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結婚指輪

遂にお店で「結婚指輪見せてください」と言う時がきた。 今までアクセサリーとして指輪をプレゼントしてもらったことはあるけど証としての指輪をもらう日が来るなんて☺️ シンプル過ぎは嫌だけどダイヤモンドはなくていい! プラチナやホワイトゴールドよりはゴールドがいい! 希望としてはそんなもん。 こだわりのブランドも特になかったから、とりあえず王道を回ってみる💍 希望は多くなかったのに見始めると一生残る物だし、、 あっちよりこっちの着け心地の方が🤔、、でも毎日着けるとなると傷付

    • 「家族になりましょうね」

      優しく耳に残る声。 私の目をしっかりと見て優しく微笑んで彼のお母さんは 「娘さんをいただく、とか、もらってもらう、とかじゃなくて『家族』になりましょうね」 そう言ってくれた。 12月初旬、両家顔合わせ。 とうとうこの日がやってきた。 トントン拍子に進み、彼のご両親も本当に優しくて私は恵まれていると感じた。 挨拶に色んな事情と彼のおふざけがあるにしてもデニムで結婚の挨拶に伺っても 「あー、いいじゃない、気楽が一番よ😊」 と言って食事に連れ出してくれた。 彼のお母さん

      • 婚姻届までカウント3日

        今日も彼との結婚までのカウントダウンと共にここまで感じた嬉しかったことを残しておこう。 彼は会社も認めるブラック企業で働いていて、平日休みだけど、そもそも休み自体も少なくて休み返上になってたりもする。 そんな中で私の誕生日当日がまさかの彼の休みと重なってSwaveというサウナが楽しめるホテルを取ってくれた。 絶景とサウナの気持ち良さと美味しいご飯。 心も体も満たされた。 夜散歩に出ると 「今までの俺だったら、仕事終わらせてからこんなふうに旅行なんてなかった。」 と彼が口

        • 結婚まで、後9日。

          2回目のデートは葉山ビーチ。初デートから2週間後のこと。 順調にLINEでの連絡は取り続けていたけど、特に相手への気持ちはお互いに匂わせることはなかったし、日々ただ他愛もない出来事や仕事の話をしていた。 今思えば、その会話でよく続いたのかもしれない。 彼は夏になると休みの殆どをビーチで過ごすらしく、初デートの翌週はビーチに行ってきた写真が送られてきた。 私も行きたい!とのことでその翌週にビーチデートになった。 シートを敷いてビーチで音楽を聴いたり写真を撮ったり、ただ横になっ

        結婚指輪

          結婚までの10日間

          私は10日後に入籍する。 今まで慣れ親しんだこの名字じゃなくなるのは何とも不思議な気持ち。 記念にnoteに記しておこう、この今しか味わえず日々の中で色褪せたり濁ってしまったりしそうな程淡い想いを。 私に名字をくれる彼との出逢いはマッチングアプリ。 私からいいねを押した。 横顔が印象的で目に止まった。 メッセージは、まあ日常会話くらいだったと思うけど私からいいねを送ったのにも関わらず「お誘いしていいですか?」と男気を見せてくれたのがとても好印象だった。 初めて会う日

          結婚までの10日間

          やりたいことは、やってから見つかる

          私の両親は共働き。 サラリーマンだった父は私が幼少の頃、海外に単身赴任していた。誕生日には電話やカードを送ってくれたのを覚えている。 何度か家族で父に会いにいった事があるらしいが記憶には殆ど残っていない。それもその筈、写真の中の私はほぼ父に抱かれて寝てばかりいた。 家では祖母の介護をしながら母が1人で私と姉を育ててくれていた。 そのため、保育園のお迎えはいつも最後で、鍵っ子デビューは小学校入学と共にやって来た。 両親の仕事の休みが合わずに父の実家に帰省する時、母だけが来られ

          やりたいことは、やってから見つかる

          これまで、これから。 これからも。

          私達の「これから」は いつ「これまで」に変わるのか。 人生とは まさか の連続である。 2020 青天の霹靂。 多くの人達が予想もしていなかった事態に直面し、心を守ることで精一杯なのでは無いだろうか。 私は6年前に仲間と共同で会社を設立した。 立ち上げから共同経営者達と常にどうすればもっとお客様に喜んでもらえるか、従業員が働きやすい職場になるか、会社を大きくできるか、「これから」にあらゆる夢や想いを詰め込んで話し合ってきた。 それも時の経過の中でそれぞれの変化と共に少し

          これまで、これから。 これからも。

          越える。

          私は幼い頃から吃音という発話障害と共に生きてきた。 今でこそそんなに周りに気にさせることもない程までに症状も落ち着いたが、全く出ないわけでもない。 幼少期はどもるだけではなく体を引っ叩いたり抓ったりして痛みを与えないと言葉を発することすらできなかった。 大多数が当たり前にできることができないと、周りは「異常・異質」として捉える。 「障害は個性」と周りが認識してくれて揶揄われることがなければ良かったが、子供達は素直で無自覚に残酷ゆえに思い出すと胸が締め付けられるような経験も与

          越える。