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「運命の人」との出会い方。あくまでワタシは事業承継チャレンジ中です。

あくまで事業承継チャレンジ中です

事業承継チャレンジ中のワタシ。ここまでいろんな記事を書いてきたが、いきなり「運命の人」とか言ってスピリチュアルな匂いを醸し出してしまっている。別にスピリチュアルな話をしようというわけではない。
(スピリチュアルな話は好きです)


突然ですが「運命の人」はいます。
#いきなり怪しい

だけど、たぶん死ぬまで正解はわからない。と思う。きっと死ぬ間際に「あ、この人で良かったんだな」「この人が運命の人だったんだな」と思うのかも知れない。
#死んだことないからわからないけど

あとは生きている間も「この人がワタシの運命の人」と決めて、自分をだまして?自分に酔って?生きていくのかなぁと(悪いことではない)。ワタシはそう思って生きている。


ここでこの記事での「運命の人」を定義しておく。その前に一旦、Wikipedia様に聞いてみる。

いつか結ばれる男と女は、足首を赤い糸(赤い縄)で結ばれているとされる。この赤い糸をつかさどるのは月下老人(中国語版)(「月老(ユエラオ)」とも)という老人で、結婚や縁結びなどの神だという。(中略)。日本では、「足首の赤い縄」から、「手の小指の赤い糸」へと変わっている。
wikipedia『運命の赤い糸』より

Wikipedia様でもよくわかんない。ま、「運命の人」です。
#テキトー

これは結婚のパートナーにも言えるし、仕事のパートナーにも言えるし、遊び仲間でも言えることだと思う。それが運命の人。



「運命の人」に出会う方法

じゃ、どうやって「運命の人」に出会うのか。


結論:探し続ける


ふざけんな!って感じかもだけど、きっと間違っていない。
だって、運命の人は向こうもこっちを探してるんだ。こっちが探すのを辞めたら、そりゃ一生出会えない。運命の人との「思い」が一方通行なわけがない。向こうもこっちを思っている。に違いない。

結婚適齢期(仮に30歳前後)にはこんな話を友人とよくしていた。確かにそうだなと思う。結婚に関しては。

向こう(こっちの運命の人)だって自分を探しているのに、自分が探すのを辞めたら、誰がその向こう(こっちの運命の人)の人の運命の人になるのか。


そして、承継へ

きっと、この事業承継チャレンジ中でも大切な、運命の仲間がどこかにいるはずなんだ。

「この人じゃない」
「あ。違う」
「ここにはいない」

と決めつけるのではなく

「この人かも」
「ん?そうか?そうなのか?」
「ここにいるかも」

と探し続けていきたいと思う。運命の人を見つけたいなら、動き続けることが大切。じっと待ってても向こうが探し当ててくれるかも知れないが、こっちも探した方が断然効率は良い。



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