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私と出会うリトリートと私 ④

前回の余裕がない時についても書きましたが、心の内側と向き合うという事がリトリートを通して得られた大きな成果だと思ったので、もう少し、心の内側について書いていきたいと思います。

余裕がなくなる時に私が主に感じているこだわりや、頑固さはどこからきているのかなというと

・よく見られたい

・嫌われなくない

・〇〇したらいいのに
という三つの感情が余裕のない時には強く出ているように思います。

よく見られたい

これは特に、初対面の人や良く知らない人とかかわっている際に強く出る感情だと思っています。そんな事しても意味ないのに・・・。苦笑
自分の事ながらあきれてしまいます。

嫌われたくない

この感情はとっても厄介。すべての人に好かれたいと思っていないとはいえど、やはり反感持たれたくない・・・。
モヤモヤしたり、自分の中で思考がぐるぐるしだしている時には私は誰に嫌われたくないのか、を具体的に考えるようにしています。
そうすることで、その人に本当に嫌われるのかが客観視できるように思います。

○○したらいいのに・・・

これは私自身が、周りの人で困っている人や、上手に進めない人、いわゆるスランプに陥っている人に会っている時に生まれる感情です。
愚痴や悩みを聞いている時出来るだけ私は自分の考えを言わないように、気を付けるようにしています。(もともとがお節介な性格なので、難しいけど)
この、○○したらいいのになぁ。どうしてこの人はこういう風に考えるんだろう。という時にどうしても、具体的なアドバイスがしたくなってしまいます。
しかし、アドバイスをしてもその人が心の準備が出来ていなかったら、それを受け取ってもらえないし、変わるきっかけにもならないなぁ。と思っています。
出来る限り、相手に寄り添い、相手が気が付くのを待つようにしたいと思うようになりました。今の悩みや苦しみ、葛藤はその人が選んでその状態でいる。という事を、私は出来る限り認めたいし、寄り添って応援する。と頭では思うのですが・・・。
余裕がなくなるとどうしても考えていまう癖なので、そう思う出来事と出会うとその度に、余裕がなくなっている自分を自覚し、自分にも相手にも優しくありたいと思います。


自分の中から生まれる負の感情は負の連鎖しか起こさないなと思うのですが、負の感情を自覚し、認めてあげる事、否定しない事を大切にしたいなと最近思うようになりました。
まだまだ試行錯誤中の余裕のなさとの付き合い方ですが、私はどうやら元々忙しくするのが好きなようで(苦笑)
余裕の無さをどう抜け出すのか、取捨選択を学ぶ時期だなぁ。と思って日々感情と向き合うようにしています。

否定の気持ちや嫌だという気持ちを一旦受け入れ
抜け出すためにはどうしたらいいのか

思考のベクトルを変えるという作業は工夫さえすれば
誰でも簡単に出来る事のように感じます。

まずは気づく事。

リトリートは気づく事を大切にしていると私は思います。

その気づきに正解も間違いもない。

気づきその物を見つめる時間になれると嬉しいなと思います。




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