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生涯現役と公私

日本人四人に一人は65歳以上だそうだ!

父親は牛飼いだった。
15歳で満鉄に入り、17歳で海軍飛行兵に志願し、終戦後田舎にいやいや帰郷したようだ。
昭和30年代に、乳価が高価な時代。
酪農家は一日も早く子牛を離したいと考えてた時代があった。
そのことに目をつけ、(主に牡)肥育を始めた。
当時は、子牛一頭に酒二升とか醤油4本とかでもらい受けてきてたようだ。
ようだと云うのは父親に同行していたから知っている。
ホルスタインのオスは氣性が激しい。
数か月も育つと、それこそ、夜中に柵を蹴って庭先を駆け回っていた。
小学生だった自身も駆り出され、牛を追った。
一時期は、牛に囲まれて暮らしていた。
母屋は牛小屋に囲まれていた。
最多期には、100頭を越していたと思う。
おかげで普通の暮らしが出来ていた。
小学校四年生の折に、初めて仕事を任された。
敷き藁を切り、牛小屋に投げ込むのが仕事。
ほぼ毎日、学校が終わると、押し切りを使いリヤカー二台分の藁を切った。
数年後中学生になった頃には、学内で腕相撲は負け知らずになっていた。

60歳で数頭残っていた牛飼いを辞めた。
結構な財産を遺していたようだ。
全てを金塊にしてね。
その金はおバカな位牌持ちの後始末で過半が消えたが。

生涯現役
そんな父親の背中を観ていたからか?
若い時から生涯現役と決めていた。
年金暮らしを否定するつもりはさらさらないが、近所でブラブラしているジジババを観る都度、働いて、働いて冥土へ旅立つと決めていた。
60歳過ぎてから、父親は、牛小屋の解体を続けていた。
自分で牛小屋を建て、自分が解体した。
これが遺されていて、業者さんに依頼すると数百万円では済まなかったかと思う。
幼児期からそんな父親の背中をみて、育ったから生涯現役は必然ですね。

公私
幼児期はジイサン子だった。
三文安らしいが、この爺さんは穏やかな人物で、当時盛んにあった土地の境界争いを鎮める名人だった。
幼児期にその場面になんども出くわした。
夜間に土地の境界に植えていたウツギを移動させるような姑息な家庭があった。そこへの仲裁をしていた。
4~5歳の頃だったと思うが、続けて争いの仲裁に同行した。

納めての帰路、お不動様へ連れていかれるのが恒例だったが・・・。
そこで、公私を教えられた。
当時は理解できるはずが無いが、、、、。
なるほど、爺さんの言っていた公私はこのことか~と感じることが多々。
ゆえに、公私を胸に抱いて73年生きてきた。
公を捨てれば、カネになる機会は多々あったが、捨てることは無いままに古希を過ぎて三年。
帰郷して七年。
まだまだ現役を続けようと念じている!
農家に生まれ農村で生涯を閉じるまで! 






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