それぞれの3.11〜関心と無関心のあいだ〜


当事者と非当事者のあいだ


「無関心ノーリアクションアタック」は、初回のEMS(エッセンシャルマネジメントスクール)で知ってから忘れられない言葉だ。

本人にとって他意や悪気がなくても、相手には「攻撃・否定」と受け取られかねないのが、無関心ノーリアクション「アタック」の意味するところ。
だから、うなずきや微笑みといった「リアクション」を相手にしめそう、という意図でうまれた言葉だと思う。


ここ数年「無関心ってなんだろう」とポヤポヤ考えていた。


西日本に暮らす私の、東日本大震災への距離感。

親戚も知人もおらず、たまたま被災者でも関係者でもなかった、関心相関性の低さ。それにともなう罪悪感。


2011年3月11日金曜日午後3時、私は転職先となる職場へ履歴書をもっていくところだった。
緊張しつつ事務所のドアを開けると、職員の方々がテレビの前に集まっていた。
画面には、ねずみ色の濁流が街を飲み込んでいく映像が生中継で映し出されていた。
私は「履歴書を手に転職まぎわ」の類いのどきどきと、なにか異常なことが起こっているゾワゾワに混乱しつつ、履歴書を渡し面談しすぐに帰った。
面談された職員の方もどこか上の空だった。
テレビはずっと点いたままだった。


どこそこの浜辺に遺体が200~300体あがった、とL字テロップに速報が流れるたび、涙と動揺がとまらない。
泣いて落ちこむを繰りかえすごとに無力感がつのる。
ついには、今生きている自分すら否定にかかる。誰の役にも立たずのんきに生きやがって。
メンタルが一ヶ月ももたずにテレビを観なくなった。

代わりに、ネットで拾った、ACの「ありがとウサギ」のパロディの替え歌動画を観て笑ったりした。

あの頃テレビからCMが激減し、代わりにACジャパンの「ぽぽぽぽーん♪」が繰り返しながれていた。
「ありがとウサギ♪」と歌うのどかな道徳的CMはあたりさわりなく、そのパロディ動画は平和で、うん。挨拶は大事だよね。「ありがとう」「ごめんね」大事だよねぇ、うんうん。だよね〜。
今おもえば、関心を閉じ、無関心のほうに舵を切って心を守っていた。

ボランティアの方々やさまざまな立場の人が支援が寄せられる情報をはために、街頭募金にお金を入れて何かやった気になり罪悪感をごまかし、ふたたび、無関心の沼に戻った。

4日間にわたって「レジリエンシーの本質の学び〜大川小の事例から〜」EMS講義に参加した。
当時小学6年生だった次女を亡くされた、元教師の佐藤敏郎さんのお話と、参加者とのブレイクでの対話をきっかけに、2つのことに気づいた。

(1)「無関心」に対する異なった光の当て方
(2)「関心」と「無関心」のあいだを埋める方法


(1)「無関心」に対する異なった光の当て方  

「無関心ノーリアクション」は、他者に向けられればアタック(攻撃)にもなりうる。
けれど、無関心であることが、自らの心を守るガード(防御)にもなりうる。

もし、世の中のあらゆることに関心がとめどなくひらいていたら、どうなるだろう。

我が子の臓器を二束三文で売る親の話や、
カンボジアで出会った地雷で四肢を欠いた子どもたちが暮らす寂れた村の運営や、
生まれてきてくれてありがとうと頬ずりした子の首を数ヶ月で締めるほど追い詰められた母親や、
「チョコ美味しい」と微笑む頃、学校に行けず劣悪条件のカカオ農場で働く少年の破れたズボン、
人様に迷惑かけるなと親の教えを守り誰にも支援を求めず親子で餓死する50代引きこもり男性、
SDGs推進の美しい看板の裏で利権が手段を目的化して環境そっちのけになる現状に、


きりがない。心にきりがない。
怒りや悲しみで、関心のみなもとの「心」がつぶれてしまう。


「関心相関性」という概念を、本質行動学が学べるEMS(エッセンシャルマネジメントスクール)で知った。

人の関心の大きさによって相関的に価値があらわれる。
自分が感知した現象のすべてに関心をよせていたら、心がもたないだろう。


「無関心」は誰かを攻撃したり、弱い自分を守ったり。


同じ光景をみても人によって目にとまるモノが違うように、無意識に私たちは関心を絞って生きている。

【無関心ノーリアクション】は「アタック・攻撃」でもある。
でも、時と・場合と・その人によっては、「無関心」は弱い心を守る「ガード・防御」にもなる。

本人のキャパオーバーの関心の津波に飲み込まれて、心身のバランスを崩す人もいるかもしれないからだ。

そんなとき【無関心】が心を守ってくれる、と捉えてみる。

他者には冷酷な【無関心】が、本人にとっては【安全基地】となる。
だとすれば、意図的にしろ無意識にしろ「無関心」にも役割があるとも言える。

だから「無関心」をまるごと、否定したくない、と思うのです。


(2)「関心」と「無関心」のあいだを埋める方法  


「無関心」を全否定はせず、だけど、そのうえで。
「関心」と「無関心」のあいだをどうやったら埋められるだろう?と考える。

佐藤敏郎さんによる、現在の大川小からの現場中継、またある時は車内から、部屋からのオンライン講義から教わった。
当事者・当事者じゃない者を「無関心」が分断しないようにするには「語ること」「知ること」。
それをコツコツ続けることで、それぞれの立場を近づけられるということだ。

【当事者】【関係者】【どちらでもない者】

当事者は、語ることで、誰かに知ってもらうことができるし、
関係者は、語ることで、誰かに知ってもらうことができるし、
どちらでもない者は、知ることで、語ることができる。

「当事者」と「関係者」「そうでない者」が、互いの境界線をやさしく溶かしあうことができる。

心の境界線=分断は、震災など災害以外でも起こる。

事件が起こったときも、被害者・加害者・どちらでもない者に分断される。
【被害者】・【加害者】・【どちらでもない者】。

それは、私がかつて【どちらでもない者】だった立場から、たまたまとある犯罪の【被害者】側に立ったときに気づいた。


「関心」と「無関心」のあいだ。「災害時」と「平時」のあいだ。



被害者になったことじたいはひどく悲しい。

が、それを契機に自分の置かれた立場(ここでは被害者)と「加害者」と「どちらでもない者」とのギャップについて、深く考えるようになった。

被害者の立場から、感情的に加害者を責めたてても、どちらでもない者の無関心を嘆いても、本質から遠ざかる気がするからだ。


いままさに緊急事態宣言が発令されているコロナ禍でも、分断が起きている。

【ウイルスを移した側】【ウイルスを移された側】【(今のところ)そのどちらでもない者】。
現在【どちらでもない者】でも、感染対策に無関心な動きをすれば、移す側・移される側に立つ可能性が高まる。非難や差別が起こり、分断が進む。
見えない境界線が引かれ、ギャップがさらに深くなっていく。


とある夜の講義ブレイクルームでのシェアの時間、私を含めて参加者の口がなかなか開かない時間があった。

震災の当事者でない者が、(当事者でもない私なんかが語っていいのだろうか・・・)という【当事者】と【関係者】と【どちらでもない者】の見えない境界線が引かれていたような気がする。


誰も口を開こうとしない独特の沈黙は、強烈な体験をした者と、そうでない者の間に生まれたギャップにそれぞれ途方にくれているように私には見えた。

ただ、そのギャップ(境界線)はいつどこで生まれるかわからない。
明日わたしの暮らす地域を災害が襲えば私も「当事者」になる。

ギャップを飛び越え、互いに心を寄せるためには、無関心ではなくやはり「関心」が大切だと思う。
じぶんの「関心の輪」を拡げること。知ること。知ろうとすること。


一端でも知れば、そこに「つながり」が生まれる。


先月まで全く他人だった佐藤さんも、娘のみずほちゃんも、もう赤の他人とは思えない。
無関心の領域から、関心の輪のなかにはいった。大切な人たちになった。
きっと私だけではないはずだ。

EMSが架け橋となって、西條さんを始め【当事者】【関係者】の「関心」が、とおく離れた東北の佐藤さんと私たちをつないだのだ。

EMSのあの空間が、それぞれ立場の異なる100名の参加者の「関心」に伝播した。



無関心になることでウツになるのを防ぎ、自分の心を守るだけだった頃から10年たった。

佐藤敏郎さんがおっしゃった「災間(さいかん)」に今、私たちはいる。
それはつまり、いつになるか知らない「あの日」は必ずやってくるということ。


マザーテレサにもダライ・ラマ14世にも到底なれない私のみみっちいサイズの心でなお、自己否定の沼にはまらずに動きたい。
関心・無関心の領域を無意識に選ぶことで、この世の暗部にめためたに絶望して、自死を選ばない自分のしたたかさを肯定ファーストしたい。
自分の非力さを嘆くだけでは、1mmくらいしか現実を動かせない。

もし明日「あの日」が来たら、今の私に何ができるだろうか。
せめて「動ける自分」でいよう。

募金はするが、それで「なんかやった気」にはなりたくはない。
もっと動ける。
ドラッカーに学んだ「自分の強み(書くことや広報)」を生かし、支援の方法を探すだろう。
どこかの支援プロジェクトを探して、進んで手と足と頭を提供するだろう。


10年前のあの日から、それぞれのレジリエンス力で生きてきた私たち 


「無関心に閉じないと暮らせなかった」私がつないだ命のたすきを掛けているのが、10年後の2021年、今ここにいる私だ。

いろいろあって当時の私より、感受性の肺活量と理性の排気量が増えた。
相変わらず涙もろいし凹みやすいが「立ち直る力」も着実につけてきた。
これがレジリエンシー(回復する力)だろうか。

経験をムダにしないこと。
佐藤さんの言う「せめて」を積み上げながら、誰かに手を貸すこと。 誰かの力になること。
たまに消えたくなる自分に絶望しきらないで生きること。

「私は無力だ」自己憐憫の沼は、数年前に這い出てこれた。
沼のドロは涙と鼻水と雨に流れていった。

無力ではない。有力。力はある。
非力ではない。微力。少しはある。

10年前のあの日から、それぞれの「レジリエンス力」で生きてきた私たちがいる。

「ふんばろう東日本」プロジェクトのような有志のチームに、私の微力を掛けあわせ、絵本のスイミーみたいに大きな力の一端になれるだろうか。





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