コトパクシ

二児と猫との毎日。

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最近の記事

もし生まれ変わるならば

9歳男子、日曜の帰り道の車中「お父さん、もし生まれ変わるなら何がいい?」「そうねえ、お父さんは日本の反対側のブラジルの人になるとかかな」「お母さんは亀とかね」「じゃあ、僕は太陽系で回ってる惑星とかかなあ、けっこう速いやつ」と首をかしげる答えだけど半分真顔、スケールだけはでかい。「もしダメならDNAかな」と今度はミクロの世界へ。どういう意味?半分冗談混じりなんだろうけど、半分本気。 これから成長するとこんな会話は成立しなかなるのだな。

    • 釣りと商いと。

      仕事の合間に釣り人達のYouTubeを覗くと、夜に居ても立っても居られなくなり、ついつい海の方へ車で向かってしまう。 何か魚が釣れるともちろん嬉しいのだが、釣れずともその行程と釣り糸を垂れる、幸運釣れたならその料理まで、過程全体がたまらなく好き。 潮汐表を調べ、冬でも釣れる魚とポイントを選択し、車を走らせる。 先日、妻と「商売の醍醐味って何だろう?」という話題になった際も、ついつい共通項の多い釣りに例えてしまう。テクノロジーをフル活用したやり方もあるし、古典的なものもあ

      • 10月5日

        友人の葬儀から帰宅の途上、父の容態悪化の連絡。 父、緩和ケア病棟22日目。台風24号が去りそれを追うように25号がやってくる。意識は遠くへ、そして深くへと。ゆっくりと命を燃やすように。 酸素マスクで息は強く、筋肉の硬直から全身が痛む様、痛み止めのモルヒネ。10秒ほど呼吸が止まったり、戻ったり。眉間にしわを寄せたり、目を見開いたり。 駆け抜けていく台風25号の風に向かうように、母と葬儀の打ち合わせに向かう。 小さな孫達もみなは列車で病室に向かう。

        • 10月1日

          父、緩和ケア病棟にて約二十日間。最初の病院からは5ヶ月。体重ももう35キロくらいかな。。 眠る時間が長くなり、言葉も意識も薄く遠のいていく。家族のことは、まだ意識の近くにあるけれど、これから先はぼんやりと薄っすらとなっていくのかな。 緩和ケア病棟に来て、念願のドライブに連れ出すこと2回。よく通った湖のほとり。生まれ育った田園の中の家。植えた柿をもいで渡す、それを握る。何が本人と、そして家族とにとって心安らぐ事なのか、自分が本人にしてやれる事は何か。 そうしてみても決してなる

        もし生まれ変わるならば

          4ヶ月と12日

          父の入院から4ヶ月と12日目。遂に3つ目の病院、緩和ケア病棟のあるところ。緩和ケアってがん患者さんやその家族にとっては馴染みが深いかもしれないが一般的にはまだまだ浸透していないと思う。 緩和ケアというと治療が出来なくなったがん患者の最後の場所、死への階段、といったネガティヴで悲しいイメージで語られることも多いが、そのイメージをポジティブに改革していこうとする動きがあることも確か。ホスピスという哲学が日本で日本人に浸透していくのか、とても興味深く見守っていきたいと思う。 自分

          何も知らなかっただけ

          本人にとっての選択を、本人に代わり家族が決めること。本人の心に自分の心を映し、、と思っていた。 決められない、と思い悩むその理由を考えた。とどのつまり、父の事を自分は何も知らなかっただけ。自分が父の心に寄り添おうと思っても知らないのだから寄り添えていない、知らないことを認めなければ。

          何も知らなかっただけ

          どんな言葉が。

          父の余命を告げられる。 2回目の抗がん剤の効果、それを受け止める体の状態、これからの選択肢。自宅から遠いが緩和ケア病棟のある病院。自宅のそばだが特別なケアがあるわけではない病院。 本人は病気と治療をきちんと認識し判断できる状態ではなく、家族が決断を迫られる。緩和ケアという選択について調べたり考えたり見学に行ったり、父ならどう考えるだろうかとぐるぐると思いを巡らす。 病院を移ること、移る先はどんなところか、なぜ移るのか、心地よい優しい場所であることの説明、どんな言葉で語り

          どんな言葉が。

          きっと

          父の入院、5月7日から4ヶ月。急性期病院はその目的から長く居ることもできない。 癌という診断はつかないけれど血液の難病への対処としての抗がん剤。 当初は、脊柱管狭窄症の手術を考え入院したはずだったのに、血液検査の結果不良と不明の熱から、複数の検査、PET CTや生検を経て病名の確定、抗がん剤治療、そしてその限界、のところまできてしまった。。 抗がん剤の対処により体を痛めながら二タームを堪えたけど、体がもうもたない。抗がん剤での治療を辞めてしまうことを考える今は緩和ケアの病院が

          深い川は静かに流れる

          思慮深い人は決して騒ぎ立てず、冷静に行動するというたとえ、なんだそう。心を川の流れに例えるところが好きだ。 小さな商売を営み約10年。小さく細く長くと思っていても働く仲間の気持ちも、舵取りをする自分の気持ちも、取り巻く経済環境も川の流れのように変わりゆく。コントロール出来ないことが多々あることを思い知らされる日々。それをコントロールできてこそ立派な舵取りなんだな。静かに流れる深い川を往くようにありたい。

          深い川は静かに流れる

          父、入院16日目。

          昨日で16日目。前の晩に入院による廃用症候群について妻と話す。 廃用症候群って過度に安静にすることや、活動性が低下したことによる身体に様々な症状が出てくることをいうそうで歩けなくなったり、後のリハビリにかなりの時間がかかってしまったり。外科の医師はこの点に敏感だけれども、内科の方はどうしても中身にフォーカスしてしまいがちで内科の盲点とも言われているそう。 2週間寝たきりなので少し心配になり、看護師に相談。内科・外科の医師にもこの点を伝えてもらう。ベッドでできるリハビリ等をは

          父、入院16日目。

          父、入院13日目。

          今日は長男の運動会、明日は頑張るよ、と祖父に話し夕方病室を出る。 書いたもの。 筆跡にある心情を想像する。

          父、入院13日目。

          父、入院12日目。

          日々のことは覚えていそうで簡単に忘れてしまうから、できるだけ覚えておきたいし、心の動きを正直に書いておこうとここに記録している。他人の、しかもその父親の入院の話なんて興味がある人なんていないと思うので自由にのびのび書きておきたい。 父、入院12日目。昨日は1日中母と一緒にいたせいか夜も落ち着いて寝れた模様。今朝「昨晩は何事もなく平穏に」と母よりメッセージ届く。痛み止めの薬の種類が三種から二種に、これがもしかしたら「せん妄」の症状を緩和してるんじゃないかな。 腰部脊椎管狭窄

          父、入院12日目。

          父、入院11日目。

          昨夜は大変だったな。父より母に電話、泣いてるからみにいってくれ、とのことでかなりの状態なんだな、と思い10時頃原付で対岸へ走る。病棟へ何とか入れてもらうもナースステーションで規約もろもろの説明あり、結局看護師に任せたけど、寝ているみたいですね、とのことでお役御免。 コンビニにより波止場で小休止。母より再度連絡あり、また泣き喚いているらしい。再度看護師に行ってもらうもまた寝ている、とのこと。寝たふりでもしてんのかな。。。看護師ちゃんと診てくれてるのかな?と少し疑念あり。 ナー

          父、入院11日目。

          父、入院10日目。

          腰の手術で入院も内科から外科になかなかバトンタッチできず。 内科の医師、来てくれて一緒に話した。肝臓の数値がまだ下がらないけど他の数値は改善してきてるからもう少し辛抱。薬は種類減らしてるみたいで。せん妄についても聞いてみたら、その症状は高齢者では一般的らしい。こちらは認知症と違って鮮明な記憶が残るらしい。 せん妄については医師も看護師もちょっと聞いた聞いてみたけど高齢者には誰にでも起こりうる症状、と言えるほど一般的みたいで。モルヒネなんかが混ざっている薬なんかは症状出やすい

          父、入院10日目。

          父、入院9日目。

          食欲かなり戻り饒舌に。8日目の血液検査の結果と方針がまだ聞かされず、内臓の状態が以前よりも好転しているかどうか知りたいところ。これからどうなるか、、の不安が強く夜眠れないらしい。8日目、移動式のシャワーを浴びることができ快適だった様子で機嫌も良く。 ベットから横のソファーに移り横になったりできるようになった。脚の血行も若干改善。今日の欲しいもの、かっぱえびせん、コーラ。もってきたもの、森に還る日、熊を彫る人。 〈猫の様子〉 小旅行の30時間、悪させずにおとなしく。 #入院

          父、入院9日目。

          父、入院7日目。

          予定していた通り、今日明日は義理の母たちとの一泊小旅行。母、姉でケア。 食欲、喋りも元気な時に戻りつつあり、と連絡あり。夜は不安らしく看護師さん達への不平を夜中に電話してきたりしているらしい。 明日の血液検査の好転に期待。内臓かくしょの炎症おさまりますよう。。。夜の病床はかなり不安らしく付き添いが必要か看護師のみなさんにも確認中。 身内を看護する側にたってようやくわかることがあると気付くこの数日間。 書物がないと落ち着かない父も今はそれすら不必要。今はほしい物リストには入ら

          父、入院7日目。