見出し画像

臨紅の姐御とシンちゃん

あれは2006年のこと。それを書くための準備稿。気持ちが固まったら書ききる。

2020年04月16日(木)午前4時54分:今少し固まったので書く。彼女とは携帯電話(ガラケー)の掲示板で出会ってmixiに誘われて知り合った。なんでも実家の父が組長ヤクザだそうで実録系の本にインタビュー受けて紋紋出したりしてる。昔の自分はパーソナルスペースが尋常じゃなく広くあっさり受け入れたし仲良くなった。パーソナルスペースという表現は違う気もする、あの頃は偏見の実在がまだわからなかったんだ。そうそう、俺の家に鳥肌実コラージュした年賀状が来たときは爆笑したし親はビビってたよ。姉さん、鳥肌実の大ファンだったんだ。

姉さんは大切な人を亡くしたショックから心療内科に通っており、今でいうところの〝メディシン”中毒だった。「クリニックを何軒もはしごして薬もらってくるんだよ!」 なんて高らかにいうのを眺めていた。mixiでは同じコミュに入り、自分は本屋のバイト時代だったのでその生活を切々と語っていたが、姉さんは俺がねえさんと呼ぶこと許してくれていて、姉さんはシンちゃんと呼んでくれていたほどに自分に心を開いてくれていた。嬉しかった。早く東京来なよ、大人の色気を教えてやるよなんていわれたことも思い出す。

だから、甘えてしまったんだろう。最後の言葉なんて覚えていない。代理人のヤクザに「あなたこのままじゃストーカーですよ」と言われて絶句したのが最期だ。そのくらい彼女に甘えた。バイトを首になった俺を助けるために売って生活のたしにしろと渡してくれたものを売らなかったり、そのうち気が大きくなって今でいう「特殊詐欺」、当時の「システム詐欺」にルポライター見習いとして首を突っ込んで、抜けられなくなって姉さんに助けてもらったことは生涯忘れないだろう。なにしろ、彼女の生涯は2009年で終わっているのだから、今生きている自分は忘れられない。それほど恩があるし罪悪感や後悔もある、思いがありすぎる。「番号とか特殊な加工でどこで刷ったかすらわかる、父親(組長)の真っ黒い名刺があって、それをシンちゃんにあげるから、それで切り抜けな」って最初は言ってくれてたんだけど、やっぱりそれは破約になったってのもある。「あんたにはあげられない」と。あのときのクソガキでクズだった俺は人生を舐めてた。それをようやく知っている。

ねえさん、今おれは誰かに支えられるよりも、誰かを支えることで自分を癒して生きているよ。


2020年04月16日(木)午前5時13分:気持ちがいくらか溶けたのでまた固まったらちゃんと書く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?