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多動児は、越境者になる。堀江さんの「多動力」を読んで。

この冬、3歳になる娘。良し悪しはさておき、僕に似ている。顔も性格もふるまいも。

最近、とある習い事の様子をビデオで見せてもらったのだが、全くじっとしてない。自分の参加ターン以外は退屈なのか。席を飛び出して走り回ったり、隙あらば寝ている。(でも一度何かやりだすと、異常なパフォーマンスを発揮する…)

これは、僕と同じだ。。一緒に仕事をしたことある人なら分かるかもしれないが、僕は打ち合わせ中に寝る癖がある。基本的に全力なのだが、集中が一瞬でも切れてしまうのと無意識のうちに寝てしまうのだ。しゃべりながら寝ていることもあるらしい。席に1時間座っているのは、最近できるようになったけれど。

小学校の時は、席替えの対象外だった。動き回るから、先生机の横の特別席に座らされた。3年生の時には自由になったが、一番後ろの席になったが最後、授業中にいろんな遊びを発明してしまい、みんなが参加し、先生が鬱になって交代してしまった(今となっては反省しているが)。45分間だけでも、みんなと同じペースで同じことをし続けるのが、退屈で仕方なかったのだ。

案の定、多動症だ、ADHDだと言われ、何度も特別クラスや学校に連れて行かれそうになったが、おかんが養護学校の先生だったこともあり、理解を得て、難を逃れた。結局、そのスタイルは今もあまり変わっていない。好奇心が次から次へと移り、新しいテーマを見つけて、のめり込んでしまう。職種も肩書きもあってないようなものだ。

ちゃんとみんなと同じリズムで物事に取り組まなければならない、というプレッシャーがいつも自分の中にあった。何かをやり切る力は大切だが、娘に明らかに沸き立つ好奇心があるのに、みんなと合わせて別のことをさせるような指導をしなきゃならないのだろうか、と少し悩んでいた。

「多動力」という価値革命を、当たり前にしていく。

しかし先日、ホリエモンこと堀江貴文さんの「多動力」を読んで、救われた感じがした。要約すれば、こんな感じだ。インターネットによって全産業のタテの壁が溶けた2010年代以降は、分野などを超えて活躍する越境者が新たな価値を創り出すようになる。そのためには、今を最大化するように、縦横無尽に動き回る生き方こそが大事であり、そのためのスキルこそ多動力だ、という。(ピンとこない人はぜひ本書を読んでほしい)

何が素晴らしいかといえば、終身雇用的な思考が染み込んでいる日本社会的にマイナスとされてきた多動こそが、新たな時代のスキルであると宣言していることだ。こういう発想の転換を、僕は「価値革命」と呼んでいる。大富豪で言えば、今まで不要だと扱われていた弱小3のようなカードが、革命によって、最も強いカードになる、ひっくり返し。良質なカオスだ。

多動こそが、社会の変化を乗りこなしていく武器になる。僕自身そう思っている。NEWPEACEのような、ビジョンだけがあって、仕事の内容もやり方も変えていくスタイルの会社をやっているのも同じ理由だ。

まだまだこの国の教育は20世紀型だから、娘も苦労するかもしれないが、同じ感覚をもった親としては、それを受け入れ、武器になるまで支えてあげたいと思う。少なくとも、この多動力を殺さずにはいたい。

むしろ、今の時代状況に合わせた環境をつくるほうが早いのではないか、そう考えている。変革のエネルギーとは不思議なもんで、次から次へと縁を呼び込み、いま実は、学校設立の構想が進んでいる。大の大人たちが本気で。この多動力を、新しい世代へ機会として還元したいと思う。