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Stay It Loud

戦争には最前線という言葉がある。言葉のとおり戦闘しに行くための先頭に立っている人たちがいる敵側と味方側との境界線だ。昭和の終わりまでは最前線はドイツだった。アメリカや西ヨーロッパを含む民主主義陣営は対ソ連でイギリスやフランスから西ドイツの右端まで陣地を守っていた。その軍事同盟をNATO(北大西洋条約機構)という。対するソ連はワルシャワ条約機構という社会主義の軍事同盟を東ヨーロッパの国々と結び、ソ連からポーランドやチェコスロバキアを含めて東ドイツの左端まで陣地を守っていた。なのでドイツは資本主義陣営の西ドイツと共産主義陣営の東ドイツとに真っ二つにわかれいて、その境界線が、じっと睨み合う東西冷戦の最前線だった。

しかし日本で昭和天皇が崩御した年の1989年、ベルリンの壁が崩壊した。東ベルリンの人たちはベルリンを遮る壁をぶち壊し、次々と西ベルリンへ入っていき、ついに東西ドイツは統一した。それが僕の平成の始まりだった。翌90年には東ドイツはNATOに加盟し、それまでの最前線は東ドイツの左側の国境だったのが右側の国境まで一気に移動し、最前線がドイツとポーランドが接触するボーダーラインまで迫ってきた。東ドイツがくるっとオセロの黒が白にひっくり返ったように西側陣営の陣地が広がって東側陣営の陣地が狭くなったのだ。

最前線が左から右に一気に移り、西側陣営の領土が広がった。

それを見たソビエト連邦の中の元々は別の国だったウクライナやエストニア、リトアニアやカザフスタンなどが次々と独立宣言をしソ連から離脱、91年にはソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構も消滅した。しかしその混乱は相当なもので、ロシアの影響が小さくなったユーゴスラビアではボスニアヘルツェコビナの独立紛争が勃発し、20万人近くが亡くなり200万人以上の難民が西ヨーロッパになだれ込んだ。ポーランドを初めとする他の国々も93年〜95年に世界大恐慌以上の不況に苦しみ、出稼ぎ労働者が西ヨーロッパに大量になだれ込んだ。そして翌96年に僕はロンドンに住み始めた。

僕が住み始めたばかりのロンドンでは語学学校の生徒はポーランド人ばかりで、僕の家の周りにはユーゴスラビアの紛争で難民になった人たちのコミュニティがあった。学校ではポーランド人がなぜロンドンに働きにきたのか、初級クラスのつたない英語で説明し(当時のポーランドで習う外国語はロシア語だったのでイギリスに来たばかりのポーランド人の英語はあまりうまくはなかった)、偏差値36の高校しか卒業していない坂本もロンドンに住んでまだまもなく、まるで子供のような英語力で、自分の知らない世界があることに興味を持ってポーランド人たちの話を聞いた。パブに行けば難民がビールを飲みながら母国の心配をし、彼らの住むコミュニティに行けば、築数百年の古いアパートメントのリビングルームでラジオから流れる当時のイギリスの安っぽい流行歌を聴きながらみんなで踊った。

そして世界は民主主義、資本主義の思想が正しかったと思い、これから平和な世界がやってくると誰もが信じていた。そして98年に僕はワルシャワ条約機構の名前にもなったポーランドの首都、ワルシャワに行くことになり、久しぶりに社会主義国の雰囲気を味わうこととなった(初めての社会主義体験は10代のころに友達と行った上海)。ワルシャワは人口3800万人を有する国家、ポーランドの首都で、僕が行ったときにはすでに民主主義になってはいたものの、熊本よりも看板やネオンの数が圧倒的に少なく、石造りの素っ気ない建物が延々とどこまでも続いていた。もう24年も前の話なので今はもっと資本主義っぽくなっているのかもしれないけれど、街のお店には商品がスカスカで、金儲けという言葉がはばかれるような雰囲気もあった。

そこから数百キロを電車に乗りアウシュビッツというユダヤ人がナチスに大量虐殺された施設にも行った。最近は観光地としてたくさんの人で賑わってるみたいだけど、僕が行ったときは閑散としている、まるで誰もいない人間など存在しないパラレルワールドの自衛隊のような場所で、だだっ広い所々に雑草の生えた敷地の一角にある死刑台を見ながらひゅーっと空っ風が吹いている音を聞くと、いったい今がいつの時代なのか分からなくなる風景に、何か物寂しい感じがした。

アウシュビッツには絞首台からガス室、人の髪の毛で作った石鹸などが展示されていた。

そして翌99年には晴れてポーランドもNATOの仲間に入り、2004年にはエストニア(このときちょうど僕はエストニア人とハウスシェアを2年ぐらいしていたのでたまに一緒にクラブに行ったりと彼は資本主義を謳歌しているように見えた)、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ブルガリア、2009年にはアルバニアやクロアチア、2017年にはモンテネグロなど次々と元社会主義陣営の国々がNATOに加盟し、オセロの駒がどんどんひっくり返ってヨーロッパはNATOの駒ばかりになった。ロシアに取って最前線はウクライナを挟んで向こう側は全て敵という状態である。もしウクライナがNATOに加盟したら、最前線はロシアの国境まで一気に迫ってくることになる。ロシアにとってこれほど恐ろしいことはない。そして2014年にロシアはクリミア半島に侵攻し、併合。その年の直後に親欧米派のポロチェンコが大統領に就任(クリミア半島併合は難しいのでまた勉強していつか書きます)、そして2019年、ゼレンスキーがウクライナの大統領に就任し、そして彼もNATOに入りたがっていた。

と、ここまではヨーロッパの最前線を書いたのだけど、それではアジアのほうの最前線はどこか

というとやはり日本と韓国と台湾である。日本は日本列島と北方領土に分割されて資本主義陣営と社会主義陣営の睨み合いが今だに続いている。朝鮮も韓国と北朝鮮に分かれていて資本主義陣営と社会主義陣営の睨み合いが続いている。日本の場合は国の端っこが最前線で海を隔てているので東京から遠く、意識している人はほとんどいないと思うが、ソウルなんかに行くと韓国と北朝鮮を隔てている北緯38度線からほど近く、ソウル中心部の地下鉄なんかに乗ったりするとプラットフォームに誰でも使えるよう毒ガスマスクがずらりと並んでいるのが視界に入り、否が応でもここは最前線なんだなと知らしめられる。ドイツは昔は西ドイツと東ドイツに分かれていた、ベトナムは北ベトナムと南ベトナムに分かれていた、というと、まるで遠い世界の話しをしているような気がするけれど、日本だって今だに民主主義と社会主義の領土に別れているし、朝鮮も韓国と北朝鮮の真っ二つに別れたままである。そして中国はウイグル→チベット→南沙諸島→香港と、オセロをどんどん白から黒へとひっくり返し、もうその次は台湾というところまで迫ってきている。もちろん台湾がひっくり返ればつぎは尖閣諸島であり、尖閣諸島がひっくり返れば次は沖縄である。人生46年も生きて、そのうちの半分以上を意識して世界を見ていると、国なんてものは簡単にひっくり返るんだなというのが正直な印象である。

ちなみに世界各国の核兵器の保有数を見てみると

北朝鮮=40
イスラエル=90
インド=150
パキスタン=165
中国=350
フランス=290
イギリス=225
アメリカ=5550
ロシア=6255

となる。

ただ日本がウクライナとまったく同じ境遇かというとそれはまた違って、日本にも戦後は共産主義者はたくさんいたが、それでも日本はアメリカと軍事同盟を結んだ。しかしウクライナはすぐにはNATOには入らなかった。歴史にifはないのだけれど、プーチンが力を持つ前に他の国々と一緒にNATOに入ってしまえば良かったのにと思う。が、ウクライナはNATOには加盟しなかった(ウクライナ人がロシアのプロパガンダを信じていたのと、NATOもロシアに配慮し、させたくなかった)。なので今現在ウクライナ国内には米軍基地がひとつもない(正確に言えばウクライナ軍の訓練を目的に米軍32人が駐留していた。日本の米軍は55165人)。さすがにウクライナの中に米軍基地がいくつもあればプーチン政権になってマッチョになったロシアと言えども簡単には侵攻出来なかったはずだが、今の状況だとNATOが動けばヨーロッパへのガス供給が止まり、プーチンの論理で言うとNATOのほうから攻撃を仕掛けてきたと言う可能性があるので第三次世界大戦や核戦争が起こる可能性だってある。結局第二次世界大戦のときの日本も経済制裁で石油の輸入を止められたから戦争をおっ始めたわけで、エネルギー政策がどれほど重要かは考えた方がいいし、つねにリスクヘッジしておく必要がある。そしてもし日本に米軍基地がなかったらどうなるか、そしてアメリカやヨーロッパの国々が危機のとき、一緒に戦わなかったらどうなるか、そして世の中には理屈の通じない人や国家があることをよく考えた方がいい。ただこのインターネットやSNS時代、よく分からないフェイクニュースや誤情報がたくさん流出しているので、いろんな物事を簡単に判断するのはやめといたほうが良さそうだ。自分にできることは何もないけど、寄付でもするか。

ウクライナ大使館の銀行口座
三菱UFJ 銀行
広尾支店 047
普通
口座番号0972597
エンバシーオブウクライナ

さて、今日のお勧めのレコードはSalaam LemiのStay It Loudです。今回はなぜかアフリカンファンクでめちゃくちゃかっこよかったです。


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