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UNSUNG HEROES-Vol.7_岡田 奈津朱

アンサング・ヒーローズ。名も無きヒーローたち。シャイニングアークスにも、普段スポットライトを浴びることなく選手を陰で支える、縁の下の力持ちとも言えるスタッフがたくさんいます。そんな彼らに、少し陽の当たる場所に出てきてもらうシリーズ企画です。第7回目の登場は、副務の岡田 奈津朱氏。

かっこいい女性トレーナーに憧れて、この世界に

大学の時、文系学生だったのですが、アメリカンフットボール部のマネージャーをやっていたんですね。もともとスポーツが好きでアメフトにもすごく嵌まってしまい、そこでテーピングやストレッチ、応急手当てなどの勉強もしました。

その当時、社会人のチームと合同練習をする機会がありまして、そこで女性のトレーナーの方が、ガタイの大きい男の選手たちに笛を吹いて指示する姿を見て、「私もこういう仕事がしたい!」って憧れてしまったんです。

それで「どうすれば彼女のように成れるのか」と思い、チームドクターの先生に相談したら、「じゃあ、うちに来て勉強すれば」と言っていただいて、その先生のいらっしゃるスポーツ整形外科の病院に大学卒業後勤めることになりました。

そこで全く知識の無い私がお給料をもらいながら勉強をさせていただき、患者さんのリハビリメニューを作ったり、指導もさせていただきました。仕事をしながらストレングス&コンディショニングの資格も取らせてもらって、そこからトレーナーの活動が始まったんです。

その時期に、全国高校ラグビー大会が行われた花園ラグビー場で高校生にテーピーングをする機会があり、それが初めてラグビーと関わった経験になります。

その病院でトレーナーの仕事を約6年間やったあと、英語を習得するためにオーストラリアの語学学校に半年間留学しました。帰国してから縁があって、当時ラグビー・トップウェストに所属していたチーム「ワールドファイティングブル」のアシスタントマネージャーになりました。ですが、2年後にチーム事情で廃部となってしまい、これもまたご縁があってドコモラグビー部にアシスタントマネージャーとして勤めることになりました。

当時のドコモラグビー部はまだ設立から間もなかったので、環境を整えている最中でした。急激に強化していく中で、他のチームから多くのプロ選手が移籍してきたり、社員選手もそれまでは仕事がメインだったのがラグビーに比重が移っていったりで、チーム内に戸惑いも見られましたね。私が入ったシーズンはトップウェストリーグ所属だったのですが、翌シーズンにトップリーグに昇格しています。

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2012年 シャイニングアークス入部

ドコモラグビー部との契約が終わったあとの2012年に、これもご縁でシャイニングアークスに入ることになりました。その時は通訳をやりながら現場を預かるマネージャーとしての役割が求められていました。当時と今を比べると、ホームグラウンドをはじめ環境は全然変わりましたね。今はトレーニング施設として全て揃っていますし、ラグビーに集中できる環境になっています。

1年目は細川さん(※細川智広氏。元シャイニングアークス選手)と一緒に現場をやって、2年目からスケジュール調整を含めて現場は任せてもらい、3年目からは主務として一人でやりだしました。ただ、今と違ってスタッフの人数が少なかったので、あまりにも忙しすぎました。当時何をどうやっていたかって覚えてないほど、目の前にあることにひたすら取り組んで処理していくことで手一杯でしたね。

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「チームマネージャー(主務)」の仕事とは?

身近にお手本になる人がいなかったですし、誰かからチームマネージャー(主務)の仕事とはこういうものだと教えられたわけでは無いので、それまでの経験を通して、自分がチームに必要とされるため、他のスタッフに信頼してもらうために何ができるのか、何をすればいいのか、ということをいつも考えて取り組んできました。

ですから、仕事の内容を明確に話すことは難しいですね。ドコモの時代もシャイニングアークスに2017年まで勤めていた時も現場はほぼ一人でこなしていて、今のように何人ものスタッフで仕事を分担している状況では無かったので、その場で自分が対応できることが全て仕事だという感覚でした。業務内容は一言で言えば「チームをうまく回すこと」であり、選手がラグビーに集中できること、コーチがコーチングに集中できることを調整することが、「チームマネージャー(主務)」の仕事じゃないかなと、今でも思ってやっています。

あと、ノーと言わないことを心がけていますね。何かを頼まれた時に「できません」とか「無理です」という言葉を絶対発しないことは2017年から2年半の間ラグビーワールドカップ日本大会組織委員会で仕事をして、各国代表チームと関わり、そのチームマネージャーと直に接した時にも、それは間違いじゃなかったんだなと感じました。

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2017年4月からラグビーワールドカップ日本大会の組織委員会に勤務

組織委員会では「チームサービス」という部署にいました。業務内容は、チームとダイレクトにコミュニケーションを取り合って要望を聞き、チームが大会に集中できるようにすることです。その中で「プールマネージャー」として、プールDの5チームを担当しました。

今でも印象に残っているのは、ウェールズのチームマネージャーです。その方からチームがどういうものなのか見ておいたほうがいいと声をかけてもらい、大会前にカーディフまで行ってチームに1週間帯同することもできました。

その人は、それまで20年間ウェールズのチームマネージャーをやってきた60歳の方でしたが、どしっと構えていて、ダメなものはダメとはっきり言うし、でも選手から要望のあったものには応えてあげようという努力は影でされていて、そういう振る舞い方はすごく勉強になりました。

そして、選手ファーストの姿勢を貫いていました。私たちプールマネージャーに対して、自分たちが無理難題を言っていることはわかるんだけど、自分たちチームマネージャーは選手に対してサービスを提供することが仕事であり、あなたたちはチームに対してサービスを提供するのが仕事なのだから、それに対応しなければいけないんだと言われて、納得せざるを得ませんでした。

他にはオーストラリアチームに帯同させてもらったり、他のプールだったのですがアイルランドチームに2週間リエゾン(チームの生活をサポートする世話役)で帯同させてもらって、強豪国チームのマネージメントがどういうものなのかを直に見ることができたのは、今でも自分にとっての宝物です。

組織委員会での2年半は、怒涛の日々でした。辛い事、泣きたくなる事、色々ありましたが、その中で素晴らしい上司と同僚に恵まれ業務を全うすることができましたし、本当に貴重な経験をさせていただいたと思います。


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そして2020年10月、再びシャイニングアークスへ

2019年の11月に組織委員会の仕事を終えて、2020年の10月から再びシャイニングアークスで働くことになりました。今は「副務」として主務のサポートをしながら、現場でのメディア対応スケジュールの調整もやっています。

シャイニングアークスの特徴ですか?仲がいいってよく言われますよね。でも仲がいいって、いろんな意味があると思うんですよね。よく連むから仲がいいっていうのもあるのかもしれないのですが、上下関係が無くお互いに面倒をみるし、すごく慕いあっているのがわかる時があります。例えば以前いた時のことですが、選手が引退する時に若い選手が泣いているのを見たりして、いい関係だなあと。

今改めてチームに入っても、お互いに意見が言い合えるいい環境だなあって思います。若い選手が、自分たちの思っていることを上の選手に言える環境があるのかなと感じています。

ラグビーワールドカップ日本大会の時に強豪国のチームと直に接していて、今思い起こすのは、強いチームはまずマネージメントがしっかりしているということです。

強いチームはちゃんと規律があって、選手もスタッフもみんなが同じ方向を向いて信じる芯がありました。選手はコーチ陣やスタッフをすごくリスペクトしているし、もちろんスタッフも選手一人一人をリスペクトしています。また、自分たちが今の環境でラグビーができていることに対して、チーム全員がすごく感謝の気持ちを持っていました。自分たちに関わってくれた人、例えばチームが宿泊しているホテルのスタッフの人たちとか、キャンプ地の自治体の人たちに対しても、すごく感謝を示すことが浸透してましたね。

私が直に接したウェールズがまさにそういうチームでした。

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仕事の喜び

ラグビーワールドカップ組織委員会に勤めていた時に、いろんなラグビー強豪国チームと直に関わることができた充実感はあったのですけど、逆に物足りない感覚もありました。いくら自分が頑張っても自分のチームじゃないので、心の底から喜びが出ないというか。そう考えた時に、やっぱり自分のチームがあることって、すごくいいことなんだなあって思いました。自分がそのチームの一員にいられるっていうことが。

やっぱりチームが一戦一戦戦って、勝っている時には何があっても仕事が嫌にならないですし、自分がそのチームの一部だと思えることがすごくうれしいです。

あと、選手がニコニコしているのを見ると、いいですね。

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