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【無常な世界にも光は差す】映画『ビューティフル・デイ』感想

『ビューティフル・デイ』という映画が好きだ。劇場で観たのは数年前。その時も「これは好きだ!」と興奮したが、その後も何度か思い返すことがあり、気付いたら記憶に残る作品となっていた。「好きな映画」にも色々あるが、この作品は手元に置いておきたいと思いソフトも購入した。

内容を一言で説明すると、熊みたいな姿をしたホアキン・フェニックスが囚われた少女を助けるという話だ。万人受けするタイプの作品ではないし、どちらかというと癖の強い作品だが自分には見事にハマった。どんな所が好きなのかこれから語っていきたい。

2017年製作/90分/PG12/イギリス

物語は人捜しを生業なりわいとして生きる男ジョーがある仕事を引き受ける所から始まる。依頼主は州の上院議員。家出した娘のニーナが一向に帰ってこないという。ジョーはニーナを無事救出したかに思えたが、上院議員は飛び降り自殺をしてしまい、ジョーも何者かに襲撃されニーナは連れ去られてしまう…

普通、こういう裏社会の住人が活躍する物語といえば、派手だったりスタイリッシュなアクションが見せ場になりがちだが、本作にそういった場面はない(ハンマーでボコスカ頭を殴る場面はある)。本作は主人公の内面に焦点が当てられるという、こうしたジャンルにはあまりない風変わりな作品となっている。そしてその描き方も特徴的。

「裏社会で生きてきた者が少女を助ける」という題材で頭に浮かんだのはこの2作品。本作はこの2作品とはだいぶ異なっている。

主人公のジョーは様々なトラウマに苦しんでいる。暴力を振るってまで人捜しに奔走する一方、過去のフラッシュバックに苦しみ自殺願望を抱えている。劇中の様々な場面で自傷行為をしており不安定な人物だ。本作はそんなジョーの一人称で撮られている。

ジョーがどんなトラウマを抱えているのか?劇中ではジョーの過去や物語の背景については語られない。トラウマについては、時折挟まれるフラッシュバックの映像から推測するしかなく、物語についても今何が起きているのか分からない状態で見ることになる。内容について説明が欲しい人は、こうした演出にストレスを感じるかもしれない。ただ、これは脚本家の力量不足ではなく敢えてそうした結果だ。

本作はジョナサン・エイムズの小説が元となっている。小説ではジョーの過去のトラウマの原因や人捜しにこだわる理由など、作品の背景についても描かれる。その小説を脚色したのが監督もつとめたリン・ラムジー。『少年は残酷な弓を射る』(2012)などで知られるリン監督は、主演をつとめたホアキン・フェニックスと話し合いながら映画の脚本を仕上げていったという。

映画では最低限の情報以外が削られているが、それが映画の面白さを損なうことにはなっていない。余計な情報がそぎ落とされた分、映画は余白が印象的な作品となっている。物語の背景が分からないからこそ、観ている人は想像力を掻き立てられるし、ジョーの不安定さと映画の雰囲気がシンクロし、作品の魅力に繋がっている。なお、本作は第70回カンヌ国際映画祭で脚本賞も受賞している。

アクション映画みたいな内容なのに、物語の焦点は主人公の人物描写。おまけに背景や説明も語られない。ここまで読んで「この映画本当に面白いの?」と思う人もいるかもしれない。しかし、これが不思議と面白い。

まず、ジョーを演じたホアキン・フェニックスの演技が素晴らしい。主人公は過去のトラウマに苦しみつつ凶暴性も秘めているという難しい役柄のため、演じる役者次第で映画の出来がかなり変わっていただろう。そういう意味で本作のジョーは、ホアキンでしか成し得なかったであろう魅力がある。

『ジョーカー』(2019)の時もそうだが、ホアキンの挙動は一つ一つに目を惹きつけられる。これまでも様々な役柄を演じているホアキンだが、個人的には不安定な役柄ほどよくハマるという印象を抱いている。

本作のジョーにしても何を考えているか不気味さがある一方、精神的にとても脆い部分が垣間見えるなど人間味溢れる人物となっており素晴らしい。ホアキンはこの作品で第70回カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞している。

もう一つの魅力は本作の世界観。本作は何の前触れもなく人が殺される殺伐とした世界だ。人があっさり殺されるが、淡々としているため作品全体に無常感が漂っている。この世界観自体も筆者の好みだが、そんな乾ききった世界に感情的な場面が差し込まれる。このギャップがまた良い。劇中で筆者が好きな場面を二つ紹介したい。

一つはジョーの家に忍び込んだ組織の男との場面。最愛の母を殺した男なのにジョーからは怒りを感じられない。むしろ、2人の会話からは一種の諦めのような、こんな生き方に流れつくしかなかった者達の悲哀すら感じさせる。敵対している相手のハズなのに心のどこかで共感も覚えている、筆者にはそんな風に見える。彼の最期にジョーと手を握り合う場面は大好きな場面だ。

もう一つが、ジョーが殺された母を水葬する一連の場面。それまで凄惨な描写が続いていた世界から唐突に表れる緑豊かな自然の美しさにハッとさせられる。ジョーが水中に沈む場面はまるで別の映画を見ているかのよう神秘さすらある。音楽も相まって、劇中でも特に忘れがたい場面となっている。

さらに音楽が素晴らしい事も述べておきたい。音楽を担当したのは「レディオヘッド」のギタリストでも知られるジョニー・グリーンウッド。リン・ラムジー監督とは『少年は残酷な~』からのタッグとなる。本作ではエレクトロとストリングスを効かせた音楽で物語に緊張感と不穏さを与えている。音楽の主張は強いのだが、それが全く邪魔になっていない。役者・脚本・音楽、これらが三位一体となって本作を素晴らしい作品に仕上げているのだ。

映画はジョーとニーナの魂の共鳴の物語だ。劇中ではほとんど言葉も交わさない2人が、物語が進むにつれ互いの心が少しずつシンクロしていく(同じ手を血に染めた者同士、カウントダウンなど)。そして2人は行動を共にすることとなる。

物語ラストのダイナーでの場面。ニーナにこれからどうするのかを聞かれて答えられなかったジョーは反射的に自分の頭を撃ち抜く。それまで自殺を試みていたジョーが遂に自殺に成功したように見える場面。

あの場面はジョーの精神的な死を意味しているのかもしれない。最愛の母を亡くし生きる目的を失っていたジョーだが、ニーナの一言によって新しい人生を生きることを決めたのかもしれない。

では、2人の今後はどうなるのだろう?起こした事を考えると、これから2人は歩むのは修羅の道だろう(ホアキンもインタビューでそのようなことを語っている)それでも生きることを決めた2人の未来が明るいものであることを願わずにはいられない、そう思わせる良いラストだった。

You were never really here(あなたはもとから存在していなかった)は、本作の原題だが、個人的には邦題の『ビューティフル・デイ』の方が希望を感じられて好きだ。

リン・ラムジー監督の前作。色々やらかしているエズラ・ミラーの素晴らしい演技が堪能できる。リン監督、主演俳優に恵まれている印象。


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