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【時事】古文漢文+金融経済でいいのでは?

先日、「教養」というなかなか壮大なテーマで一介のシロートが語ってみましたが、ちょうどその続きの話題が入ってきましたので、そちらについて一緒に考えていければと思います。内容としては国会議員さんが「古文漢文よりも金融経済を学ぶべきではないか?」という持論を発表されたという話題です。少し長いのですが、引用します。

2023年6月7日の衆院財務金融委員会で、古文漢文と金融経済のどちらを学校で教えるべきだと考えるか、などを質問した。

翌8日のツイッターでは子供らに「金融経済を勉強させるべき」とする持論を述べている。「生成AIの進歩などを見ていると、近い将来ほぼ完璧な自動翻訳機ができるだろう。高水準の自動翻訳機ができ、外国人との会話や英文の翻訳が滞りなくできるようになっても、今まで通り多大な英語学習を子供たちに課すのか?将来を見据え、英語の学習時間を削減して、金融経済の勉強に充てるべきだ」さらに「教育は取捨選択だ」とし、「取捨選択は硬直化してはならない。時代に見合ったものに、不断の見直しをすべきだ」と主張した。

9日にもこの話題についてツイート。金融経済だけでなく、医療に関する知識を優先すべきともしている。「基礎的な医療や医学を、学校で子供たちに教えるべきだ。学んで得た知識で、自分や大切な人の命を救えるかもしれない。古文や漢文よりも、学ぶべき優先度は高いはずだ」

JCASTニュース ビジネス&メディアウォッチ(6/14 12:24配信)より抜粋

なかなか深く突っ込んだ内容になっていますね。皆さんはどう感じましたか?いろいろな意見があっていいと思いますし、それこそ何事においても「自分の頭で考える」ということが人間の特性ですので、ぜひ一緒にお考えいただけたらと思います。

私自身、公教育ではないですが、教育に関する業務に携わる人間としては、「古文漢文か金融経済」という「or」の発想ではなく、「古文漢文と金融経済」という「and」の考えでもいいのでは?と思います。ま、日本人らしい「折衷案」ということですね(笑)。

たしか新しい教育指導要領によって高校では金融教育、しかも投資であるとかそうした内容を扱うことになったはずですよね。これは非常に大きな一歩だと思います。私もこの当時に「投資」について知りたかったですよ・・・本当に。それに「投資」から波及し、「ローン」だとか「金利・単利・複利」だとかそうしたことも知識としてもっておけば、クレジットカードのキャッシングやリボ払いに危険性があることを知ることが出来ますよね。(個人的には宮部みゆきさんの「火車」は学校課題図書として全員必修で読むべきだと思っています!)そういう意味で金融に関する知識を公教育に入れるべきというお考えには賛同です。

しかし、一方でそのために「古文漢文」さらには「英語」教育を削減しようというのは少し残念だなと思います。「古文漢文」は歴史(日本史・世界史)にも通じますし、「英語」を知ることで英語圏(主に欧米中心)の歴史だけでなく文化などにも触れることができるようになると思います。もちろんAIで調べれば一発で手に入る!と言われればそうなんですが、それだと検索スキルが上達するだけで、本人の知識として深まっていかないと思うんですよね。

さらに続けます。

スマホという百科事典以上のものを皆が常に持っており、暗記という行為にほぼ意味はなくなった今こそ、教育を大きく変えるべき時だ。子供たちの勉強時間は限られている。これからの時代、何を学ぶべきで、何が優先度が低いのか。改めて国民的議論をすべきだ」

「特に高校教育において、何かしらの科目を一部削減し、『金融経済』『医療医学』『家庭科』などをより学んでいくべきという考えに変わりはない。実社会・実生活に役立つ実学に、教育は一定シフトすべきだ。そしてその議論を始めるべき時だ」

「教養の意義や重要性を否定しているつもりは全くない」と前置きをした上で、「義務教育で、全員に強制すべきでない。その環境を用意する必要はあるが、さわりだけ伝えて、後は学びたい人が学べばいい」とも主張している。

同上

たしかに暗記偏重の試験についての問題点はいろいろ出ていますね。とはいえ「記述式」ならいいのか、というとこれまた難しい。以前、新井紀子さんの記事をご紹介しましたが、それこそAIでもそこそこ「名文」を書いてしまうそうですから。しかも今の学生はすでにチャットGPTを活用されているそうですしね。

個人的には「実学(実社会・実生活に役立つ知識)」も大事ですし、その核となる部分として「教養(歴史・文化・数理など)」も残してもらいたい。いや、そここそが大事なんだと思います。(←ちょっと古臭いですかね?)実学(=今、すぐに役に立つこと)は、これまでの過去からの流れを組んで今の形に至ったわけですから、そうした部分をゴッソリ失くしてしまうと、それこそ「中身のない、しかし検索だけは得意な人間」を量産してしまうことにもなりかねないのでは・・・?と思います。

たしかに私が中学高校で習った内容で「これは面白かった!」という授業ばかりだったかというと、そんなことはなく・・・(当時の先生、すみません。これは先生方ではなく、自分の態度が悪かったんです!)興味を持てたものばかりでもなかったのが正直なところです。とはいえ、教科書で触れた「こころ」や「山月記」などは当時はチンプンカンプンでしたが、時が経つにつれて理解できるようになるなど、当時触れていなかったら、そのまま知らないで生きていたであろう、ということってたくさんあると思うんですよね。また、大学の「一般教養(いわゆるパンキョー)」も、なかなかに興味が持てないテーマも多かったですが、それでもああいう機会がなければ、触れずに生きてきたわけで、やっぱり無駄ではなかったのかな、と思います。

10代の頭が柔らかい時期、いろいろな影響を受けながら、将来について考える貴重な期間ですので、ぜひ多方面からたくさんの分野に関する知識や教養を「詰め込み(過ぎてはダメですが・・・)」、それこそ「考える」機会を提示していくと良いと思います。かなりの理想論ですけどね。学生さんには勉強だけでなく部活動やクラブ活動、学校では集団行動や技能教育もありますから。でもそれらすべてが大事だと思いますので、「実学にシフトすべき!」だとちょっと寂しいかな・・・と思いました。


ちなみに、一時期「ゆとり教育」というのがありまして、教科書類がだいぶ「薄く」なったのですが、実は徐々に揺り戻しが行われ、現在ではかなり(だいぶ?)「分厚く」なり、内容もかなり難解になってきています。ですから、現在学校で教鞭をとられている若い先生方は、ご自身が習っていない内容などについても学校で生徒たちに教える・・・ということもあるとか。

ましてやここ数年はキツイ職場として人気ランキングも低下してきています。実はこちらの面もしっかりサポートしていかないと、いくら素晴らしいカリキュラムや方針を打ち出しても現場の先生方が困ってしまう・・・ということになりかねません。それでは先生方が気の毒ですからね。このあたりも含めるとなかなか難しい問題です。でもベストな解決策でなくとも、今よりベターなものを作ってほしいですね。


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