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【暴走する野生】『MONOS 猿と呼ばれし者たち』感想【コロンビアの過去と未来】

どこか分からない山の奥、10代の少年少女達で構成されたコミュニティがあった。「モノス(猿)」と呼ばれる彼らは、年頃の子供らしい日々を過ごす傍ら、1人1人が銃を所持していたり、人質の女性を監視していた。ある日、組織から預かっていた乳牛を仲間の1人が誤って撃ち殺したことをキッカケにある事件が起きる。それを始めとして次第に彼等の中の規律も乱れていく…

10月30日から公開している『MONOS 猿と呼ばれし者たち』。2019年に製作されたコロンビアをはじめとする8ヵ国の合作による作品で、第35回サンダンス映画祭ワールド・シネマ・ドラマ部門の審査員特別賞をはじめ、世界各国の映画祭で数々の賞を受賞するなど高い評価を得ている作品だ。

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本作の印象を例えるなら『蠅の王』+『地獄の黙示録』。『蠅の王』といえば、1954年に出版されたウィリアム・ゴールディングによる小説だ。無人島に漂着した少年達が、徐々に狂気に侵されていくストーリーだが、本作の少年少女達が変わっていく姿もこの作品と重なる。『地獄の黙示録』(1979)は『ゴッド・ファーザー』のフランシス・フォード・コッポラ監督による伝説の戦争映画。この映画では、ジャングルの中で次第に理性を忘れていき、野生に目覚める人間の姿が描かれている。既に多くの人に指摘されているが、本作は、まさにこの2作品を掛け合わせたような内容となっている。

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見応えがあり、とても面白い作品だったのだが、同時に監督の意図や細かい箇所でよく分からないと感じる部分もあった。SNS上の感想を読むと、筆者と同じような感想がいくつかあり、そう思った人は少なくないのかもしれない。
だが、パンフレットや公式サイトの解説を読むと、この映画が製作された意図や、映画に込められたメッセージに気付かされる。まず、この映画の背景にはコロンビアの壮絶な歴史があることに言及したい。

コロンビアでは、50年以上にわたる内戦が起きている。社会格差が進んだ結果、コロンビア農民を中心とした複数のゲリラ組織が誕生し、殺人や暴力、麻薬栽培などが横行した。判明しているだけで、これまでに約22万人が死亡、45,000人が行方不明となり、約740万人が難民となっている。このコロンビア内戦において、中心となっていたのが国内最大の左翼武装組織「コロンビア革命軍」(FARC)だが、本作の少年兵達は、この団体がモチーフとなっている。

※「コロンビア革命軍」(FARC)が、1996~2016年までの20年間に、18歳未満の少年少女1万8677人を徴兵していたことが明らかになっている。また、この中には14歳以下の5691人も含まれていたとのこと

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筆者は当初、舞台となっている人里離れた山岳地帯(ロケ地となっているのはロンビアの山岳地帯で海抜4000メートル前後の高地とのこと)やジャングルは、寓話的な物語を描くための設定だと思っていた。

だが、こうした舞台設定は、実際にゲリラによって誘拐された人々の意見が参考になっているという。(BANGER様の記事参照)被害者達の多くは、自分たちが誘拐された場所について「いままで見たことないほど美しい場所だった。ジャングルの真ん中のエデンの園のようなところにいるのだけれど、誘拐されている」と語っている。

他にも劇中でランボーが遭遇する家族は違法の砂金取りがモチーフとなっていたりと、本作は一見、おとぎ話のようにも見えるが、その裏には現実的な事件や社会背景がしっかり反映されていることが分かるだろう。

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本作を手掛けたアレハンドロ・ランデスは、エクアドル人の父とコロンビア人の母をもつブラジル生まれの監督。この監督の作品を観たのは初めてだが、映像の美しさに驚かされた。本作は社会的な事件や背景が下地にあるため、撮り方によっては社会派映画にもなりそうだが、幻想的なビジュアルや演出によるところが大きい。ちなみに監督は映画監督だけでなく建築家としても活動しているという点も面白い。

劇中の音楽も観た人の印象に強く残るだろう。音楽を担当したのはイギリス出身の音楽家ミカ・レヴィ。これまでに『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2014)や『ジャッキー ファーストレディ 最後の使命』(2017)などのスコアを担当しており、いずれも高い評価を得ている。本作でも不協和音のようなBGMが印象的で、時に幻想的でありながらどこか不安にさせるような気持ちにさせられる。このBGMは公式HPでも聞けるし、Spotifyにもあるので、是非チェックしてみて欲しい。

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アレハンドロ・ランデス監督は、「この映画を観た人には平和についての議論をしてほしい」と語っている。筆者が本作を観た時に強く印象に残ったのは、閉じたコミュニティのみで育つことの恐ろしさ。話が進むにつれ、少年少女達のコミュニティはどんどん統制がきかなくなり、次第に暴走をしていく。

これだけひどい環境で、何故ランボーは逃げ出さないのか?その理由はいくつか挙げられるだろう。1つは彼等に頼れる身内のような存在がいないであろうということ。そして、彼等が外の世界を知らないということも大きな理由だ。「井の中の蛙大海を知らず」ということわざがあるが、外の世界を知らなければ、想像することさえできないだろう。ランボーの姿を観ながら、学校と家庭が世界の全てだった自分の子供時代を思い出した。

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タイトルの「MONOS」という言葉には、スペイン語で「猿たち」、ギリシャ語では「孤独」という意味がある。まるで、彼等が社会から隔絶された孤独なコミュニティという風に受けとれる。劇中にそのことを表すかのような場面がある。

冒頭、目隠しをしたランボ達が、鈴の付いたボールでサッカーらしきことをしている。これは「ブラインドサッカー」というスポーツだが、この姿こそ本作における彼等自身だ。外に何があるのか、一体誰が敵で誰が味方なのか?何も分からず、ただ盲目的に任務をこなす。そこには目的も思想もない。どこに向かっているのかも知らない。だからこそ、中盤以降の暴走もある意味納得の行動なのだ。

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2016年に政府とFARCの和平合意により、長きにわたる内戦が終結したコロンビアだが順風満帆という訳ではない。和平合意の際に行われた国民投票がでは反対票が50.2%と賛成票を上回っている。

反対票が賛成票を上回った背景には、FARCによって、多くの人が命を失い住居を追われる原因を作ったのにも関わらず、処罰が軽すぎることに対する不満感情がある。FARCとの和平合意は内戦を終わらせたが、その結果、国民を二極化させてしまったのだ。(2019年にはFARCの元幹部が和平合意を破棄し、武装闘争への復帰を宣言している)この事を知ってから、映画を振り返ると、本作はコロンビアが未来へ抱える問題を反映させていることに気づかされる。

そのことを強く感じさせるのが映画のラスト、ヘリコプターの上でランボーの処遇について交わされる会話。和平合意をしたFARCをコロンビア社会が受け入れれるのかどうかという社会問題を表しているのではないだろうか。そして、答えは映画の中では出さない。これは現実へ地続きする問題なのだ。映画のラストのその先はこれからのコロンビア社会の姿で分かるのだろう。

【映画を深く理解するうえで役に立った記事等】

BANGER様による記事。監督インタビュー等、映画の補足に役立つ情報がいっぱい!

『アフター6ジャンクション』の書き起こし。

本作の配給会社であるザジフィルムズ様によるトークイベントの書き起こし。






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