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⑥Jesus: A Gospel of Love 2024年2月18日ピザピクニック

今日も朝から翻訳作業をして、その合間に日記を書いて、また午後も翻訳をしようと張り切っていたら「今夜は外出してピザピクニックするよ!」と声がかかった。

全員でホンダのオデッセイに乗り外出して、湖に到着ししばらく歩いていると知覚がだんだん記憶の中を歩いてる感覚に切り替わっていった。

デジャヴなのか、すでに終わって久しい過去をみている感覚なのか、メモリーという感覚。

郷愁、帰りたい感覚、懐かしい感覚
メキシコの民族衣装を着てる子供たちを見ても懐かしい。どの建物も味があって古びてて、レストランの雰囲気も何とも懐かしさがある。日本の日常とはかけ離れたゴツゴツとした石畳みは車も走りにくく、人も歩きにくい。

よりリアリティーを求めたディズニーランドみたいな街並み。記憶の中、プログラムの中を歩いてるような感覚があった。なんでこんなに懐かしさを感じるのだろう。

それと同時にメキシコは未知に溢れてて自己概念をはっきり見て手放していく訓練が続いてる。ここでは日本の常識は通用しないのだ。

郷に入っては郷に従えのマインドでダイブしていこう🌊

(写真はピクニック中にピザを食べながら撮った。チャパラ湖にて)


(仮邦題)「イエス・愛の福音」  デイヴィッド・ホフマイスター
"Jesus: A Gospel of Love"  by David Hoffmeister

✨以下、本書の「1. Who Is Jesus Christ? / イエス・キリストとは誰か?」より、いくつかの文章を抜粋しています。仮翻訳段階ですが、ハートで受け取っていただければ幸いです。

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。(マタイによる福音書 7:13-14)

このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。(マタイによる福音書 20:16)

招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。(マタイによる福音書 22:14)

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイによる福音書 11:29)


柔和は強さであり、柔和な見方は文字通り世界に打ち勝ってきました。
自我は、兄弟に対抗し、真実のために立ち上がれと戦いや闘争を促します。
イエスと積極的に同調するのは、裁きの刀を捨てることを意味します。
愛は決して対抗しません。兄弟に対抗することは弱さを表します。


世界の目的が、自我の分離の目的から聖霊の目的に取って代わるとき知覚は生まれ変わり、初めて知覚されるのです。
そしてひとたび贖罪が受け入れられると、もはや知覚は必要なくなります。

"Jesus: A Gospel of Love" by David Hoffmeister - 1. Who Is Jesus Christ?(仮日本語翻訳)

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