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平均年齢65歳超の稲作農家集団!

35年ぶりに故郷に戻った。

両親が相次いで他界し、始末をするだけの目的で帰郷した。

住もうとは考えて居なかった。

別に地域に拠点を構えてもおり、そちらで生涯を過ごそうと決めてもいた。

が、先祖様たちの意向なんであろうね?

故郷に残らざるを得なくなった。農業の世界以外は知らない身。

故郷の町の面積は50%を農地が占めている。まぁ農業地帯の筈が・・・。

見回すと、越境農家が過半の農地を耕作していた。当地の農家は、固定試算税を支払うだけになってしまっている。

辛うじて、肉豚農家と稲作農家、ぷらす野菜農家と果樹農家(梨中心)が生き残ってる町。

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幸いなことに、地域には『肥土(あくと)』と呼ばれる水田が広がる。鬼怒川が数万年~数十万年も要して作り上げてくれた水田を指します。

砂利層⇒砂層⇒ミネラル豊富な有機物層が重ねっている優良農地を指します。鬼怒川の源流は日光連山。そこから大量の砂利と有機物とを平野に運び、作ってくれたのが肥土。過半は、古鬼怒川の流れ跡ですね。

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そのことに、一部の皆さんは氣づいて、個々の農家に購入に出向いてますが、こんな水田の米でも販売価格は一律。

数名に声がけして、もう一段だけ高みを目指しませんか?手伝いますよ!

畜産農家さんからは大量の有機物が排出されてるが、過半は市内で活用されてないことも知った。

有機農業なる米国東部由来の四文字が30年ほど前に農業の世界に襲来した。英文では、organic farmingと呼ばれたものを直訳して有機農業としたようだ。研究会も多数設立されたようだが、農水省がガイドラインを策定し、認証制度までつくった。これが厳しい制度であり、急速に萎えた。

そりゃそうだ。有機農業=無農薬、無化学肥料。普通の農業をしていた農家にはハードルが高すぎて、机上の空論に過ぎなかった。日本は、農業生産活動の時期と高温多湿の時期が重なる。病気と虫が蔓延する季節が農産物生産時期となる。あり得ないとは思わないが、一氣に数段上を目指さないといけない。かくして、有機農業の芽は摘まれた。

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日本の農業は古くから循環をキーワードにしてきた。落葉樹林の落とす落ち葉を冬に集め、苗床や堆肥の原材料にしてきた。その堆肥を果樹園や野菜畑や水田にすき込んできて現在に至っている。

長くなりそうだし、半端ですが、疲れたから今日はこれまで。

続きはいずれまた。



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