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体のことと、心のことと、お金のことと。

High-Cardが発足して6年目。
来年で7年になります。

今まで現環境になるにあたってたくさんの人が関わったり、去ったり、また関わったり。

色々ありました。
以前から自分自身の限界点については考えるタイミングが多々あり都度自身のコンディションと対話し、最善をとってきたと思ってます。
それでも至らない点があったり、ご迷惑ご心配をおかけすることが多くあったことは否めません。

それについては今更感もありながらお詫びの気持ちがあります。遅いかもしれません。

表題の件ですが一個ずつ、自分の現在地について整理したいと思って記載をしていきます。

①体のこと。
ご存知の通り二足の草鞋、フルタイムハードワーカーな永島ですが夜起きてる事がだんだんできなくなってきました。
それにより物理的に時間が足りなくなってきたのと、短時間の睡眠では翌日に大きくパフォーマンスを落とす事が多くなりました。
昔は3時間で48時間動けた。うん。
これはシンプルに初老と呼ばれる40代に向けて身体が緩やかに降り始めたんだなと感じます。
鍛え足りない、とかではない。
あとマジで殺陣とか台詞を覚えるのに時間がかかるようになってしまった。
時間がかかる子のために自分の稽古時間を削ったりすることは過去もあったのですが、その余波で自分が覚えられないという本末転倒事件が起こりました。
これ、結構ショックでしたね。うん。
責任者の立場から出来ていないことを指摘しなければいけない事がある中、自分もできていない事がある。
そういう指摘も少なからず受けました。

真摯に受け止めると共に、それだと完璧な人しか指摘ができなくなるのになぁというじじいみたいなボヤキが脳裏をよぎりました。

真摯に受け止めきれてないネ。これ。

纏めると
①台詞や殺陣の覚えが遅くなり迷惑をかけてる。
②睡眠時間・休養時間が多く必要となり稼働時間がシンプルに短くなってる。

という状態。
②については左足を怪我した時から、顕著になった気がします。回復のために必要なんだと思ってた。
たぶん、そうじゃなかった。

②こころのこと。
自身が信条としていることに、責任者とは孤高であり、孤独であってはならない。というものがあります。
これが多分、遵守できなくなってきていると感じます。

昔はついて来れる人だけついてこれればいい。
ここは、そういう場所だ

と思って突き進んできました。
それぞれの人生が分岐点を迎えて去っていく仲間もいました。

その都度、怒ったり、悲しんだりしながら進んできたように思います。

以前所属していた団体で人が去る時に傷ついているのは団体だと主宰の方が言っていたのを思い出しました。

今思えばHigh-Cardはぶたちゃんがいるので誰かが去ったり、トラブルが起きた時に自分たちはあのぶたちゃんを悲しませていたのかもしれません。

人は最後の最後では自分のための決断をする生き物だし、永島もそうあるべきだと思います。

それとは別に選んで欲しかった、と心の中で思う事がありました。それを伝えることはいけないことかもしれない。人生の大事な選択をした人の足をとめ、後ろ髪を引く行為になると思ってました。

押し殺したり、たとえば現場で飛び交う何気ないけど地味にメンタルにくる要望だったり、責任者としての立場だったり、一人の冴えないおっさんとしての人生だったり、そういうのを受け止めるのはたった一つの器だったりします。
受け止め続けるときっと、少し人と距離をとってしまうんだと思います。それはよくないのに。
その結果、孤独が見えてくるんだと思います。
孤独を感じることは怖く、それを認めることはひどく苦しいことだと思います。
誤解がないように言っておくと多くの寄り添ってくれる人がいる中でもそれを感じるのは、責任者という立場には分かち合えない部分が多く存在するからだと思います。

そこに蓄積されていく何かはそろそろボーダーラインなのかもしれないなーと思う事があります。

先述の身体を動かすのが心なのだとしたらもしかしたら体よりも先に心の方が疲弊しているのかもしれません。

回復が追いついていないのかな、とも思います。
些細なことに過敏になったり、語気が荒くなったり、意固地になったり。
それによって嫌な思いをさせてしまったり迷惑をかけてしまった人もいたと思います。ごめんなさい。

なりたかった大人とは少し乖離してる部分を感じます。
そこにも少し、がっかりしたりしてます。

③お金のこと
人生の、生活の中心をHigh-Cardに置いて今日まで走ってきたと思います。
俺自身、ぶっちゃけそこそこ稼げる営業さんなのでHigh-Cardをやりながら生活を維持することはできます。
そこはマジで自信を持ってるし、凄いところだと思うのだ。褒められたい。

ただ、必要だから、やりたいからと身銭を切り続けることに少し違和感を感じ始めたのは事実です。

自分の生活の水準で維持する団体。
それってみんなが俺と同じ方向を見てやれてるのかな、
どこかセーフティがあるから実感を伴わないのかなとか感じることはたくさんありました。

お金は確かに稼げるけど、無限にはない。
そして俺がやりたいみんなにお金が純粋に配当できる団体にするには永島が出すお金に対して生まれるお金がまだまだ足りない。

お金を払うために集客が必要になる。
だけどそれをやらない。だからお客さんが増えない。
そういう子達をたくさん見てきました。

その分自分が売ればいいと思っても、やっぱり限界があって先述の体の事。

動かない体や、覚えられない台詞や殺陣。
お金をいただくに値する自分なのかなど考えること、やるべきこと、やらなきゃいけないこと全てをやるのに昔よりも明らかに時間がかかっていること。

何よりもお金に代えられないはずの時間が足りなくなっていることに気づいたりもします。

集客も俳優の業務の一つであると永島は考えますし、今それをしなくてもお客様が集まる俳優はそこに至るまでに確実にそこを通過していると思います。

技術を磨くことだけが下積みではきっとありません。
俳優の価値は技術だけではなく、どれだけお金が生まれるかでもあると思ってます。

技術があるのはきっと当たり前なんです。
だから大変だし心と体と向き合ってお金とも向き合わないといけない。

自分がいくらの表現者なのか。常に自分に問い続けてきました。

どこまでいっても俳優としてはチケット価格×枚数なんだと思います。
作演出とかは少し難しいけど、自身はプロデューサーも兼ねるので単純に経費を抜いた利益分なんだと思います。
俳優としての価格はちょっとしたもんだと思います。
裏方としては少しお金にワイルドかもしれません。

生まれてるお金は大きいと思います。
ただ、出ていくお金の方がまだまだ多いです。

おわりに
昔考えていた俳優としての終活について、少しずつ意識し始めています。
目標は果たせてないけれど自分の器の範囲ではベスト以上はつくしてきたつもりです。
今はまだ動けてますが少しずつ動けなくなり、台詞だって少しずつ入りにくくなってきました。

今すぐではないにしろ、足音くらいは聞こえてきたなと思うのです。


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