分かりすぎてしまう日本人はデメリットか
こんにちは、守屋です。
日本人は往々にして陰口と言えばいいのか、面と向かって意見を主張しないというのか、陰口文化が根付いているように感じます。
もちろん日本だけではなく、世界でも陰口や陰湿な嫌がらせが無いとは思いません。
ただ、日本人は匿名というものを利用して特定の人やモノに対して攻撃することで快感を得ている人もいるのではと最近感じます。
そんな日本人の性質を嫌う日本人も多くいたりします。
スポーツ選手でも、試合の結果に対して批判を浴びるなら仕方ないと受け入れますが、どうでもいいような噂で盛り上がったり批判されたりするメディアや個人に対してはうんざりしている人もいるのではないでしょうか。
だからこそ、日本を飛び出して世界でプレーすることを望む人も多くいると感じます。
どこにいても批判はついて回るもの。それでも海外では反応の仕方が異なる
海外に住んで現地の言葉が分からない状態でプレーする選手にとって、SNSで自分が何か投稿して、批判されても言語が理解できないから何も感じないし、その奥にどんな感情があるか探ろうとしないでしょう。
日本に来る海外のサッカー選手が食事の投稿をしているところに、日本人が批判のコメントを残しても、言葉が分からなければ理解しようがないですよね。
ただ言葉を理解できるようになり、コメントが分かってしまう場合だったとしてもイタリアやイギリスはもちろんのこと、サッカーの本場で知られている国では、負けた次の日は街に出ようものなら、
「お前のミスで負けたんだぞ!」
「お前は下手くそなんだから今すぐ練習してこい!」
と直接言われます。逆に勝利をした日には、
「この野菜全部持っていけ!次も勝てよ!」
「ブラボーな試合だった!食事をおごってやるぞ!」
というように称賛の嵐になるのです。
もちろんSNSなどでも批判するコメントはあると思いますが、ここで何が伝えたいかというと「良いものは良い」「悪いものは悪い」という称賛と批判というものが明確にされているという点が、日本と異なる部分ではないでしょうか。
日本人同士の察する力がエアコミュニケーションとなってしまう
試合中、練習中に日本人同士が言い争いをした場合、
「もういいよ。」
「言っても無駄だな。」
「わかるわけないお前には。」
などという表情や言葉で話し合うことをやめてしまいます。これはスポーツの世界に限らずに家族間、会社でも似たようなケースはよくある話だと思います。
ですが海外の選手は分からないことがあったり、理解されていないと思ったら積極的にコミュニケーションを取ろうとします。
日本人のように、
「空気を読む。」
「察する。」
なんてことは出来ない(もしくはしない)から話し合うことをします。暴力や権力でもなく、分かり合うために人間に備えられているコミュニケーションという手段を使うのです。
お互いが話し合った上で理解・確認しあう、意見が一致しないということであれば人間の価値観は様々ですから仕方ありません。
ですが何も発言していない、言い合わない状況で察して欲しい、空気を読んで理解して欲しいというのは、日本人同士だけが分かりあえてしまうからこそ発生するコミュニケーションではないでしょうか。
分かり過ぎてしまうからこそ、勝手に相手の気持ちを察してしまい、コミュニケーション不足になったりコミュニケーションスキルが上達しないように感じます。
間違っても構わないですし、相手のことを気にすることなくコミュニケーションもトレーニングの一環と考えて、積極的に話しかけること・伝えることこそ日本人にもっと必要なことではないでしょうか。
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