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【今にも壊れそうな空の下で】映画『アリスとテレスのまぼろし工場』感想

9月15日の夜、映画館へ車を走らせていた。
今年の夏は長い。夜だというのに風は生暖かくジッとしているだけでも汗が出てくる。この日はちょうど名古屋で観測史上最も遅い猛暑日を記録した日でもあった。

観に行く映画は『アリスとテレスのまぼろし工場』

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』、『心が叫びたがってるんだ。』などの脚本や『さよならの朝に約束の花をかざろう』の監督で知られる岡田麿里監督の最新作だ。

岡田麿里監督の作品を観るのはこれが初めて。
これまでの作品の存在こそ知ってたものの、何となく自分には合わないと思っていたのだ。

そんな今作を観ようと思ったキッカケはSNSでの反応。
事前に試写を観た人たちの熱量が凄い。その熱量に引かれて観に行ったという次第だ。

舞台は日本の片田舎、巨大な製鉄所で成り立っている小さな町。
ある日、鉄所の爆発事故によって町からの出口を閉ざされ時まで止まってしまう。中学3年生の菊入正宗は級友たちと退屈な日々を過ごしていたが、ある日、同級生の佐上睦実の誘いにより立ち入り禁止の製鉄所へ足を踏み入れる。そこで彼が目にしたものはこの世界を変えるほどのものだった…

結論から言うと、この日の天候のように微熱を帯びたような作品だった。
その熱にあてられた反面、気になる部分もあった。

2023年製作/111分/G/日本

※これより以下は映画の具体的な内容に触れています。未鑑賞の方はご注意ください

事前情報を何も知らない状態で観たということもあって、中盤の展開(別次元の人間)には驚かされたし「これは一体どう終わるんだ?」と物語にも引き込まれた。

閉じ込められた世界で行き場のない若者の鬱屈やモヤモヤが蓄積されていく。この鬱憤や鬱屈が滞っている世界観は大好き

劇中では度々ドロっとした思春期特有の青臭さが炸裂する。
このエモーショナルな「青さ」というのが岡田麿里監督の特徴なのだろう。
観てて気恥ずかしくなるような場面もあるのだが、この演出も嫌いじゃない。むしろ好きである。

トップ画にも使ってるこの場面は青さ最高潮。そして若さの美しさと混沌を表現した場面。

スマホや携帯のない時代設定(平成初期?)といい、中島みゆきを主題歌に起用している点といい、作品全体が昭和的な雰囲気も纏っているところも好きだった(タイトルの字体といい敢えてそうしてると思う)。舞台劇のような感触も感じたな。

作品の持つ熱量が凄いこともあって観終わった直後はその熱に圧倒された。しかし、見終わってよくよく考えてみると違和感が湧いてきた。

一番気になったのは、あれだけ閉鎖的な環境で何年も閉じ込められてるのに皆大人し過ぎないかということ。

これ、自分の解釈が間違ってるかもしれないのでそうなら指摘して欲しいが、この世界って街自体の時間が止まってるとはいえ、そこに住む人々の記憶や経験は蓄積されてるんだよね?(だから、中学生の彼らでも車の運転が許されてるんだよね)

つまり「見た目は子供、中身は大人」のコナンが何年も続いてると思うんだけど、それなのにあんな瑞々しい感性のままでいられるものなのかな。
下世話な話、閉鎖空間で退屈な日々を過ごしてるなら、SEXとか普通にしてる方が当たり前だと思う(町のお達しがあったとはいえ)。

町のお達しもあって皆「役割」を演じてるだけなんじゃなかろうか。

実は自分たちが別世界の住人でいつ消えるか分からないとなった時も、犯罪行為や暴れる人が全くいないのも違和感(感情が高ぶると消えるからかもしれないが)。20代の若者層が全くいない点も不思議だった。

こうした疑問が一つ浮かんでくると他にも色々疑問が湧いてくる。
監督がこういうシチュエーションの物語を描きたかったというのは良く分かるのだけど、そのための舞台設定や人物描写が都合が良すぎる印象を抱いた。

否定的な文面になったけど、前述した通り、最初から最後まで引き込まれたし好きな作品である。
後、この手の少年少女が主人公の作品って「主人公側 vs それを止める側」という二極構造になりがちだけど、終盤、各々が自分の信じることのために奔走するという描写も新鮮で好き。

ということで『アリスとテレスのまぼろし工場』、面白い作品だった。岡田麿里監督の過去作も観てみようかな。


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