個人誌という思想の器


                   白島 真

 今回はいつもよりやや個人誌が目立ったので取り上げてみたい。その利点は、思うがままに自己主張でき、詩と散文の配分、発行時期、頁数など自由に決定できるところで、個性を全面に打ち出すことができる。難点としては余程工夫をした誌面作りをしないと画一化され、読者に物足りなさを感じさせる。今月手元に届いている個人誌は14誌。装幀もきちんと製本されたもの、中綴じホチキス留め、A3二つ折り、A4二つ折り、A4三つ折り等様々であるが、サイズとしてはB5版が圧倒的に多い。
 ★「枠青」101(岸和田市・後山光行)
 あとがきで「詩人の詩は庶民と別世界になった。」「貧しい一詩書きは詩人世界を批評したり揶揄するような提言を繰り返してきたが、諦めた。」「101号という再出発である。詩が楽しいものであるようにこれからは遊ばせて戴くことにした。発行できなくなったら終刊、廃刊である。」と記載。前半の言述に必ずしも同意するわけではない。難解な詩にも二通りあって、全く受け付けないものと、意味は分からないが五感を激しく刺激するものがあり、後者の現代詩の在り様を楽しめるようになった。今号は西條八十や村岡空の直筆写真(後山宛)、吉野弘の訂正依頼文などが目を引いた。後山の紫陽花カラースケッチも秀逸である。詩作品「ぼんやり」では高木護を想起した。
★「アビラ」2(宮崎市・後藤光治)
 ロマン・ロラン断章(二)の「トルストイの生涯」が力作。「トルストイは人の誠実さをけっして信じなかった」というロランの記述にこのノーベル賞作家の真骨頂をみる。                   
 また、後藤のエセーニン論もあり、30歳で自死する前に、トルストイの娘と五度目の結婚。彼女は献身的に寄り添うが、最後は手首を切り自身の血で告別の詩を書き、首を吊る。大反響があったという終行2行にはこう書かれていた。「この世で死ぬことは新しくはない/生きることも また 新しくはない」エセーニンのこの詩に対して「死ぬことはむずかしくない/生きることのほうが/はるかにむずかしい」と書いたマヤコフスキーもまたエセーニンの死の5年後に拳銃自殺を遂げた。1917年のロシア革命の時代をそれぞれの関わりかたで生きた二人である。
★「ヒーメロス」43(埼玉・小林稔)
 長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』31。今号は「吉本隆明における詩人像(二)」に全37頁中22頁が割かれている。論考が折口信夫、瀬尾育生、井筒俊彦、S・Kランガー、土橋寛など、引用も多岐にわたるので、簡単な要約はできない。吉本が言語美を執筆する直前に書かれた「詩とは何か」の以下の一文に惹かれた。

「予想もしていなかったことだが、自覚的な詩作へというかんがえがときどきこころをかすめてゆく。詩作の過程に根拠をあたえなければ、にっちもさっちもいかない時期にきたらしいのである(略)」

 1961年7月の論考なので吉本36歳である。この「時期」は年齢や詩作経験年数に関わらずやってくる。詩を書くために詩論を必要とするのか、詩論のための詩論となるのか、その別れ途でもある。
★「ろんぐ・卵」49・50(鹿児島・清水ひさし)50号のあとがきで、2015年2月創刊とある。詩篇「山桜」のような利他的な詩は読んでいて気持ちがよい。遊びも豊富で最後は以下の回文で締めた。

りくつをつくり
きんえんえんき
まいなすないま
なつまでまつな
すたみなみたす
うなぎおぎなう
              (りくつをつくり)

★「ぽとり」58(和歌山・武西良和)
 今号は特集「擬音語・あるいは擬態語」とあって、「オノマトペ」と総称することは、一般化へ転げ落ちてしまうと述べ、両者を分けて考察。その題材を万葉集から拾っているのが素晴らしい。

烏(からす)とふ 大(おほ)をそ鳥(どり)の まさでにも 来まさぬ君を ころくとそ鳴く
(巻⑭3521)
 

 「ころく」は鳥の鳴き声の擬声語とある。
 また別の頁ではW・エンプソンの『曖昧の七つの型』を32回目として取り上げており、こちらは英語が多い。季刊ではあるが、次号も楽しみな個人誌である。
★「ライラック」10・11(前橋市・房内はるみ)
 10号では詩2篇とエッセイ、11号も同じ構成で、ゲストのない完全な個人誌。10号の草木染の志村ふくみについて書かれたエッセイがよく11号の詩篇「雨の日には」は不思議な味わいがあった。
★「葉群」99~102(新潟市・高田一葉)
 B4用紙1枚に詩が2~3篇とあとがき。用紙にはカラーで薄く挿画があり、号によっては上下に小さなビーズが貼られている。記念すべき100号の詩篇「お手玉歌」は次の言葉から始まる。

おひとつ おひとつ おひとつおおみな
おおみな   おおみな ンみなもだいしん
だいしん   だいしん ンしものっこい
のこのこのっこい あーずき


★「ピッタインダウン」25(秋田市・矢代レイ)
  ミャンマー語でおきあがりこぼしを意味するらしい(検索)。渡辺芳勝氏の絵画「碧の街」に触発されたという「水2」が印象的だった。冒頭と最後を引用する。

碧の家は
ふかい海の底にあった

豊潤な
静寂のなかを
大きな口の深海魚が
ゆったりと
泳いでいる
(中略)

時折
わたしも
いのちの深層をながれる
水の
碧の家に
行きたくなることがある


 ★「composition」4(さいたま市・葉山美玖)
  ゲストは北畑光男。葉山の詩篇「乳母車」を全行引用する。

私の書き物をしている
アパートの八階の
部屋の窓から
人気のない三月がよく見える
春霞の小径に
トラックが止まっている
荷物を降ろしている

自転車に乗った女子高生が走ってゆく
赤い日傘をさした婦人が
八重の葉桜に
スマホをかざす

誰も乗っていない
乳母車が通る
桃の木の下に
 

★「CROSS ROAD」15(松阪市・北川朱実)★「麓」13(札幌市・嵩文彦)は前回紹介しているが、掲載詩や論考にはいつも感心させられる。
他に★「空想カフェ」29(東京・堀内みちこ)★「ペンダコ」21(愛知県・かわいふくみ)★「FRYING」63(大分市・幸幹男)

 ★「馬車」62(新宿区・春木節子)
 花潜幸の「続きの夢」「どこでも、やまずに」の2篇はともに散文詩。「続きの夢」の冒頭から惹かれる。

春はまだ名のみの冷たい朝、寺に抜ける疎水の道をあなたに会いに行ったことがある。青く湿った小路の傍らの荒れ土に、ふぶいて散らされた薄紅色の花びらが撒かれ、一足ごとに物の眠りが解けて行く。(略)

 3頁にわたる詩論も含蓄深い。

学生時代、文学を読み、哲学にふけった毎日を過ごしていたものの、就職してからは次第にそうした事から遠ざかり、文学として「文字」を書くことも無くなって行きました。(略)

 当誌の新人賞を獲られ、その詩集に感銘を受け、全詩集を揃えた。その後、拙詩集を送ったところ、丁寧な感想を戴いたが、驚いたことに同い年であるだけではなく、大学も学部・学科も学年も一緒とのこと。学館のどこかですれ違っていたことになる。不思議なご縁だ。

私はこう思います。文字の手前にいても、ある人々は感情や思索の窪みに、ときに声なき詩を創っている。そして文字のうしろには、孤独を脱し、共感を求める、或は感情や理屈よりも自由な創造詩が花のように咲き出して来るのだと。(略)
 

★「あるるかん」35(長崎市・田中俊廣)
 田中は詩と俳句の実作をしている。「ゴジラの夢へのコラージュ」の総タイトルで断章1~3の詩篇が掲載されている。さらに興味を惹いたのは「ことばの身体性24」の「寅次郎と朔太郎の漂泊」である。寅さん、こと渥美清が生前4か所ほどの句会に参加し、223句もの俳句作品を残していることを初めて知った。3句引用する。

・コスモスひょろりふたおやもういない
・ゆうべの台風どこに居たちょうちょ
・うつり香の浴衣まるめてそのままに

★「White Letter」18(東金市・高安義郎)
 発行人は古希を超えた現在も教職に就きながら、年に1回発行している詩誌。漢方の偉人曲直瀬道山(まなせどうさん)の紹介寄稿エッセイ(秋葉哲生)や論語解説(奥出實)、「休憩室」と題された各同人のエッセイもあり、飽きない誌面の工夫がある。

★「Shinado」28(中野区・榎並潤子)
 こちらは5人のメンバーの一人、榎並の夫である林信弘が昨年11月に亡くなったことで追悼号。シナドは風の古い呼び方だそうだ(中村明美追悼文より)。夫妻は高校時代から半世紀以上、詩を通して過ごし、また同人の大半も長い時を共に過ごしてきている。まさに縁生以外の何物でもないであろう。「何者かが手を伸ばして彼を虚空に連れて行くのに抵抗していた、としか思えない不思議な眼差しとしぐさ。林信弘という人の特異な感受性をあらためてこの目で見た気がした。」彼が死を迎える僅か数時間前の榎並の回想である。画家でもある鋭い観察眼とやさしい眼差しをもった彼女、そして子供たちに見守られた林はある意味、幸福な死を迎えたと言えるのではないだろうか。若い頃の自殺体験を経て、詩人として全うする場を、仲間とのよき関係性によって得たことが分かるだけに、黙祷はふかくふかくなってゆく。詩誌の継続を決めたことは最大の供養であろう。
 

いつからだろう
小庭にもたくさん飛んできた雀が
いなくなった
それにひきかえ わが身は
やはり生き延びてきたのだな
と思う こんな小さな
来歴ではあるが
 (林信弘詩集『軒下のコスモス』より「雀と蔵骨器」冒頭 2011年)


 ★「ひょうたん」70(横須賀・相沢郁男)
 岡島弘子「なみだを編む」全行。

つむじをめぐるなみだは つむじ風にのせる
手折られたアスパラ菜のほうへ


ふつか みっか となみだをあつめ
しおれていた茎と葉をのばし ひそかにつぼみも用意して

よっか いつか 花びらは
満開になり ささやかな空をささげている

花はつぎつぎ咲いては散り 手折られた茎のさきはうるみ
一週間 二週間 糸のような根をのばし

鉢に植えると しっかりと土をつかんだ

なみだは編まれて ちいさな天と地をささえ
つぎのつむじ風を編みはじめる

 

 うつくしい韻律にのっていのちは循環する。わたしたちもきっと。つむじをめぐるなみだとは朝露でもあり、岡島の深奥を仮託した喩として表出している。短い詩中に「手折られた」が2回使われていることでもそれは分かる。表、裏表紙のたぬきが童心のように愛らしい。
 
★「東京四季」118(東京四季の会)
 前身に三好達治、丸山薫、神保光太郎らの「四季」があり、本誌は昭和56年改名スタートとのこと。扉詩は畠中晶子「影踏み」。他に門田照子「飲む」、松原寿幸「炭焼き小屋の秋」、倉田史子「母の島」。散文は海上直士「美しい日本語」。
★「冊」61(千葉市・上手宰)
 主宰者の上手、柴田三吉、前述の「シナド」でも飾らぬ本質的な追悼文を書いていた中村明美、草野信子、北村真、高田真、渋谷卓男などヴェテランで受賞歴のある詩人が多い。前者2名に加えて今回、特集の野口やよいが日本詩人クラブ新人賞、前号特集の清野裕子が壷井繁治賞受賞。しっかりした批評精神の詩風土が確立している。よい詩誌とは本当にあますところなく読めて学べるものだと痛感する。巻末資料から野口やよい「誕生日」を全行引用。


幼いわたしは
生まれた日の記憶を
母に語ったそうだ

お天気だったでしょ
ながい腕のひとが
お匙で空をすくってくれたの
生まれておめでとう
はい、プレゼントって

青くてキラキラしてるの
すごくきれいなのが
眼のなかに落ちてきたんだ
目薬みたいに

大人になるまでに
わたしはその日のことを
忘れてしまったが

街角で
電車の中で
澄んだ眼を見るたびに思う
こどもはみんな
小さな空をもっていると

大きな
空を見上げる

おめでとうを
浴びる


 ★「ERA第3次」14(さいたま市・川中子義勝)
 こちらも力量ある詩人が多く、楽しみにしている詩誌である。田村雅之の詩篇タイトルは「弓弭(ゆはず)の泉」。「無患子の杪(すわえ)」、「惝怳(しょうこう)のこころ」「醇乎のかがやく精神」など、まず普通に変換で出てこない日本語が、不思議な格調と味わいを醸し出している。

*文中、敬称は省略させていただきました。

*『詩と思想』2020年8月号詩誌評のアーカイブです。
*掲載時、詩引用の「/」や「//」は改行形式に直してあります。
*9月号アーカイブUPは12月5日ころとなります。

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