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神と私の関係のメタファーの世界だったんだな

私(心)が見るものすべて、知覚するものすべて、世界全体が神と私の関係について

「自分はこの関係がどういう関係だと信じているか?」についての遠回しのメタファー(隠喩)だったんだな。

永遠に愛されるとか、永遠に愛し合うって可能なの?
神は私のことを愛してくれるのだろうか?

いや、永遠の愛なんて不可能だ。
私は知ってる、私がどういう者かは。
私のこの信念によれば、結論として永遠に続く愛は不可能だ。

私は愛を失っている、本物の愛は得られない。と、絶望しながらこの世界を彷徨ってきた心。

でも、聖霊の救いの光はずっと注がれてきた。

ふとした瞬間にそれに触れて、聖霊の声に気づいて「あ、、!」と心に閃光が走る。

遠い記憶が蘇る。
少しずつ、少しずつ。

これを思い出す者たちが、次第に集まりだす。

気がつくと大勢の仲間に囲まれている。もはや目的を忘れることは不可能な心。

記憶の甦りは速度を増していく。
記憶を取り戻すこと以外に何の興味も失っていく。その願望が目覚めていく。

この道はそういう道らしい。

だから、ちょっとのことも抑圧しなくていい。

何ひとつ抑圧せず、みすぼらしい自分でも、みっともない自分でも何でもいいから、自分じゃないものが自分じゃなかったと自覚され、それがただ消えていくために何も、何も、何も何も、何も何も何も抑圧しないで、恐る恐るハートを広げていけばいいんだ。

もちろん、傷つく感覚も生じる。
奪われるような、放り出されるような感覚も生じるだろう。

その理由は、抑圧をやめたからだ。
けど、その傷の感覚、痛々しさ、奪い去り、見放される感覚は自分が作った幻覚だったのだ。

それらを自分の心の奥で保護し続けるのをやめた時、はじめてそれが解放され、光の中に優しく溶けて消えてゆく。

そして、ずっとここにあった永遠の愛、とこしえの麗しさに気づく。

そしてそれが私だったと知らされる。

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