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【早起きできたら日記16】 イージーに生きる術を知るキャンプ

5:45起床。朝読書会に参加した。前日、1時過ぎに寝ているので正直完全に寝不足なのだが、今日は何となく目が覚めたし、だらだらしたくない気分だった。いつもより低い声を、さらに低く響かせながら、clubhouseで仲間と話す。すると、スマホの向こう側から聞こえる鳥の声に気づいた。わたしも、と思い窓を開ける。目の前の小さな公園に、ピィーと高い鳴きがこだました。はあ、気持ちがいい。

先日、家族でキャンプに行った。ここ数年、息子の誕生日付近にはキャンプ外泊することが恒例になっており、今年はトレーラーハウス泊にした。息子が5歳の時に一度利用した施設なので、2度目である。もう4年経ったのかあ…。キャンプに行くと、当然だがTVはない。iPhoneは持っているが、PCもタブレットもない。以前は「TVは?」と言っていた子供たちも、二人とも小学生ともなれば、もうそういうことも言ってこなくなった。自然と「一緒に散歩しよう」となり、わたし自身も、普段なかなか過ごせない「子ども達とゆっくりする」という時間を満喫した。

自然の中にいると、本当に時がゆっくりと流れる。肌に当たる風を感じる余裕、木々のざわめき、鳥の鳴き声に耳を傾ける余裕。深呼吸する余裕。「◯◯しなきゃ」という追い立てられるような気持ちがまるでなくなる。環境を変える作用は、実に偉大だ。さらに、その環境は色々なことをイージーにさせる。「キャンプ」といっても、水洗、洗面も完備されたトレーラーハウスなのだが、それでも最低限のものだけで過ごすことになる。夜のBBQの時、人数分しかない割り箸を1本取れない場所に落としてしまった。するとダンナはまあいいやこれで、と竹串2本で肉を食べ出した。プラスチックのフォークもあるのだが、どっちでもいいといった具合だ。ひきたてのコーヒーが飲みたいと豆・ミル・ドリッパーは持ってきたが、それを受ける入れ物がない。まあいいや、鍋で。となんとか手持ちのものを駆使して、カップに注いだ。少ないもので暮らすって、こういうことだろうか。なんだ、別に便利で完璧な生活などいらないんじゃない?と思う。ものがなかろうと、少し不便だろうと、多少見栄えが悪かろうと。ゆったりとその時間に身を預けられる心の余裕があればいいんだろうなあ。わたしも大概適当な人間だが、もっと、心からのイージーさが欲しい。家に帰ってきて強くそう思った。

※宿泊先: FORESTSUNS NAGATORO


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