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ミクロ国家ハットリバー公国を懐かしむ

成功したミクロ国家として注目を集めていたハットリバー公国

 ひとつの、そして50年の歴史を持つミクロ国家がなくなろうとしている。ミクロ国家とは、独立宣言をしているが、他国には承認されていない自称国家のこと。世界に数十あると言われており、今夏その幕を閉じそうなのが、最も成功していると評判だったハットリバー公国だ。

 西オーストラリア州州都パースから海岸沿いを北に約500キロの、一見ただの牧草地。そこが今、国の歴史を閉じようとしているハットリバー公国だ。ハットリバー沿いに広がる約75平方キロがその領土となっている。牧草地入口に国境を示す立て看板があり、そこから未舗装道路を進んだ先に、ナインNainと名付けられた国の中心となる町、つまり国民居住地(建物がいくつかあるだけ)がある。

 1970年、小麦栽培と牧畜業を営んでいたレオナード氏が、政府による小麦の買い付け割り当ての大幅な削減と、当時西オーストラリア州政府内で検討されていた〈地方の土地を国に返還させることができるようにする〉法案に対し、「自らの経済または土地が奪われる危機がある場合、分離独立できる」という国際法のルールに則って独立を宣言。西オーストラリア州政府とオーストラリア連邦政府が、独立問題をたらい回しにしたことで、事実上、独立を認めはしないが黙認する状況ができてしまったのだ。

気さくなおじいちゃん初代レオナード公

 もう何年も前になるが、僕もこの国を訪れている。オーストラリアの盛夏にあたる2月のよく晴れた、暑い日のことだった。

 僕がナインに到着したときは、政府事務所をはじめとするほとんどの建物の鍵が閉まっていた。どうしたものか、とウロウロしていたら、年老いた老人が現れ、政府事務所内へ招き入れてくれた。彼こそが初代レオナード公。ニコニコとよく笑う気さくなおじいちゃんで、率先して政府事務所の隣に建つ教会や、町(?)の入口にある高さ1.5メートルほどの自身の顔像がある場所を案内してくれ、記念写真にも快く応じてくれた。観光は小麦、牧畜と並ぶこの国の重要産業のひとつ。観光客への対応はすこぶるいい。開国後10年ほどは年間7万人を超える観光客も訪れていたらしい。ただ僕が訪れた2000年代は、たまに興味を持って訪れる人や、パースから西オーストラリア北部へのアドベンチャーツアーの行程に入っているので立ち寄る、そんな観光客ぐらいだったのかもしれない。
 一通り案内を終えたあとも、話し相手になってくれた。そして、どこの国も承認していないはずだが、レオナード公は自国パスポートでインドやギリシアを訪問したことを自慢げに教えてくれるのだった。

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自治権がある程度認められた「国」だった

 政府事務所の壁に貼られたオーストラリア政府機関内密文書の写しには「ハットリバー公国は法的に有効で、レオナード公はオーストラリアの税制から除外される」と記されていた。この文書の効力は大きかった。

 例えば郵便物。内陸にあるハットリバー公国では、郵便物を他の場所に届けるためには西オーストラリア州内を経由しなくてはいけない。当初、西オーストラリア州政府はハットリバーの郵便切手が貼られた郵便物取り扱いを拒否。しかし、政府内密文書で「ハットリバー公国は法的に有効」としていたこと、さらにパース裁判所も「通貨や切手はハットリバー内での使用は有効」との見解を示した。こうした経緯により、西オーストラリア州ではハットリバーの郵便物の取り扱いを行わなくてはいけなくなってしまったのだ。

 ただ税制に関しては、簡単に問題は解決しなかった。
 1977年以後、断続的にオーストラリア国税庁との間で争議が続けられ、西オーストラリア州最高裁判所は2017年にオーストラリア国税庁の勝訴を決定する。レオナード公に対し、日本円で2億円を超える税金支払が命じられたのだ。

 裁判官は判決を言い渡す際に
 "Anyone can declare themselves a sovereign in their own home but they cannot ignore the laws of Australia or not pay tax"
(私約)
「誰でも自分の家で主権者であることを宣言することはできます。しかしながら、オーストラリアの法律を無視したり、税金を払わないでいることはできません。」

 このように述べたのだ。

ハットリバー公国の終焉

 ハットリバーの公位は2017年に、レオナード公が高齢であることから四男であったグラエム公に禅譲された。グラエム公は国の存続を模索。しかし今年2月13日に、初代レオナード公が93歳で亡くなったことと、その後のコロナ禍がハットリバー公国の存続に暗い影を落としたのだ。
 
 喪に服し国境を閉ざしていた期間もあった。そして、コロナ禍で観光客受け入れができず収入も激減した。グラエム公は、西オーストラリア州最高裁の決定を最終的に認め――オーストラリア国営放送(ABC)の報道によれば――さる8月3日、自国の土地の売却による税の精算、そして国の解散を決意したと報じられた。

 自分の家族を守るため、不当なことに反骨心をもって対応し、その姿勢に共感した観光客が世界中から訪れていた。国がなくなってしまうのは残念だが、訪れた人にハットリバー公国の記憶は残る。僕が訪れたときは、猛暑の日本と同じぐらい暑かった。今宵、ハットリバー公国を訪れた際にもらった出入国スタンプを見ながら、あの暑かった一日を懐かしもうと思う。

(秋田魁新報土曜コラム「遠い風 近い風」-2020年8月29日-掲載原稿を大幅に加筆修正)

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