失われた仏像を探せ 2

前回は別系統の二人の霊感・霊能力者から「失われた仏像を探せ」という感じの話を伺ったところまでで終わりました。

今回は御二人の系統の違いや、伺った話の詳細を書こうと思っていましたが、その前にどうしても先に書いておきたい事があります。

何故、自分が探すのか?
仏教に関して言えば魅力をそれほど感じません。それどころか反発心すら生じます。

前回、神道に関して少し触れたのと同様に、たんに無知から来る反発心かも知れませんので、生じる感情を客観的に見つめる、もう一人の自分も居ます。

仏教の哲学的な面には魅力を感じる部分もあります。欧米でも禅が宗教というよりも哲学的なものとして受け入れられているように。

そういう意味では、現在の(いわゆる)日本仏教ではなく、原始仏教や上座部仏教や小乗仏教と呼ばれる宗派のほうに仏教の枠の中では近いのでしょう。

大乗仏教の中では禅宗であったり、密教の理趣経などには感覚的に合う部分も有ります。

又、以前超訳を部分的に読んだだけですが聖徳太子も勧めていたと言われたり言われなかったりしている維摩経にも共感する箇所が有ります。

どちらにしろ、出家という概念には疑問がありますので仏教の信仰者という事でもありません。

まして仏像を拝むという感覚を自分は持ち合わせていません。

反発心すら生じます。と言って、かつてのタリバンのように偶像崇拝の仏像を破壊するべきというような考えも有りません。貴重な文化遺産として遺しておけば良かったのに…と思います。

仏像を拝むことで一瞬でも心が休まる方々への反発心が先に有るのではありません。

この辺は生じる感情を言語化するのが難しいです。

そういう感覚を持つ自分が何故、仏像を探している?

理屈抜きに「その仏像を探さねばならない!」と強く感じている一方で、「何故、自分が?」と頭では考えている背景を書きました。

この辺で休憩します。

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