BUMP OF CHICKEN「ロストマン」考察〜「君」は誰か〜

事の発端はとある日に出た『「ロストマン」箱根駅伝のCM曲に決定』というお知らせ。「なぜ今ロストマン!?」という疑問が某界隈で盛り上がっていく最中、京都の知人がこんなことをぽろっと呟いていました。

こういう面白そうな「?」には積極的に絡んでいきたい性分で、かつ積極的に絡んでくれそうな京都の賢人仙さんが反応されていて、最終的にお互いの考察を出し合うという話に相成りました。で、せめて箱根駅伝前に更新せねばと、大晦日の夜からチクチク書いてました。

相変わらず様式は仙仁透さんのピュアでポップな現代文講義を参考にしています。
ぜひそちらも、というよりそちらだけでもご覧ください。
https://note.mu/toru1002/m/mb015cd873be0

不器用な考察の果てに果たして正しさはあるのか。ただ祈りながらタイピング。

=====

<状況はどうだい 僕は僕に尋ねる>

のちの考察の便宜上、「僕Aは僕Bに尋ねる」としておきます。字面だけを見るとただの自問自答。その後の<旅の始まりを今も思い出せるかい>も僕Aから僕Bへの問いかけだと読み取れる事から、2人(どちらも僕なので、この表現が正しいのかどうかはさておき)は《旅の始まり》からどこかしらの地点まで帯同してきて、そこまでの<選んできた道のりの正しさを>祈っています。

例によって一文ずつなぞるとキリがないので端折りますね。主にサビに注目して主人公(僕)の心境をなぞっていきます。またそれを通して「君」が誰なのかについて考えていきます。

<破り損なった手作りの地図 辿った途中の現在地 動かないコンパス片手に乗せて霞んだ目凝らしている>

1番サビ。《動かないコンパス》という表現だけで立ち止まっている様子を描いているのが堪らない。手作りの地図上のどこかしらの地点で歩みを止めて、凝らした目の先で何かを探そうとしている。探しているのちの歌詞からおそらく<君>であることが読み取れます。君は一体どこに行ってしまったのか。

ここで《手作りの地図》を何と捉えるか次第で考察も変わって来るのでしょうが、今回は「夢(目標)を叶えるためのリスト」だと解釈しました。年末年始のこの時期になると「抱負」なんかを紙に書いたりする方もいるかもしれませんが、その目標を書いた紙が手作りの地図なのでは……というとんでもない極論を引っさげて、以降続けていきます。穿った見方になると思うので、「ほぅ、こんな奇特な考えの持ち主もいるんだなぁ」程度で読んでいただければ幸いです。

目標を立てるときに「理想の自分像」をイメージすることがありますが、それが冒頭の僕Bであり、「君」なのではないかと考えます。対して僕Aを「現実の自分」と置いて、冒頭の自問自答に戻ります。始まりからある地点まではイメージ通りに進めているか都度状況確認をしながら目標に向かっていたけど、現実(僕A)でうまくいかないことがある度に、理想(僕B)との間に距離ができていく。呼びかける対象が「僕」から「君」に変わるのも、理想を自分ごととして捉えきれなくなったことを表しているのでないでしょうか。そんな現実の僕Aですが、2番サビで明らかに物語は急転します。

<強く手を振って君の背中にサヨナラを叫んだよ そして現在地 夢の設計図開くときはどんな顔>

君との離別を決意し、新しい「夢の設計図」を開こうとしている。《背中》に向けて叫んでいることから、君は僕の前を歩いているということが読み取れる。立ち止まっている自分をよそに、どんどん先に進んでしまった理想の自分に別れを告げ、そして新しい夢への「道筋」を開いています。<不器用>だと自分自身で認めながら、それでもその<望んだ世界>を自分の足で進んでいくことを選びました。

<強く手を振ってあの日の背中にサヨナラを告げる現在地 動き出すコンパス>

《動き出すコンパス》という表現だけで、歩き始めた「瞬間」を描いているのがこれまた堪らない。《あの日》とは通常過去のある時点を指すときに用いられるので、ここで君(の背中)は過去に存在していることが読み取れます。

<破り損なった手作りの地図 印をつける現在地>

この「手作りの地図」は単なる歌詞の繰り返しではなく、1番サビで立ち止まっていた時に持っていたものと同じ地図であると考えます。その時に立ち尽くしていた現在地が新たな<出発点>であり、同じ地図上には正しいルートを進んで夢に向かっている君がいます。別の設計図を用いて夢への<間違った>道を、行き着いた<旅路の果て>で君との<再会を祈りながら>現実の僕は歩いていきます。旅路の果てとはつまり夢が叶う瞬間であり当然夢を叶えている理想の自分がいる、そういったことが「再会」という言葉に込められているのではないでしょうか。

大きな夢を持ちながらも現実はそう日々うまくいくわけじゃない。その中でも自らで進む方向を決めて、過去の理想に別れを告げて自分の足で一歩ずつ歩いていく。夢を見失って迷いながらも自分を信じて動く、そんな意識の変化が描かれているのが「ロストマン」である、というのが今回の不器用な考察の果てにたどり着いた一つの見解です。

=====

箱根駅伝始まっちゃいましたね。CM見ましたか?
僕は見ました。作った人の愛情が感じられて素晴らしかったです……!

今回は《理想》と《現実》に着眼しましたが、そうするとどうしても合わせて考えなければならないBUMP OF CHICKENの曲が出てきます。上記考察も若干それを意識しながら書きましたが、気づいた方はいるでしょうか。

《"憧れを追いかけていた過去の自分"から見える景色に、目的を達成した今の自分がいる》を端的に表現している楽曲があって……その曲に関する考察は需要と余力があればまたいつか書きます。

それでは箱根駅伝(すでに往路5区)を引き続き観戦します〜!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?