Noriko Ohashi ✨サレンダー✨奇跡講座/奇跡のコースを生きる

みんなで目覚める、全体が目覚める。集団覚醒が私がここにいる理由です。無知で無防備ですべ…

Noriko Ohashi ✨サレンダー✨奇跡講座/奇跡のコースを生きる

みんなで目覚める、全体が目覚める。集団覚醒が私がここにいる理由です。無知で無防備ですべてを与えられている本当の自分を私たちが受け入れることができますように⏩https://youtube.com/@norikohearthttps://shingaheart.jp

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同時多発的、大きな一歩

今、この文章をメキシコ行きの飛行機の中で書いています。 5〜6年くらい前から、真我なるハートは単なる奇跡講座の学習グループという枠にはめ続けることが不可能になっていましたが どうやらこのあたりで本格的にコミュニティへと発展してゆく兆しが見えてきています。 私が2015年〜2016年頃に思い描いていた「スピリチュアル・コミュニティ」とはかけ離れた、良い意味でとても刺激的で心が活性化され続ける『アメージングジャーニー』と表現できるような、そんなコミュニティがだんだんと形成さ

    • いい意味で裏切られた❤️

      写真の右から、ソレン(TAKE ME HOMEでお馴染み)、スージー、イエス、ノリコ、サビーン この4人とイエスは Jesus A Gospel of Loveの翻訳者チーム&監督。 スージーが明日早朝家を出発する。 彼女は4週間の滞在だった。 兄弟が新たに到着して、コミット期間を終えて出発するまでを見守るのはこれがはじめて。 スージーは典型的なプランAの初心者だったので、最後までここに滞在し続けられるだろうか若干ハラハラさせられたけど、やはり私たちと同じく根が変人なのか

      • AIファンクション

        メキシコに来る前からよく、会話の中に出てきていたAIについてのファンクション。 てっきりそっち方面のファンクションを振られるのだと思っていたら、メキシコ到着して、翌日にはデイヴィッドの新しい本を和訳して出版するまでの全体的なファンクションを与えられたのだった。 で、今、あと1週間で帰国だねって思ってさらに心を開いていたら、このタイミングでAIファンクションの話がやってきた。(デイヴィッドAI、フォーギブネスAI、supiri. AIなど?) パーフェクトタイミングとしか

        • 衝撃インタビュー

          あ、、そういう風に生きてもいいんだ。 じゃあ私もそうするか、、。 と思えるような強い感覚、衝撃、開いた口が塞がらない感覚。 なんていうかな、人間離れしてるというか、このまま人間を演じられなくなる方向に本気で向かってもいいかもしれないな。10年後とかに先延ばしにする必要がないな。という感覚がある。4月16日のインタビューライブセッションに参加したからだ。 普段はそんなにライブを見る方に強いインスピレーションを感じなくて、それよりもファンクションをすることが多いのだけど、4

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        • 翻訳中🌟イエス・愛の福音/デイヴィッド・ホフマイスター著
          15本
        • 献身滞在(オンライン/リアル参加)
          9本
        • 奇跡のコース勉強会 by真我なるハート
          2本
        • コース的💫映画解説
          1本

        記事

          奇跡の起き方

          自分の発想ではないインスピレーションがある。そのインスピレーションに自我が抵抗している。 自分のハートの奥がそのインスピレーションの光にかすかながら気づいていて でも自分の思考レベルは、あまり(もしくはまったく)従いたいと思っていない。 上記のインスピレーションに従うと、簡単に奇跡が起こる。 そして、自分と聖霊の一致感が強まる。無条件で幸せを感じる。 さらに、今まで無視してきたインスピレーション、ガイダンスに気がつく。 それに従順に従う 奇跡のスパイラルが起きて

          フランセスからの願い

          今日はいろいろな意味でフランセスDayだった。 もう寝るから短く書くと、フランセスDayの就寝前、何だか強めにフランセスから願いごと(要求みたいな感じ)を言われてるのに気づいた。「ノリコ、ノリコ、お願いだから」って あなたは私をどのようにでも使って構いませんよ、前からそう言ってるでしょ?どうぞなんなりとやっちゃってください。って答えて、 何を願われてるんだろう、聞こえればいいなぁと欲求を抱いた。 するとどうやら何か行為のレベルで要求されているというよりも、 心を閉じ

          神と私の関係のメタファーの世界だったんだな

          私(心)が見るものすべて、知覚するものすべて、世界全体が神と私の関係について 「自分はこの関係がどういう関係だと信じているか?」についての遠回しのメタファー(隠喩)だったんだな。 永遠に愛されるとか、永遠に愛し合うって可能なの? 神は私のことを愛してくれるのだろうか? いや、永遠の愛なんて不可能だ。 私は知ってる、私がどういう者かは。 私のこの信念によれば、結論として永遠に続く愛は不可能だ。 私は愛を失っている、本物の愛は得られない。と、絶望しながらこの世界を彷徨って

          神と私の関係のメタファーの世界だったんだな

          【15】Jesus: A Gospel of Love まじでイエスはいる。

          心のたゆまぬ訓練をやり続けるって、本当にすごいことだと思う。 この訓練の結果が、減ったり消えたりすることは決してない。 この結果は何からも影響を受けない。だから、この心の訓練をしない選択肢はないと思う。 もちろん、おびただしい誘惑は連続するのだけども、それでも想像を絶するほどの価値がある。最終的に贖罪も可能となるのだ。。 この滞在を始める以前から、ちゃんと警告はされていたけども、やはり「権威の問題」というやつにぶち当たる。でもやっぱり心の訓練を頭から煙が出るほどに頑張り抜

          【15】Jesus: A Gospel of Love まじでイエスはいる。

          現代の神秘家・修道士生活の方が自然で普通な感じ。

          2ヶ月以上過ごしてみて、やっぱりこの時期にメキシコに滞在してよかったと感じる。 メキシコのコミュニティーで滞在し、神を1番にする目的で集まった兄弟姉妹たちと共同生活をしながらファンクションとコミュニケーション、コラボレーションを中心に生活する。 割と毎日のように、大きなヒーリングの機会、浄化の機会、赦しの機会がある。 自我の声も相当デカい。そりゃそうだろう、自我のトリックで今まで以上に神の子に欺瞞を企てようとシステムがはたらくのは普通のことだろう。こんなに自我にとって危

          現代の神秘家・修道士生活の方が自然で普通な感じ。

          十分満足した。

          ここ数日強く感じていること 私は今回の人生でやりたいこと、やるべきこと、やらねばならなかったことをすべてやった。 たとえそれが一見困難なことのように見えたあれこれであっても、本当によきように運ばれるために通り過ぎるべきことだったという、確信というか満足感がある。 本望という感覚かな。 よくここまで導いてくださいました。 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。 と泣きながら感謝し続けて平伏している感

          最も柔らかい場所を露出したままに

          「ハートの奥の一番柔らかい場所をあらわにしたままに」という指令なのか、祈りなのか、決断なのかわからないけど、この声に従っている。 心の奥の、一番柔らかくて、隠したくて、防衛したくて、触られたくない場所を、あえてあらわにしたまま自力で保護するのをやめることで、神に対抗しなくなる心に戻っていくらしい。 神に対抗して、神から自分を防衛するのが良きこと、自分にメリットがあることだと信じてきた。 なぜか?というと自我に自分の信じる力を与えてきたからだった。 自我に信じる力を与える

          愛されているのを本当に経験したいなら、実感したいなら、すべきこと。

          「愛されていると実感したい。知りたい。愛しかないって教えてほしい。愛を経験したい」 という言葉を口にすることは、まあまあ簡単なのだけど、それが実際に経験される原因は、100%自分自身の決断なのだ。 誤解を生むかもしれないけど 聖霊がそれを叶えてくれるわけでもない。 なぜなら聖霊はもうその仕事を終えてるので、どっちかというと聖霊が私たちを待っているのだ。 「さあ、いつこの心はこの訂正を受け入れてくれるかな?」 という感じで待っている。 私たちは、状況がどうあれ、人間関

          愛されているのを本当に経験したいなら、実感したいなら、すべきこと。

          100%自分に力がある

          毎日いろいろと、状況や予定に見えていたものが変化し続けていて その変化しまくりの中、心の中の決断の主体である我に集中し続けていると 人も状況もストーリーもプログラムも自分の外側には存在していなくて すべてが自分の中で、ひたすらねつ造しているもので、自分がそれらの作者であって だからこそ、自分のねつ造したものをどう見るかは自分に100%力があって それをどう見るかは、 見たいようにしか見ていないという意味において、100%自分に責任があるって、、 まじで当たり前のこと

          【14】Jesus: A Gospel of Love (2024年3月24日、今感じていること)

          毎日色々なことがあるのでブログを書くのが間に合わない感じ。 何しろこの人生全体宇宙全体を映し出している心の浄化と癒しを第一優先にしている。 もっぱら、一瞬一瞬、一日一日を大切にすることを試みている。 今日が人生最後の日、このセッションが最後でもう二度とない。 と、覚悟を決めることに集中している。次はないと考えると、成功とか失敗とか、よく見られるとか勘違いされるとかの思考が遠のく。 今、愛だけを教える。自分にも世界にも愛だけを教えるのだ。 そうしているせいか、昨日のデイヴ

          【14】Jesus: A Gospel of Love (2024年3月24日、今感じていること)

          【13】Jesus: A Gospel of Love (2024年3月20日春分の日、メキシコ半分経過した)

          究極的に、この道は自分vs自分だなと思う。 本当に他者は存在していなくて、いると思っている外側は実は自分の内面がそこに現れているかに見えているだけなので、それをどう見るかは完全に自分の責任でしかないのだ。 デイヴィッドが言う例え話し 人を指差して何か言っている時に自分の5本指のうちの一本だけが外に向いていて他の3本指は自分に向いていると言ってくれるらしいけど、その通りで、他者について語っていて世界について語っているとき、自分について語っているわけなのだ。 「自分は自分のこ

          【13】Jesus: A Gospel of Love (2024年3月20日春分の日、メキシコ半分経過した)

          まさかの欺瞞100%の思考を信じていただけ

          当然のごとく狂気的な思考は普通に湧き上がり続ける。湧き上がり続けても問題がないので歓迎してる。 いわゆる「裁きの思い」なのだけども なぜだろうか?その「裁きの思考」に力がない。 投影する自分を眺めていて、その思考の無価値性を認識し眺めている。 投影しているし、無価値な思考が思考され、それが私の中で採用されている。 自動的にプログラムが流れ続けている。 そうやって、くだらない時間の先延ばし作戦がなされようとしている仕掛けを見ていくと それらはあまりにも、あまりにも価値