【君を救うたった一つの冴えたやり方】映画『ドニー・ダーコ』を改めて振り返る。
6月1日に『ドニー・ダーコ 4K UHD&Blu-ray』が発売された。『ドニー・ダーコ』は今より20年も前に上映された作品だ。そして筆者が映画好きになるキッカケとなった特別な作品でもある。
筆者が『ドニー・ダーコ』を観たのは高校生の頃。インパクトのあるポスターとあらすじに興味を惹かれたことがキッカケだった。"ミニシアター"と呼ばれる映画館を訪れたのもその時が初めて。今は無き愛知の「ヘラルドシネプラザ」で鑑賞したことを覚えている。
初めてのミニシアター体験は衝撃的だった。「ミニシアター映画ってこんなに面白いのか!?」と興奮し、そこからミニシアター通いが始まった。何本か観て「ミニシアター映画が無条件で面白い訳ではない、ドニー・ダーコが自分にとって特別だったんだ」という当たり前のことにも気づかされた訳だが。
それでもミニシアター通いをやめることはなかった。ミニシアターという場所が持つアングラ感が楽しかったし、映画の奥深さを知ったからだ。大げさではなく『ドニー・ダーコ』は確実に自分の人生に影響を与えた作品だ。
そんな思い出の『ドニー・ダーコ』だが、なかなかに癖が強い作品である。本作のジャンルは「青春SF」に括られるのだろう。今の漫画や小説で多用される「タイムトラベル」や「マルチバース(多元宇宙)」的な要素も含んでおり、そういう点では時代を先駆けてる作品ともいえる。
『ドニー・ダーコ』は話の難解さから観る人を選ぶ作品だ。その反面「カルト映画」として今なお観る人を魅了し続けてもいる。一度鑑賞しただけでは物語の全貌を掴むことは不可能に近く、筆者のように難解さを面白いと思う人とつまらない・合わないと思う人に分かれることだろう。
筆者もこれまで何人かに本作を薦めたりDVDも貸したりしたが、返ってきた反応は「よく分からなかった」、「怖かった」等、あまり良いものではなかった。
実際、本国での公開時は難解なプロットに加え、陰鬱とした雰囲気や序盤の飛行機の場面が911テロを想起させることもあってか、興行成績は芳しくなかった。
だが、その後、DVDがリリースされると本国でも人気を博すことになる。カルト映画の特集を組まれると必ずと言って良いほど名が挙がるなど、熱狂的なファンを生み出した。日本でも今年の2月には、目黒シネマで「伝説的カルト映画二本立て」と題して『ドニー・ダーコ』のリバイバル上映がされている。
その魅力に一つは映画の複雑な構成にある。「リバース(反転)・ムービー」と称された難解なプロットは何度も観たくなるような魅力を持ち、今でいう「考察系」の人達を強烈に引き付けた。筆者も初めて観た時は、「あれはどういうことだったのだろう」ともう一度劇場に足を運んだ。海外では大規模な考察サイトができて評判になるなど、解説・解釈は様々な議論を生んだ。
もう一つの魅力はこの作品が孤独な青年の切ない愛の物語であるという点だ。主役のドニーは周囲からは浮いた高校生であり、世の中の欺瞞にたいして静かな憤りを感じている。このドニーの世を斜に構えている姿勢が当時の自分と重なり大いに感情移入していた。
監督のリチャード・ケリーはパンフレット内で、本作を「ホールデン・コールフィールド(『ライ麦畑でつかまえて』の主人公)がフィリップ・K・ディックのスピリットを持って1988年に復活した話」と語っている。
これはまさに的を得た表現で、ジム・カニングハムの講演会で暴こうとするドニーの姿は社会の欺瞞に憤りを覚えていたホールデンの姿に重なる。ホールデンもドニーも同じ16歳の高校生という点からも、ドニーの人物像はホールデンを参考にしていることが伺えるだろう。
ただ、ホールデンと違うのは、ドニーは自分も知らないうちに大きな世界の流れに巻き込まれてしまっていたということだ。映画の終盤、ドニーは自身の運命を悟ることになる、それは究極の選択を迫られているともいえる。そしてドニーは決断する、愛する人のために。この決断が、映画を観終わった後にとても深い余韻を残す。もし本作がただの難解なSF作品で終っていたら、ここまで強烈に惹かれなかっただろう。
難解なSF的要素と孤独な主人公の内省的な描写、この二つの要素が交じり合ってからこそ『ドニー・ダーコ』は素晴らしい作品となっている。本作は物語の難解さに興奮させられ、ドニーの姿と決断に胸を打たれるのだ。
無論、脚本だけでなく、本格的にブレイクする前のジェイク・ギレンホールの名演技や映画を彩る80年代楽曲のセンスの良さ、スティーヴン・ポスターによる美しい映像などが本作を素晴らしい作品に仕立てていることも本作の魅力だ。
本作を振り返る中で、『ドニー・ダーコ』と日本の不思議な共通に気が付いた。『ドニー・ダーコ』と当時の日本のアニメや漫画との不思議な類似点である。日本では90年代後半から2000年代前半にかけてアニメや漫画で「セカイ系」と呼ばれるジャンルがブームとなっていた。この「セカイ系」の持つ要素と『ドニー・ダーコ』という作品にいくつも重なる点がある。
改めて『ドニー・ダーコ』を見返すと、孤独で内省的な主人公、謎の美少女に世界の終わり、作品全体を占めるSF的要素と、まさに日本の「セカイ系」の定義に含まれる要素と合致していたことが分かる。
「セカイ系」の誕生には、日本全体の閉塞感や全体主義から個人主義といった価値観の変容という背景があるが、こうした点が『ドニー・ダーコ』と奇しくも一致しているのは興味深い点だ(「セカイ系」は、海外由来ではなく日本発祥のジャンルであり、調べた限りでは、海外でセカイ系に属するタイプの作品はあってもジャンル化するほど認識はされていない)
当時は気付かなかったが、筆者が『ドニー・ダーコ』にあれだけハマったのも「セカイ系」を想起させる作品だったからかもしれない…と考えると面白い。
ということで、『ドニー・ダーコ』について振り返ってみたが、今回『ドニー・ダーコ』を初めて知った方は是非本作をチェックして見て欲しい。
人を選ぶ作品だが、その分刺さる人には強く刺さる作品だ。筆者みたいに映画に対する見方や価値観を変えてくれる大事な作品となるかもしれない。
最後に目黒シネマで上映された『ドニー・ダーコ』の思い出と写真を。
35mmフィルムで観るドニー・ダーコは最高だった…
【参考にした記事】
今回のタイトルに引用したSFの名作古典。こちらの作品も切なくて好きな作品。
CINEMORE様による『ドニー・ダーコ』の記事。痒い所に手が届くというか知りたかったことなどかなり参考になりました。
【『ドニー・ダーコ』に似ていると感じた作品】
今年公開された『スターフィッシュ』もいわゆるセカイ系に近い作品だと思う。
読んでいただきありがとうございます。 参考になりましたら、「良いね」して頂けると励みになります。