダがベン(幼い残虐性)と出会い人の残酷さを自覚し、アイシャによって理性を学ぶ物語として観ることができる。
ここでイーダ達とベンが「男の子 VS 女の子」という図式になっているのも面白い。
確かに子供時代の残虐性を語るエピソードって男の方が多い(蟻の巣を潰したり、カエルの爆竹仕掛けたりとか)。
改めて観て物語性の素晴らしさにも気付かされたが演出も良い。
足元から映していくカメラワーク、徐々に狂気に変わっていく日常などの描写が見事。
これから観るたびに色んな発見がありそうでDVD購入して本当良かった。
ただ一つだけ不満も。
できれば製作エピソードやキャストのインタビューとかも見たかった!
こんなにオフショットがほのぼのしてるんだもん(笑)
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