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衣服に染み込んだ物語

青森県立美術館で開催中の「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」展に行ってきました。

基本的に女性向けのブランドであるミナ ペルホネン。妻がminäの頃から好きなブランドという事で男の私でも耳にしたことはあるものの、作品に関しては生地のハギレしか見たことがありませんでした。

展示の中で見かけた文字、どうやら「ミナ男子」という言葉が世の中にはあるのかな?ブランドが好きという正面入り口から入る人と違い、私の場合は皆川さんの生き方考え方を書籍で読んで、ミナ ペルホネンではなく皆川明さんのファンになったという裏口から。

そもそもファッションに無頓着な私。段ボール一箱に収まる服、しかも同じ物が2着とか3着とか。喫茶店の店主としてはいつ来ても見たことのある格好というのは、変わらない日常を愛する人たちにとってはよい印象だろうと都合よく解釈している。

10年、20年と実際に着用されてきた服が、その服にまつわるエピソードが添えられて展示されている空間があり、一着の服がひとりの人生に与える力の大きさに驚いた。

癌だったかな。とにかく、死の影がちらつく病に罹り、この服を着て退院しよう!と姉?妹?に病室でもらったミナの服。無事に手術は成功してその服に袖を通して退院したという、かけがえのない一着。

それとは対極で、3歳だったかな。長く着られるように大きめで買ったミナの服。その後病気に罹り闘病。末期の頃、今の体型に合わせて調整したミナの服を纏い車椅子で家族写真を撮り、それから袖を通されることはなかった愛しい一着。

子供が小さい時、凍った池の上を歩いていて薄氷を踏み抜き、命を奪う冷たい水を吸い込んだけどなんとか一命を取り留めた、その時の祈りのベールがほのかに光って見える一着。

毎日のように同じ服しか着ない私の場合は、その服毎のエピソードが思い出されることはない。逆に言えば日常の全てをその服たちは知っている。全ての思い出はその服たちに染み込んでいる。

仕事着も兼ね、ヘビーユーズ過ぎる私の服たちは、色褪せ、擦り切れ、お洒落着と違ってどうしてもお別れが早い。

一生持ち続けるであろう、特別な時にしか着ない特別な服を欲しくなった。洋服に無頓着な人間の意識を変える素晴らしい企画展でした。

巡回展である「つづく」。次は台湾だそうです。また国内でつづきがあると良いですね。


さて、クラシックでは12月にs clothes treeの展示受注会のつづき。

もう何回目だろう。数えるのをやめた。旅立ったそれぞれの服に沢山の思い出が折り重なっているのだろうな。

前述のように着心地がフィットすればそれで良かったので、無印良品をくたびれるまで着て買い替える日々だったけれど、さおりさんと出会って以来、休みの日はs clothes treeの服しか着ていない。寒くなったら毎日の仕事着となる。

本来特別な衣服となるものを、好きな人の作る服だからという理由で、無頓着な者が消耗品のような使い方をしてしまっていて後ろめたさも感じるけれど、こんな着方をする人が一人くらいいてもいいのではないだろうかと思っている。

人間の生き甲斐とは一体何なのだろう。たった一度のかけがえのない一生に、私たちが選ぶそれぞれの生き甲斐とは、何と他愛のないものなのだろう。そして、何と多様性にみちたものなのか。
星野道夫


皆川さんは「せめて100年続くブランド」と願いを込めてminäを始めたそうだ。

絵に描いたような少子高齢化の地方の町。こんな普通の町で、リネンの服を纏ったおばあちゃんが散歩している姿を見られるようになったら、そんな素敵なことはないね。

と、せめて10年は続けたいなーと、見切り発車で始めた展示受注会。この町がそうはなってはいないけれど、この街のどこかではそんな光景が見られているはずだ。(思わぬ誤算で初ボーナスで購入してくれた若者がいる)

今回、一着の服の持つ力を知り、10年目に、1年目に購入した一着のお話を聞いてみたいなと、そんなふうに思ったのでした。

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