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なぜ渋谷でチーズを作ったのか

初めて知り合った方や取材していただくメディアの方にでもいつも聞かれる質問があります。

「なぜ渋谷でチーズを作ろうと思ったんですか?」

WEB,メディアにお話したことが一部残っていたりもしますが、自らしっかりと文字に残したことがなかったので、文面に残しておこうと思います。理由は一つではなくたくさんあります。

都市部で作る理由

まず、渋谷でつくるという前に、なぜ都市部で作ったのかという話を書いておきます。

僕は2005年ぐらいにイタリアのナポリ郊外で出来たてのモッツァレラの美味しさを知りました。チーズを噛んだときに出るミルクのジューシーさ、甘さ。

それを多くの人に知ってもらい、広めるためにも、牧場に近い田舎ではなく、都市部でやる必要がありました。たくさんの食べてくれる人がいる都市で物件を探しました。

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SHIBUYAという冠詞

岐阜の田舎出身である僕に、渋谷という街への憧れがあったのかもしれません。

渋谷は西武や東急がつくった情報や文化の発信地の街、独自のカルチャーをつくってきた街です。

新しい価値観を届けるためには新しい文化を受け入れる場所である必要があり、熟考した結果、渋谷という場所が思い描けました。

またCHEESE STANDがオープンする前年の2011年当時、アメリカ視察でみたクラフトブームでは、「Mast Brothers Chocolate」「Blue Bottle Coffee」「Four Barrel Coffee」など3単語のブランド名が多く、また響きがとても心地よかったのです

CHEESE STANDのブランド名が決まったあとに、SHIBUYAという冠詞をつけて、店名を「SHIBUYA CHEESE STAND」としたのはそのためです。

ビジネス視点としての立地

「街に出来たてのチーズを」というコンセプトで新しい業態をつくるには、一部の人に刺さるようなインパクトが必要だと考えていたのと同時に、多くの人に広めるためにブランドに利便性がなければならないと考えていました。

店名や今までにない業態であったため、おそらくインパクトがあったと思います。けれども利便性がなければ広まりません。利便性は価格と立地だと考えていました。ビジネス視点で1号店の立地の重要性は言うまでもありませんが、その中でも以下4点が特に僕が選ぶのに重要視したことです。

 ①ビジネスマンと地元の住民が両方いる

渋谷区神山町はNHKのお膝元でもあり、ビジネスマンが多くいます。また少し西に行けば、日本でも有数な高級住宅街の松濤があり、他にも富ヶ谷、参宮橋、西原など住宅街があります。逆にビジネス街だと土日は暇となるし、住宅街だと人の流入がない。その両方が取れる場所を探しました。

 ②瑛太さんと木村カエラさんがいそう

代々木公園があり、植物が多く、落ち着ける場所。このエリアには自分のライフスタイルを持っている方が多くいらっしゃいます。美味しいプロダクトを作れば食にもこだわりのある人に受け入れてもらえる自信がありました。オープン当初の企画資料のペルソナとしては「瑛太さん・木村カエラさん」夫婦のような感度の高い30代ぐらいの方をターゲットとしていました。


 ③駐日大使館が多い

松濤エリアには多くの大使館があります。欧米の文化である、チーズを広めるためには、外国人の人に認めてもらうことが大切だと感じていました。

名称未設定のコピー

©OpenStreetMapより作成

そのおかげかオープン後初期にJapan Timesでも取り上げていただきました。

 ④渋谷駅から歩いて来られる

渋谷駅から井の頭通りというハンズの前の道を通れば最短で12分かかります。PARCOのほうから公園通りというメイン通りを通ると坂があり20分ほどかかってしまいます。

それでも日本で1,2番のターミナル駅である渋谷から歩いて来てもらえるというのはとても重要で、かつPARCOやハンズなどの買い物帰りや代々木公園でのイベント帰りだと5分ほどで着ける微妙な距離感も重要でした。

(ちなみに、渋谷の地図を広げて指で測るとわかるのですが、直線距離で渋谷駅のハチ公口からCHEESE STANDまでの距離は渋谷駅の南口から恵比寿駅ぐらいまでの距離があります。。遠い中多くの方にお越しいただき感謝です。


神山町〜代々木公園エリアの食を受け入れてくれる許容さ

いまでこそ奥渋谷と言われる地域。2012年当時も、素敵なお店がたくさんありました。

その中でもSPBSさんという本屋さんが好きでよく通っていました。カルチャーは本屋がつくるとさえ今でも思っています。飲食店にもMEMEMEやPUPUBBLE、pignon、アヒルストアなど個性的な店もすでにあり、なんだか素敵な街になりそうな予感がしていました。

また、2011年にOPEN HARVESTというイベントがありました。僕が食に目覚めたバークレーにあるCHEZ PANISSEというレストラン。そのシェフたちが日本で生産者を訪ね、東京のいくつか3箇所ぐらいの場所でPOP-UPをやるというもの。

Nomadic Kitchenのメンバーであるpignonさんや、SPBSさんのある神山町でもそのイベントが行われ、鹿肉のハンバーガーなどが売られていました。今ほどSNSが発展していない時代に、それほど告知していないにもかかわらず多くのお客さまが集まりました。神山町にはそんなこだわりのある食文化を受け入る許容範囲が広くあることを知り、この街で出店したいと強く思ったのです。


今思う夢

今はSNSやスマートフォンの発展で、立地というハードルが2012年よりは低くなっている気がしていますが、それでも1号店はこのエリアでとても良かったと今でも思っています。

飲食以外で物販もやっているため、地元のリピート客の方も多く、地域の方に愛されて来ていると思っています。

1ヶ月以上、いろいろなところを歩いたり、不動産屋に飛び込んで情報を得ながら、自分で考え抜いて選んだ場所だったからこそこの土地に愛があります。

僕の今の夢は、この育ててもらった渋谷をチーズの街にすることです。

小さい頃やっていた桃鉄。最新版の桃鉄に渋谷の駅があるかは不明だけれども、渋谷の駅の近くにチーズのアイコンがでるくらいに渋谷=チーズのイメージに出来たらいいなぁと。そのためには、今までにつながった多くの仲間とチーズを知ってもらう活動をしたり、奥渋の仲間たちの力を借りながら代々木公園でチーズフェスを開催したりしていきたいと思っています。

これからも応援よろしくおねがいします。

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