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きっと

父の入院、5月7日から4ヶ月。急性期病院はその目的から長く居ることもできない。
癌という診断はつかないけれど血液の難病への対処としての抗がん剤。
当初は、脊柱管狭窄症の手術を考え入院したはずだったのに、血液検査の結果不良と不明の熱から、複数の検査、PET CTや生検を経て病名の確定、抗がん剤治療、そしてその限界、のところまできてしまった。。
抗がん剤の対処により体を痛めながら二タームを堪えたけど、体がもうもたない。抗がん剤での治療を辞めてしまうことを考える今は緩和ケアの病院が選択肢となった。持ち堪える体と精神は衰えた今となっては、化学治療より緩和ケアが父にとってより良いで選択なのかもしれない、と家族と共に葛藤する日々。この唯一の選択肢を積極的に受け入れる葛藤と心の準備。

現在の状況を認識できない本人に代わり、選択を迫られる私たち家族にとって、何が本人にとってより良い選択なのかを決める過程は苦しくも言葉なき父の心との対話なのかもしれない。母も葛藤しながら献身的な日々の看護。

父ならばきっとこう考える、きっとこう選択する、きっと嬉しいはず。そう思えるまで対話を繰り返したい。

今度ドライブに連れて行く、と話すと喜ぶ父。車に座ることもできない今では、叶わないことかもしれないけれど、一瞬でも気持ちが晴れるような言葉をかけれて良かった。自然の家のコスモス、あの交差点、と少なくても発したいくつかの言葉にこちらの気持ちにも暖かい光が差した。状況すら認識していないと思っていた父が、「行けないと分かっていてもそんなことを考えるのは良いな」とそんな風に意外なことを呟いた父の言葉が心に刺さる。緩和ケアの病院に移って叶えてあげれるかもな。
九月九日、日曜の午後。

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