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③Jesus: A Gospel of Love(メキシコ4日目)

朝のミーティングで、God is the Bigger Elvis を見た。ハリウッド女優だった女性が地位も名声もある若いうちに、アビーというアメリカの修道院コミュニティーへ入ったというドキュメンタリー。

それを見て、みんなも私も涙が流れていた。

私が感じたことをシェアすることになって話したら、ソレンの中で知覚がシフトしたらしい。話したことは多分こんな感じのことだったと思う。

見た映像は、修道院コミュニティーのドキュメンタリーだった。
何かが自分の胸の奥で染み入って深い感謝が拡がったのだ。

今、私の家(のように見えていたもの)がコミュニティー化しつつあり、オーナーシップ(家や車などの所有権)を手放して、与えるために与える決断をしていること、今まで自宅のコミュニティー化を自分で計画したことはなく、今回自分がメキシコに滞在すると決めたと同時にこの流れが起きていったこと、これらの背後には常にイエスが存在しているのを感じていて、自分で計画を立てたり決断しなくても、ずっとイエスが全てを手配してくれていて、自分は彼に任せていればいいだけで、そのガイダンスに従っていればいいだけなのだ。

なんてありがたいんだ!ずっとイエスがこの宇宙全体を包み込み、人やものや状況の背後に常にいてくれているんだ!と泣けて泣けて、それをどうにか英語で話したら、特にソレンの心に響いたものがあったようだ。

そして、昨日のギャザリングでのデイヴィッドとのハグの感覚をずっと眺めていた。

デイヴィッドが、私とイコール・平等な友人(人間的な友人ではない、上下の差異がないイコールな関係)という感覚があって、以前のような特別性が消滅しつつあるのを感じて、「あれ??」と戸惑っていた。

彼と話しながら
デイヴィッドとノリコの会話が起きているのを俯瞰で眺めている感覚。
デイヴィッドとノリコの会話は自分の中で起きている感覚があった。

この夢の世界を眺めているのはイエスと、聖霊と「私」しかいなくて、その心の中でこの会話は起きていた。デイヴィッドも、ノリコもどちらのプログラムもその心の中に消えるだけ、という感覚だった。

だから、いい感じとも言い難い、慣れない感覚で戸惑っていた。
それを今日のランチタイムのエクスプレッションセッションで話した。
話すと、それがもっとリアリティを帯びてまだ怖い感覚。
でも私は、これに慣れていくこと(これに委ねていく訓練の連続)になりそうだ。分離の終了への勇気。


(仮邦題)「イエス・愛の福音」  デイヴィッド・ホフマイスター
"Jesus: A Gospel of Love"  by David Hoffmeister

✨以下、本書の「1. Who Is Jesus Christ? / イエス・キリストとは誰か?」より、いくつかの文章を抜粋しています。仮翻訳段階ですが、ハートで受け取っていただければ幸いです。

目で見て、耳で聞くこの世界は映像のスクリーンです。
世界は、騙された心の攻撃的な思考をぼんやりと映し出しているにすぎません。人がこれらの攻撃的な思考に気づき、それを手放す意欲があるのなら、映像もとのフィルムをきれいにして、意識の光を遮っている判断をすすんで手放すでしょう。奇跡を起こすには、光を妨げることなく、その光を輝かせる意欲が必要です。そうすれば、スクリーンはますます輝きを放つでしょう。心を離れた世界は存在せず、世界とは心の中の光を映し出すものだからです。

分離という自我の信念体系と歪んだ知覚を手放すことで、心は癒やされた知覚を反映する聖霊の見方へと開かれます。これが、宇宙についてすべてを包み込む解釈をもたらし、愛と一体性を反映する見方なのです。
その時、心は聖霊の見方と一致しており、抽象的な愛へと統一されたのを宇宙が証した瞬間です。このように、心から離れた世界は存在しないと悟ることは、対極のない抽象的で永遠の一体性を思い出すことに心を開くことなのです。真実とは、ただそれだけです。

"Jesus: A Gospel of Love" by David Hoffmeister - 1. Who Is Jesus Christ?(仮日本語翻訳)






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