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もう二度と訪れることのない場所

みなさん、こんにちは。しんまるです。

先日、とある会社の開示情報で「米国子会社の工場での生産を停止して工場を閉鎖する」という記事を読みました。

かって、その子会社には出張ベースで何回も訪問しました。そして、私が米国に駐在していた時に新工場を設立するにあたって、色々と業務を行いました。

もう10年以上前の話になります。

当時、体調に不安がありながらも、自分自身のキャリアで重要と考えていた米国への駐在です。

現地で生活を始めてみたら、自分では事前にできるだけ英語の勉強をしたと思っていましたが、現地の人々が話す英語をほとんど聞き取ることができなくてとてもショックを受けたこと。

自動車の免許を取得するのに実技試験があったこと。

高速道路はほとんどの所で無料でしたが、決して都会ではないのに片側6車線以上あってびっくりしたこと。

ある日、その工場に出張に行った帰り、高速道路の夜間工事が行われていて通行止めのためナビが使えなくなって、どの道を行ったら家に帰れるのかと途方に暮れたこと。

ビザが切れるために急遽、米国を出国しなくてはならなくなって、慌ててカナダに行ったこと。

昨今、米国の物価が高いとか言われていますが、10年前でも米国の物価は安いと思えなかったこと。最後まで飲食店におけるチップのシステムに馴染むことができなかったこと。

飛行機の遅延やキャンセルを何度も経験したこと。

ある日、自宅の隣のアパートが火事になって、たくさんのパトカーと消防車が来たこと。出張のために敷地を出ようとしたら、私服の刑事?にすごい剣幕で止められたこと。

体調があまり良くなかったときに、現地でクリニックに行ったこと。健康保険がなく自費での支払いでしたが、すんごく高かったこと。ただのメモ用紙と思っていたのが実は処方箋だったこと。

何より、米国にいながら英語を使わずに生活が完結してしまうこと。私が出向していた子会社の従業員は私ひとり。現地の監査法人や銀行も担当者が日本人なので、英語を使う機会がほとんどない。。。

これでは何のために米国に来たのか!と伝手を頼って、英語の家庭教師を探して、毎週末スタバでレッスンしたこと。

その人と色んなお店に食事に行ったり、遠出をしたり。その先生にはとても感謝しています。私の米国生活でほぼ唯一と言っていい良かった思い出です。

私にとって、米国駐在は挫折です。いわゆる人事評価という意味でも。もっとこうしたら良かったという以上に自分の力が足りなかった。

それでも、挫折も私のキャリアの一部です。あの経験があったからというほどのことは成していませんが、あれから10年、私のキャリアは別の場所で今も続いています。

もうあの会社と接点を持つこともないだろうな。

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。




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