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育休ライフ 46週目

いつも閲覧ありがとうございます。
半径5mの人を幸せにしたい、シムラトモタカと申します。
8年間中学校教員ののち小学校へ異動して、今は育休取得中です。
ここでは、育休取得中に感じたことや娘の成長、仕事を離れることで見えてきたことなどを中心に書いていきます。


娘のわがまま


やっと娘がわがままを言うようになってきた。以前までの「イヤイヤ」ではなく、明確に「これがしたい」「違う」「嫌だ」とはっきりと自分の意思を伝えられるようになっている。表現できるようになっている。私はこれを大きな成長ととらえている。
今までの娘は、これまでnoteに書いている通り、自分の意思を伝えるのが苦手で、友達と遊ぶときにも相手に合わせてしまうことが多かった。その結果、自分が遊びたいおもちゃを友達が取っても、我慢してやり過ごす…といった場面が本当に多かった。一見すると「優しい子」だが、自分の気持ちを表現できないことは本人の中でフラストレーションであり、長期的に見たら心配だったので、最近の娘が自我をもって自己表現できていることに安心している。(そのかわり、友達とのけんかは増えている。笑)

先日も、よく遊びに行く子育て支援センターで、よく一緒になる友達と遊んでいたところ、おもちゃの取り合いになった。親同士も顔なじみだったので、ある程度子供たちに任せつつ、必要に応じて親が関わる、と言った感じで見守っていた。娘が遊んでいるおもちゃをその友達が遊びたいと言ってきたが、娘はこれを拒否。笑 ずっと首を振りながら抵抗する。相手の友達も普段はとても温厚な子。その子も負けじと取ろうとする。そういったやり取りを最近まで見なかったので、だんだん自分を表現できているんだなあと感心した。…もちろん、おもちゃの取り合いをしても、1分もたたずに仲良く遊んだり、また取り合いをしたり、と子供たちの距離感って面白いなあと思った。きっと大人が考えているほど、子ども同士の争いは根深いものではないのだと思う。きっと気持ちと気持ちのぶつかり合い、もしかしたら子供たちにとって一種のコミュニケーションツールなのかもしれないとも思った。

ただ、娘の自我がはっきりしてくるほど、今後は気持ちに折り合いをつけることやうまい距離感で人と接することを覚えていかねばならない。ひとつ階段を上って親としてはうれしい気持ちだが、次の会談は又大きいなあと感じ、そしてこの会談はいつまで続くか、どこまで続くか気が遠くなるような、それまでずっと娘と関われることへのうれしさなのか、いろいろな感情が混じっていく気がした。


マルシェまであと1週間


いよいよハンドトリートメントサロンのマルシェ出店まで1週間。大体の準備はできてきたが、ここにきて練習が足りない気がしている。ハンドトリートメントについてはどうにかなるが、妻に対して行っているものは、あくまで家庭用であり、一般向け、さらには運営費用として対価をいただくのならそこに生まれる責任は大きい。一瞬一瞬の気持ちの入れ方、私がこんなサロンなら通いたいと思う姿、そのモニタリングも含めてきてくださる方の満足度はもちろん、私が出店することで得られる学びについても追求していきたい。

リラクゼーション系のお店で行われる施術には様々な効果があるが、根本にある効果は「血行促進」「老廃物を流す」ことだと私は考えている。そのため、ハンドトリートメントや足つぼ、ヘッドスパなどは全て手段であり、目的ではない。施術の目的は「血行やリンパといった身体の巡りをよくすることで、体を整えること」だと考えている。そして、それとは別にコミュニケーションをとることで生まれる「心への影響」がある。いわゆる副交感神経優位の状態を作り出すことだ。これは体の巡りが良くなることに加え、心が癒されることでリラックス状態にすることだと考えている。
施術以外の会話や、匂いや触感など五感を使って癒しを提供することができると思っている。逆に視覚は様々な刺激を受けるためあえて目隠しをすることで刺激を抑えられ、副交感神経優位に持っていくことができるとも考える。よくあるのがヘッドスパの施術をするときに目隠しをして、心地よい音楽が流れ、アロマを使ったいい匂いのタオルをかけてくれる…といったものだ。よく”寝てしまうヘッドスパ”のような広告があるが、おそらくそれはヘッドスパの技術はもちろんだが、それ以外の環境を整えることでもリラックス効果があり、寝てしまうという結果につながっていると思う。だから、今回のハンドトリートメントも、その方法に倣い、施術だけでなく、環境全体で癒しを提供し、心身の解放を目指す。

私が求めているものは明確にあるが、これをどれくらいの方が受け入れてくれるか、それを調査するのも今回の出店理由の一つである。思いある限り、挑戦したい。勝負は目の前。最善の準備をしたい。


自治会の住民説明会が終わる


先日、私が住んでいる地域の自治会設立に向けた住民説明会が終わった。よいこともあれば、課題が残るところもあった。そして、立候補で集まった熱い思いの理事たちと、一般的な住民との熱意の差も大きく感じることとなった。

よかったこととしては、まず住民の関心の高さがあげられる。自治会といえば、何となく入り、何となく続いているもののイメージだったし、地域に住めば自治会に入るものだと思っていた。しかし、私の住んでいるところの住民は意識が高く、予想以上に説明会に参加してくださった。オンラインでも配信をしたものを合わせると200名近くが参加となった。これは全世帯の7割以上である。すごい地域の自治会に携わるのだと思った。
次に質疑応答がめちゃくちゃ多かった。それぞれが思いを持って参加してくれていることが分かった。内容はさておき、関心が高いことに違いない。ただ、質問が多いと、すべての意見を汲むこともまた困難になる。そこのかじ取りは今後の課題にもなる。

課題としては、やはり役員が思い描く自治会と住民の一部が考える自治会像が異なったこと。これはある意味仕方のないことだが、現代人の考えることは私の思い描くものとは違うのだと痛感した。例えば、地域とのつながりや共生社会を目指したい私の意見の反対側にある、地域とは関わりたくない層。お金は未来ある子供のために使うことで、未来を作ると考える私の意見の反対側にある、今の自分だけにお金を使いたい層。私はどの考えも理解できるが、未来を考えると、多少の時間とお金を使ってでも地域の子供を育てる、子供のために愛を注ぐ自治会があってもいいと思っている。理想論かもしれないし、だからこそ対極の意見をいただくこととなった。ここは同擦り合わせていくか、自治会として正念場な気がする。

私が住むのはいわゆる新興住宅地。妻にも言われたが、自治会や当番など煩わしいものを嫌って新興住宅地に越してきた人も一定数いるだろうということ。それもわかる。ただ、その人たちが子供の頃、きっと地域の大人に見守られ、関わってもらって、時間を割いてもらって大きくなった人が多くいるだろう。自分がしてもらったことを今の子供に還元する、その循環は止めたくないなと思う。そして、その循環を地域が応援する形ができたらいいと思う。

今だけ金だけ自分だけの大人にはなりたくない。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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