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ラナナショコラ ドリーミン

はっと息をのむ音と同時に、カチャ、と、重量のある何かの割れる音がしたとき、パイナップルの王さまの脚が止まった。王さまは振り向くことを一瞬ためらったが、覚悟を決めてゆっくりと首をまわすと、そこには緊張のあまり長い耳をぴんと立てたまま立ち尽くしているウサギ大臣の姿があった。
「あ、あの、王さま、あ、も、申し訳ありませんっ」


今日の三時のおやつのために大事にしていたシロップ漬けの中身が、割れたガラスの容器と一緒に転がっていた。オレンジやまるまるとした大粒の栗、あるいは真っ赤なベリーやナツメヤシ。見た目も美しいケーキになるはずだったのに。


ウサギ大臣は目を赤くして平身低頭あやまりつづけたが、床に広がったシロップが、今朝おろしたての室内履きに沁み込みはじめたとき、パイナップルの王さまは我慢の限界を超えた。
「何やってんだ、ばっかもーん」
雷が落ちたのかと思うほどの大声で、パイナップルの王さまが叫んだのと同時に、ウサギ大臣はお尻を蹴られ、ぴょーんと空に放り出された。

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ウサギ大臣は空まで飛んで、あっという間にゴマ粒ほどの大きさになった。
 
「あーあ、行っちゃったねぇ」
トーテムポールのてっぺんから、事の顛末が丸見えだった門番のピーちゃんは、遥か遠くの空を眺めてつぶやいた。

パイナップルの王さまには、友だちがいない。なにしろ、彼は王さまなのだし、王さまたるもの友だちなどはなから必要ないのだ。たまにゴマをすりながら、近寄ってくる者もいないではないが、王さまにだってゴマすりかどうかくらい見分けはつく。だいたい友だちを選ぶのは王さまのほうだ。

パイナップルの王さまは、広い広い木綿の土地に暮らしている。遠くにヨットやカモメの飛ぶ海も見えるけれど、そこは王さまの領地ではない。パイナップルの王さまの国は、ドーナツ王国という、パンやお菓子がたくさんできる豊かな土地だ。ただし、肉や野菜はないので、お隣のキッチンプリント王国から調達している。
では、なぜお菓子とパンしかないドーナツ王国の王さまが、ドーナツ王ではなく、パイナップル王という名前なのか。それは、王さまのかぶっている王冠からきている。
お隣のキッチンプリント王国には、それこそチキンの丸焼きや、ステーキや、ワインやチーズ、新鮮な野菜も果物もある。まだパイナップルの王さまと呼ばれる前、彼が即位するというので、キッチンプリント王国のミート王から、お祝いにとても立派なパイナップルが贈られた。それはいままでに食べたこともないおいしさで、まだパイナップルの王さまではない彼は、そのトゲトゲの葉っぱの部分こそかっこいい王冠になると思ったのだ。
それに、そのトゲトゲの王冠をかぶっていれば、あのときの瑞々しくて甘酸っぱいパイナップルの味も思い出すことができる。食いしん坊の彼は、そのときからパイナップルの王さまという名前になったのだ。

「ウサギ!」
いつもの癖でうっかりウサギ大臣を呼んだものの、彼がもういないことに気づいたパイナップルの王さまは、コホン、と咳を一つしてごまかした。門番のピーちゃんは、またそれを見ていたけれど、気づかないふりをした。いままでいつもそばにいたウサギ大臣がいなくなってみると、パイナップルの王さまも少しばかり落ち着かない。

そうだ、今日は三時のおやつを食べそこなった。楽しみにしていた美しいケーキは幻のまま、一口も味わうことなく、こぼれてしまったシロップ漬けは、アリンコ兵のご馳走になった。辺りには、いまだに甘い香りが漂っている。いまいましいことこの上なし。おなかがクウと鳴ったので、仕方なくチョコボールの畑をまわり、いくつか摘み取って口に入れた。いつもはウサギ大臣が集めてテーブルに載るのに、王さま自ら出かけなければならないとは情けない。しかし、チョコボールのいくつかではどこに入ったのかわからない。おなかもまだ空いているので、クロワッサンの畑まで足を延ばし、三つばかり頬ばった。そのクロワッサンにはバターがたっぷりきいていて、中にはチョコレートが入っている。やっとパイナップルの王さまは満足した。こんなところまで来るのは初めてだった。ウサギはひとりで、パイナップルの王さまのわがままに応えて、あれが食べたいこれが欲しいというたびに、遠くまで足を運んでいたのだろう。
空はほんのり色づいて、夕方が近づいてきたようだ。

パイナップルの王さまに、お尻を蹴られてぴょーんと外に飛び出したウサギ大臣は、そのままぐんぐんいきおいを増し、遥か彼方の空の上までやってきた。思わぬことから自由の身になったウサギ大臣は、まだ明るさの残る空に浮かびながら、空がこんなに広かったなんて、いままで気づかずにいたことが信じられずにいる。パイナップルの王さまに教えてあげたいと思ったけれど、もう会うこともないのだと気づく。
お友だちのいないパイナップルの王さまは、なんだかんだと言いながらも、ウサギ大臣とは仲良しだったのだ。
「さよなら、パイナップルの王さま。これからもわたしは空の上から、あなたを見守っていますよ」

 ウサギ大臣の思いが伝わったのか、パイナップルの王さまはクシュンとくしゃみをすると、誰に言うともなく言った。
「ふん、わたしはドーナツ王国の王なるぞ。寂しくなんてあるものか。ひとりのおしゃべりは気が合うし、いつまでだって話しが尽きない。鏡に向かって話していれば、いつのまにか朝になってることだってあるほどだ。ああゆかいゆかい。それに、晴れていれば、私の影と鬼ごっこだってできる。永遠につかまらない鬼ごっこなんて、ひとりでなけりゃできないだろう。どうだい、どんなもんだ。えっへん!」
 手鏡相手におしゃべりをしているパイナップルの王さまは、どう見ても楽しそうになど見えない。やせ我慢の我慢大会で優勝しそうないきおいだ。

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 空の上からウサギ大臣がそんなパイナップルの王さまを見て、ちょっと感傷的になっていると辺りが急に輝きだした。何かと思って目をやれば、色とりどりの星たちが、次から次へ、珍しがってウサギ大臣に近寄ってきたのだ。
「あら、新入りさんね。どうぞよろしく、わたしはベガよ」
「わたしはアルタイル、向こうにいるのが七星兄弟。三日月さんが来たらダンスパーティが始まるよ」
「あ、はじめまして、わたしはウサギ大臣、いや、もういまはただのウサギです」
「ほらあそこにお月さまが現れたわ」
「おや、ウサギさん、あなたは満月さんのところに住んでいらした方ではありませんか。お懐かしゅうございます」
三日月も満月も同じ月ではあるまいか。何が何だかわからぬまま、ウサギ大臣は月や星たちとベガの鳴らす琴の音に合わせて踊りつづけた。自分がこんなに上手に踊れることに驚き、ときどき星たちのこぼす金平糖をしゃりしょりやりながらまた夢中になって踊る。踊りながら、ここにパイナップルの王さまがいたらもっと楽しいのに、と思っていた。

パイナップルの王さまは、ひとりのしりとり遊びにも疲れてしまい、いまは大好きなチョコレートパイを食べつづけている。本当はウサギ大臣と半分ずつ食べる約束をしていたのだけれど、チョコレートパイもストロベリークリームムースも、全部ひとりで食べるのだ。だけどちっとも味がない。ウサギ大臣と一緒のときは甘くて優しい味がしたのに。
おなかいっぱいになっても、空しさいっぱいのパイナップルの王さまは、ため息一杯食べ過ぎて、ついにおなかが破裂した。
パッカーン! パイナップルの王さまもあっという間に空の上だ。

星たちのダンスパーティに、パイナップルの王さまが飛び込んでくると、驚いた星たちは一瞬、パラパラと散ったけれど、またすぐに集まってきた。
「あらあら、今度はどなた?」
「パイナップルの王さまです。よくここまで来られましたね。ほんとうに、お懐かしい。今朝お別れしたばかりとは思えないほどです」
 ウサギ大臣が赤い目に涙をいっぱい浮かべて駆け寄ると、パイナップルの王さまも泣き出した。
「ウサギぃ、お前がいなくてつまらなかったよ」
「王さま」
「お菓子もひとりで食べたけど、ちっとも味がしないんだ。ウサギ、また一緒に遊んでおくれよ。ごめんなさい。蹴ったりして痛かったろ?」
「王さま、わたしこそ許してください。王さまが楽しみにしていたケーキを台無しにしてしまった。おろしたてのスリッパだって」
「いいんだ。またケーキつくってくれるかい?」
「王さま、ええ、もちろんですとも」
パイナップルの王さまとウサギ大臣は、抱き合って仲直りをした。ところが嬉しさのあまりふたりがいつまでも泣きつづけるものだから、涙は辺りに散っていき、きれいな星屑にかわっていった。
すると、その様子を見ていた三日月がふたりに言った。
「さあさあ、いつまでも泣いていたら星屑ばかりになっちゃうわ。ベガ、音楽を! パイナップルの王さまもみんなと一緒に踊りましょう」

やがて、東の空に金星がやってきて、朝になりますよ、とみんなに知らせると、ダンスパーティはお開きになり、お月さまもお星さまたちも、みんなおやすみなさいと言い合って、それぞれの場所に帰っていった。
ふたりだけになると、パイナップルの王さまも安心したのか、大きなあくびをした。ウサギ大臣もつられてあくびをする。すると、ふたりとも急に体が重たくなっていき、浮かぶばかりだった体は、少しずつ沈むようにふうわりふうわり、足元の雲に乗って下りつづけ、やがて懐かしい木綿のドーナツ王国へたどり着いた。

 その日以来、ドーナツ王国では、パイナップルの王さまの呼びかけで、ダンスパーティが開かれるようになり、お隣のキッチンプリント王国から届く果物で、おいしいシロップ漬けができあがり、ミート王やラズベリー王女も呼んで、ウサギ大臣のつくる世界一美しくおいしいケーキをみんなに振舞った。パイナップルの王さまが、嬉しそうに言った。
「ああ、なんておいしいんだろう。ウサギ、ありがとう」
「とんでもありません。キッチンプリント王国から素晴らしい果物を頂けるお陰です。本当に感謝しております」
「そうだね。ミート王、ありがとう。そうだ、夏になったら、海のあるストライプ王国へ海水浴に行きませんか。みんなで一緒に」
「そりゃいいですな。ぜひ参りましょう」
「素敵だわ。ねえ、お父さま、楽しみね」
 ミート王もラズベリー王女も大賛成、夏の楽しみも増えて、パイナップルの王さまも嬉しそう。ウサギ大臣も目を赤くしてその様子を嬉しそうにみつめていた。
                                   おしまい

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