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南アフリカはLockdownに突入した。

3月27日 南アフリカ時間深夜0時
私はカタールのドーハにて東京・成田空港行きの飛行機を待っていたころ、南アフリカは史上初のロックダウンに突入した。

ロックダウンとは…都市封鎖とも言われる。特に定義はなく特定業種以外の営業停止や外出禁止、国際線運航停止、陸海の国境封鎖などが緊急事態宣言のもとに実施される制度。罰則がつくこともある。

私は3月はTwitterで南アフリカでのCOVID-19に関することや帰国するならを注目しつつ発信をしていた。というのもローカルマネージャーとして出張者のアテンドのために現地情報も集めていたのでそれを活用した。

上記のtweetどおり、3月に入っても南アフリカでの感染者はゼロだった。それが3月下旬には一変した。
3月23日夜、南アフリカのラマポーザ大統領からロックダウン実施を宣言。
その数時間後、弊社は南アフリカから出張者と駐在員の退避を決定。
そして旅行会社を通じて帰国便のチケットを確保。
我々はロックダウン開始12時間前に出国した。

最初の陽性患者確認から国際線の減便、非常事態宣言、ロックダウンまでの南アフリカの3週間を今回まとめていく。

3月初旬 ウイルスが世界的に広がりを見せる。 

世界的にはアジアからヨーロッパ、アメリカに広がりを見せた。
アジアでは入国制限などの対応が始まった国も。
アフリカでは大陸北部の数か国で陽性患者が確認され始めた。

3月5日 南アフリカで初の感染者確認

イタリアから家族で入国した男性が感染していた模様。のちにその家族も感染確認されていた。
実は2月末頃にも南アフリカで感染疑いのニュースはあったが立ち消えしていた。その時は中国人であったが陰性だったのかデマだったのか不明のまま。それもあってかまだ現地の様子は「いよいよ来たか。」という程度の受け止め方だった様に思う。

3月5日 日本が入国規制と制限を開始

この日はもう一つ大きな出来事が。
日本が香港・台湾を含む中国と韓国などからの入国禁止を決定。対象国から戻る日本人には2週間の自主隔離要請が出されることになる。

この手の決定でいつも振り回されるのは乗り継ぎとして経由し入国はしていない場合の対応。日本以外の国でも対応はまちまち。ちなみに日本の場合はNGで隔離対象となるらしいとのこと。
つまり影響なく帰国するには、香港経由と韓国経由の選択肢が消えた。

そして、入国禁止の国にわざわざ飛行機は飛ばなくなる。なのでキャセイパシフィックは香港-日本便の大半キャンセル(のちに全便キャンセル)したため、ユーザーである出張者もソワソワし始めた。

3月8日 ヨハネスブルグ OR Tambo 国際空港にて

私用でヨハネスブルグの空港に立ち寄ると南アフリカでも感染予防の周知とマスクや手袋の着用が始まっていた。

ヨハネスブルグから私用で出国していたのだが、アフリカ隣国から戻ってくるときの検疫はそれほど厳しいものではなかった。全員対象の体温チェックのみ。ただ、日本から入国した人に聞くと機内で質問票の記入と体温チェックもあったらしい。着陸から1時間も降りれなかったこともあったとか。


3月中旬 ウイルスの世界的流行が始まる

3月11日 WHOはパンデミック(世界的な大流行)にあると発言。

南アフリカの現地で生活していた体感では感染者は増えているものの、大きな影響は出ていなかった。感染者の推移としてもヨーロッパからの渡航者が感染していたのみで、南アフリカ国内での広がりはまだなかった。

ほかの途上国ではアジア人=感染者のような差別もあると聞いたが、私自身がカフェやモールに行っても、イベントごとで席が隣になっても何も言動はなく不思議なくらいだった。

ただ他の地域は深刻な状況にあった。アジアやオセアニアも各国が規制を開始。規制は多種多様で全入国者対象であったり、出発・経由地で変わるものもあった。後に規制強化した国も多く常に情報を取りに行く姿勢が大事だったように思う。

そして途上国や感染者数が深刻なヨーロッパなどから非常事態宣言・ロックダウンの声が聞こえてきた。

3月15日 南アフリカ非常事態を宣言

15日には南アフリカも規制の方向へ動き出した。
感染者の多いヨーロッパ各国や中国、アメリカなどをハイリスク国として入国禁止・発行済み渡航前のビザを無効化。中リスク国には香港やシンガポールを対象にして入念なスクリーニングの実施を決定。この時点で日本はどちらにも対象にはならず、直接の影響はなかった。

直接の影響はなかったが間接的に受けるのはやはりフライト。この規制でアメリカやドイツ、イギリス、シンガポールなどハブ空港へのフライトは大幅にキャンセルとなり利用不可となっていく。

3月18日 JICA海外協力隊(青年海外協力隊)の撤退を決定

この決定の数日前にはアメリカのボランティアであるピースコーも撤退を決定していた。
公用パスポートを使用する人たちの中で一番最初に保護される協力隊員。彼らの動向は途上国において治安や情勢を見極める一つの指標にもなると思っている。今回の全員退避は史上初のことで事の重大さが計り知れる。

3月下旬 ロックダウン実施の国が拡大。

3月20日 UAEロックダウン。エミレーツ航空大幅キャンセル開始。

隔離や入国拒否などを全く受けないのは中東経由だなと思っていた矢先、中東もロックダウンを始めてエミレーツ航空も大幅な減便を開始。いよいよ帰国フライトの選択肢が減ってきた。このころには出張者の前倒し帰国の実行と滞在延長の両方を探る。この時はまだ自分は滞在継続予定だった。

一方アメリカは国外への渡航を中止を勧告。またNY州は外出の自粛の徹底を要請。事実上のロックダウンとなる。

3月21日 南アフリカは翌日からロックダウン…?

南アフリカ国内ではのロックダウンのウワサが出回っていた。

この時は即日ロックダウンが始まるというウワサだった様で外務省が明確に否定した。ただその翌日に大統領演説の予告(のちに一日の延期)があり、ロックダウンは秒読み状態だった。

3月23日 大手航空会社軒並み運行停止。南アフリカ大統領の演説…

この頃にはエミレーツ・エディハド・ターキッシュなども全面運休を決定。弊社の出張者も便がぎりぎり残る週末までに帰国を決めた。この時点では自分はまだ滞在継続の意向だった。

南アフリカでの新規感染者の数は倍増したその日の夜、南アフリカの大統領が国民へ向けて演説。21日間のNational Lockdown実施を宣言した。

そこでややこしいのが26日深夜という表現、国際空港についての説明がなかったこと。実際には27日0時からロックダウンが開始され、国際線の運航も停止。また陸路での越境も不可となった。

この発表を聞いて弊社は26日中に出国することを決定。
そして自分も出張者と一緒に帰国することになった。
・万が一の医療面のリスク
・治安の悪化(大統領演説後から治安部隊として軍が出動)
・こもるなら日本でいいし、外出できる環境で休暇や自己研鑽に励む

自分としては残ってもいいかと思ったが、会社の助言に甘えることにした。

ここからは怒涛の退避準備。家や仕事の整理を進め、2日後の出国に向けて準備を進めた。
会社が確保できたフライトはカタール航空。カタールもロックダウン中ではあるものの、国際線の発着は規制せずに乗り継ぎ可能という姿勢だった。

3月26日 ロックダウン前日

我々はロックダウン12時間前に出国した。便もこれしか残ってないからかほぼ満席。駐在から前倒しで本帰国したような大荷物の家族とか駐在の旦那を残したような親子、防護服にゴーグルといった完全防備のアジア人といろんな人が利用していた。

移動中に見たニュースで日本はカタールからの入国も自主隔離対象にすると規制拡大を発表。ただし28日以降に出発する人が対象で27日中に出発・到着する我々はぎりぎり回避していた。

3月27日 南アフリカ時間深夜0時
南アフリカは史上初のロックダウンに突入した。
期間は4月16日までの21日間。

3月27日 日本時間18時
我々は成田空港にて無事に入国した。

今回の帰国では規制対象国を出発・経由していないので検査や問診などを受けることはなかった。確実な体温確認をサーモグラフィーで受けたのみで地元への帰宅もバスと新幹線を利用した。

現在、完全な自主隔離ではないものの政府の発信する3密の回避やソーシャルディスタンスを意識しながら生活をしている。

今後…

基本的には南アフリカへ入国できることを確認したら戻る予定です。

ただ前例のない措置で現状ではロックダウンを解除した国もありません。
つまりどの様に戻るのか参考になる例がない。

いまのところ考えているのは…
・ロックダウンを解除しても外出を認めるのみ。
・感染者の入国を阻止を目的に、ハイリスク国を設定し入国規制。
・仮に規制が緩和されてもハブ空港を経由できずフライトがない。
前例も発言もないので完全に自分の予想。

まずは感染者を抑える各国の取り組みが効果を上げるのを願うのみです。

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