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【11】Jesus: A Gospel of Love(2024年3月2日 メキシコの高台カフェでファンクション)

このコミュニティーに滞在する費用は一括で支払うのではなくて、毎月キャッシュで支払う決まりになっている。

ペイパルとか振込とかカード決済なら簡単なのだけど、ここではキャッシュで払うのがベストなやり方らしい。
本当は昨年末に全額をペイパルで払いたかったのだ(若干円高傾向だったのでお得と考えた)でも、数万円浮くからそうするのがいいな。という自分勝手な判断は通用しないのだ。

一分一秒、私が経験することになっているすべては、「自分が知っていると思い、信じている信念が認識されて、その無価値性が認識され手放されて浄化されるため」にあるのだ。

メキシコは現金を引き出すのが少し難しくて1日あたり9000ペソ(日本円で9万円弱)までしか引き出せない。

それ以上を引き出すにはもう一度ATMに行って24時間後に引き出す必要がある。そういうわけで昨日、一昨日に続き今日で3回目の現金引き出しになる。

ATMが滞在地のそばのホテルの中にあるので、マルセラが「今日はエミリアとノリコでホテルに行ってATMでお金を降ろして、そのついでに最上階のレストランでファンクションしてくるといいよ。ノートパソコンをバックパックに入れて持っていってね」と提案してくれたのだった。

ランチを食べて後片付け作業が終わったら車でホテルに送ってあげるから。という提案だった。

先日徒歩でそのホテルのATMに行った時(往復約40分くらい歩く)エミリアと一緒に最上階に昇って景色をちょっと覗いてみたらすごく見晴らしの良いレストランだったから

「え〜!それは最高だねえ!」と思ったけど、他のみんなはあまり来れないっぽいのに私たちだけでそんな経験をさせてもらってもいいのかな、という思いもあったけど、ありがたく受け取らせていただこうと思ったのだった。

3ヶ月間コミットでコミュニティーに24時間体制でずっと過ごしているとなると、やはり浄化のスピードが速い。

毎日の感覚がセンシティブで24時間自分の心の中の模様を見つめていると、原初の罪悪感、無価値感がふつふつと浮き上がり続けていて、底が見えないくらいにガンとして動かない状態なのがよく感じられるのだ。

だからか、雰囲気の良いホテルの最上階の見晴らし最高なレストランでカフェラテを飲みながら翻訳作業をしてみなよ。

とイエスから気軽に差し出された状態を私が知覚するのは典型的な狂った知覚で「私にはこんなにも大きな愛を与えられるに値しない」という知覚。

何か大きなことを成し遂げたなら、このくらいの大きな愛の表現を受け取ることはできるけど、ちょっとしかやれてないのだから、ちょっとの愛なら受け取れる。ちょっとだけなら。という信念・思考が心と頭の中を占めている。

無条件に無差別に愛が与えられてきて押し寄せてくるのが、とにかく怖いし慣れない。私にとって、いまだにこの世でそれが一番慣れないことだな。

ほんとにほんとに「私は無条件に無差別に認められて愛されることを受け入れるに値しないと知っている」と主張する自分(間違った心の状態)が心の原初のレベルで仁王立ちしている。

これが完全に間違っていて正しくないことはわかっているけど、ガンとして不動の確信として心の奥底に根付いている信念がある。

本当に狂っていて、

裁きなら容認出来るけど、愛に対しては特別に疑いを持ち続けなければならないと信じていて愛から自分を防衛し続けている。

無条件の愛は最上級レベルで信用ならないぞ、防衛せねばと思っている。

すごいよね、、この信念。

壊れたおもちゃのように狂った信念が繰り返しリピートされて、この心を支配してきたし、今も支配している。この信念の奴隷になり続けることよりも、この奴隷状態から解放されることを好み望む選択肢が、ここにある。

そして「それが選択されますように」と聖霊によって、イエスによってこの選択を望まれているのだ。

私が望むよりも、もっともっと強いDesire によってイエスから、聖霊からこれを望まれているのだ。

そこに頭をひれ伏して一歩一歩、降参・降伏していきたい。

(つづく)

神様、ありがとうございます。



(仮邦題)「イエス・愛の福音」 デイヴィッド・ホフマイスター
"Jesus: A Gospel of Love" by David Hoffmeister


✨以下、本書の「2. Jesus, What Is My Relationship to You? / イエス、私とあなたの関係とは何でしょう?」より、いくつかの文章を抜粋しています。仮翻訳段階ですが、ハートで受け取っていただければ幸いです。

神から離れられるという信念は、結局のところ、作者の問題に帰着します。
自分が自分の作者なのか、それとも神が自分の作者なのか?という問題です。

もしも神が作者なら、私はスピリットのはずです。なぜなら神はスピリットであり神はスピリットの中で創造するからです。

もしも自分が自分の作者なら、それは神に「ちょっと待ってください、私はなりたい自分になりたいんです」と言っているようなものなのです。
自分は男や女になってみたい。男らしさ、女らしさを試してみたい。この文化、あの文化とか、そういうものに属している感覚を試してみたいんだ。と、神に言っているようなものです。

これは、輪廻転生として知られています。輪廻転生とは、自分が自分の作者になれるという信念以外の何ものでもありません。
私は絶え間なく形ある自分自身を作り直しては、でっち上げを繰り返しています。わかりますね、私の作者は誰なのか? ----- それが核心的な問題なのです。

"Jesus: A Gospel of Love" by David Hoffmeister - 2. Jesus, What Is My Relationship to You?(仮日本語翻訳)



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