⑩Jesus: A Gospel of Love(2024年2月28日メキシコ滞在3週間が経過して)
本当に時間の流れって存在してないんじゃない?って思う。
今っていう時間しかなくて、そこに絶えずストーリー(プログラム化されたデータの流れ)が流れてるだけなんじゃね?という感じ。まさにマトリックスのあの緑色のデータの流れ。
ここでは、日本にいる時で言ったら、毎日がぶっ通しの献身滞在でエンドレスでファンクションし続けるような状態。
トイレ、シャワー、食事、睡眠、エクスプレッション、ミーティング、イベント、ファンクション、ファンクション、ファンクション、ファンクションという日々。これが毎日ループしてる。
けどそんなに大変じゃないし苦痛じゃない。
これらの中で一番好きな時間は、やっぱり翻訳ファンクションの時間。
次がブログで延長する時間かな。
一昨日は1時間ドライブした先にあるショッピングモールにみんなで行って映画The Chosenを観た。
私にとっては映画よりも、完全アウェイなショッピングモールのど真ん中にいてそこで隠れないでいることが強力な経験だった。
炭酸水を買う時も、ハンバーガーを注文する時も、一切言語が通じない。
相手は英語も日本語も話せないし理解できない。私はスペイン語が話せないし理解できない。お互いに言語のレベルではエイリアン同士でコミュニケーションをとるような感じなのだけど言語なしでもコミュニケーションはとれるものだ。
究極的には、コミュニケーションにおいて言語は必要ないのだろうと思う。
願望、目的、決断次第で自分が伝えたいことはどうにか伝わるのだろう。
ファンクションぶっ通しの日々と言ったけど、実は日本にいる時よりも楽をさせてもらっていると感じている。(2018年〜2023年までラファエルと共同生活、共同作業、エクスプレッションの濃厚な日々を過ごしてきたことが大きいと思う)
日本にいる時のように聖霊の目的のもと、兄弟たちの心の奥につながってマインドトレーニングの指導や指示をするための道具になる必要がなくて、
ただひたすら自分の心の中の模様を見つめて、価値あるものと価値なきものを見極めて、価値なきものをすてていって、間違っていることを受け入れることに24時間体制で全力で取り組めるというのは、妥協のないことだけども日本にいる時とは「ギア」が全然違うと感じている。
自分の心の癒しにのみ、100%向き合える場なのだ。
こんなに絶好の機会はないのだから、ほんとにほんとに、「今日が人生最後の日」と考えて最大限に生きたい!と思う。もったいないことをしたくない。
The Chosenを観ても、聖書に触れても実感するのだけど、この2024年という設定の中で、この道を歩ませてもらっていることの無上の恩恵に私たちはもっと気がつく必要があるんじゃないの??と心底思うのだ。
水道や電気や治安や食事とかいうレベルだけじゃなくて、インターネット、スマホ、パソコン、動画、音声、AI技術、etc. 2000年前の設定の中を生きてる自分がいるとしたら「おい!」って、この自分に全力でつっこむと思う。笑
一応、メキシコに着くや否や、身体に起きていることはいろいろある。
生理が3週間続いていたりとか、胸にシコリっぽいものがあるかもとか、自我の誘惑にのれば深刻に考えることになるかもしれない。
でも結局のところそういう症状のように見えるものをきっかけに「自分は誰なのか問題」を突き止めるために時間とエネルギーを使うしかないんじゃないかと思う。
遅かれ早かれこの人間ドラマ人生は終了の鐘が鳴るのだ。
この時間の中でやるべきこと、意味あることをし続けるしかないよね。と感じる。
自我に電力供給を止めるためにのみ、時間を使うのだ💫
(仮邦題)「イエス・愛の福音」 デイヴィッド・ホフマイスター "Jesus: A Gospel of Love" by David Hoffmeister
✨以下、本書の「2. Jesus, What Is My Relationship to You? / イエス、私とあなたの関係とは何でしょう?」より、いくつかの文章を抜粋しています。仮翻訳段階ですが、ハートで受け取っていただければ幸いです。
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