衝撃インタビュー
あ、、そういう風に生きてもいいんだ。
じゃあ私もそうするか、、。
と思えるような強い感覚、衝撃、開いた口が塞がらない感覚。
なんていうかな、人間離れしてるというか、このまま人間を演じられなくなる方向に本気で向かってもいいかもしれないな。10年後とかに先延ばしにする必要がないな。という感覚がある。4月16日のインタビューライブセッションに参加したからだ。
普段はそんなにライブを見る方に強いインスピレーションを感じなくて、それよりもファンクションをすることが多いのだけど、4月16日夕方のライブはエミリアがインタビュアーをする回で、彼女はそれについてしばしナーバスな気分を過ごしていたし、彼女と心を共にして心強さを感じられるようにサポートしたいと思って、スージーと一緒に部屋でライブを見ることにしたのだった。
正直であること、演じないこと、弱みをちゃんとあらわにすることが、最も全体に対して奉仕する在り方だと思う。
エミリアがエリックとミーティングして、それ(ナーバスさ)をちゃんとライブ中に話すことにして私もホッとしたのだった。
で、インタビューされる側はウルピだったのだけど、ここでは言葉にできないくらいの衝撃があった。ただただ、「あーー、、もういいのかもしれない」と思った。
自我の声は「やばい」しか出てこない。それ以外の語彙力がないほど追い詰められているのかな。「やばい」という言葉以外に、もう同一化しようがないので、それしか出てこないのかな。
日本にいても、アメリカにいても、メキシコにいても、どうしたものか、、と思ってきたこの強烈なバイブレーション(神の臨在、神の愛)が表に現れて、世界・幻想が奥に入ってしまって、人間を演じるとか難しくなるのをいずれ受け入れなければならないのだと悟っている。
ウルピみたいなラテン系のノリで、もしくはライラのように圧倒的に、もしくは他のプラン?何であれ、イエスに任せてもいいかな。。もういいかな。観念したい。
どうやって?と尋ねていたら、やはり「リラックス」究極のリラックス、サレンダー、頭のネジを緩めて幼子に巻き戻るしかないのだな。
それが答えっぽい。
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