見出し画像

YOASOBI「勇者」/『葬送のフリーレン』と共に歩む旅路

こんにちは。桜小路いをりです。

最近、アニメ「葬送のフリーレン」にひそかにハマっています。
流行りのアニメはいつも後から追いかけるタイプなのですが、今回ばかりは1話から毎週視聴しています。

私に「葬送のフリーレン」を見るきっかけをくれたのが、オープニング主題歌のYOASOBIの「勇者」でした。

今回の記事では、「葬送のフリーレン」のお話に触れつつ、「勇者」という楽曲について、私の想いを綴っていきます。

約5000文字の長い記事になっていますが、旅は道連れ世は情け、この記事を訪れてくださったことも何かのご縁ということで、ぜひ最後までお付き合いください。

アニメ「葬送のフリーレン」について

未視聴の方にも分かりやすくするために、先にざっくりとさわりだけご紹介しておきます。

物語の舞台は、勇者ヒンメルが率いる勇者パーティーが無事に魔王を倒し、平和になった世界。
千年以上の時を生きるエルフであるフリーレンは、魔王を倒し終えた後、今度はひとりで魔法収集の旅に出ます。

ヒンメルたちと再会したのは、魔王討伐からなんと数十年後。
共に10年間“だけ”旅をした勇者ヒンメルは、すっかり年老いていました。

彼の死をきっかけに、フリーレンは「人間の寿命は短いと分かっていたはずなのに、どうして知ろうとしてこなかったんだろう」と後悔します。

フリーレンは、かつてヒンメルたちと共に歩いた10年間の旅路を、再び辿ってみようと決心。趣味の「魔法収集」のために、そして何より「人間を知る」ために。

「葬送のフリーレン」は、魔王討伐の旅によって変わったフリーレンの、「二度目の旅」を描く物語です。
ほんのりと切なくも、人から人への愛情の温かさに溢れた作品となっています。

以後、ネタバレ等々がありますのでご注意ください。

「勇者」について

YOASOBIの「勇者」の歌詞の中で語られている「君(=勇者)」は、かつてフリーレンと共に旅をしたヒンメルです。

「勇者」という言葉は、パーティーの中の役割を表すだけでなく、この歌詞では「勇気のある人」という意味合いが強いように思います。

まるで御伽の話 終わり迎えた証
長過ぎる旅路から切り出した一節
それはかつてこの地に影を落とした悪を
討ち取りし勇者との短い旅の記憶

長い時を生きるフリーレンにとって、ヒンメル率いる勇者パーティーとの旅は、とても短いものでした。(アニメにも「私の人生の百分の一にも満たない」という台詞があります。)

しかし、その時間は、自身がこれまで歩んできた長い人生から思わず「切り出し」てしまうほど、フリーレンにとって大切なものになります。

そこから先の展開すら変えてしまうほどの「一節」。
フリーレンを変えたその旅は、「思い返すたびに『くだらなくて楽しい旅だった』」と思ってしまうような温かいものでした。

(ちなみに「一節」とは、「文章や音楽の区切り」という意味なので、音楽に溢れた街が舞台のこの曲の原作小説にも、また「小説を音楽にするユニット」であるYOASOBIにもぴったりの言葉のように思います。)

物語は終わり 勇者は眠りにつく
穏やかな日常を この地に残して
時の流れは無情に 人を忘れさせる
そこに生きた軌跡も 錆び付いていく

勇者として名前を残したヒンメルも、寿命のある人間です。
天寿を全うし、たくさんの人に悼まれながら眠りにつきます。

「人は『肉体的な死』が一度目の死、『誰の記憶からも忘れ去られたとき』が二度目の死」とよく言われますが、この曲で描き出されているのは、「二度目の死」の切なさ、寂しさです。

もちろん、ヒンメルは世界を平和にした勇者ですから、その名前を知る人が誰一人としていなくなるのは、途方もなく先のことかもしれません。

でも、その「勇気」は、どうでしょうか。
彼がどんな想いで、どんな「軌跡」を辿って戦ったのかは……きっと、彼の姿を実際に知る人しか知り得ません。そして、その人たちも、いつかはいなくなってしまいます。

そして、長い寿命をもつフリーレンは、きっと「ヒンメルという人物がもっていた勇気」を知る人がいなくなった世界になっても、そこで、ひとりで生きていかなければならない。
その切なさと寂しさが、「そこに生きた軌跡も錆び付いてく」という、事実を静かに切り出した言葉の中に匂い立っています。

それでも君の 言葉も願いも勇気も
今も確かに私の中で 生きている

「生きている」と歌うときのikuraさんの歌声、すごくドラマチックだなと感じます。

ヒンメルという人物はもうこの世にはいない。
けれど、「心」や「記憶」という、目に見えない自分自身の内側には、その息吹を、存在を感じることができる。
まだ消えていない確かな温もりも、その儚さも感じさせる歌声です。

同じ途を選んだ
それだけだったはずなのに
いつの間にかどうして
頬を伝う涙の理由をもっと知りたいんだ

原作を読んでいないので完璧な断言はできないのですが、フリーレンが顔を歪ませて号泣するのは、ヒンメルが亡くなったときだけでした。

それほどまでにヒンメルが大切な存在だったことを、フリーレンは、彼が亡くなってから気がついてしまいます。(1話のこのシーン、とても胸がいっぱいになるのでぜひ見ていただきたいです。)

また、「途」という言葉が印象的だったので調べてみたところ、これは「旅の道すじ」という意味だそうです。また、「手段」「方法」などのニュアンスもあります。

この言葉から、当初、フリーレンにとってのヒンメルたちとの旅は、「たまたま行く道すじが重なっただけ」くらいの認識だったのではないでしょうか。
それこそ、「旅は道連れ」のような感覚だったのだと思います。

「それだけだったはずなのに」、胸に込み上げてきたのは「どうして知ろうとしてこなかったんだろう」という後悔。

これがお話の始まりという時点で、「葬送のフリーレン」という作品がいかに斬新な物語なのかがよく分かります。

今更だって
共に歩んだ旅路を辿れば
そこに君はいなくとも
きっと見つけられる

ここのikuraさんの声も本当に素敵。
「きっと見つけられる」というフレーズに、使命感にも似た強い決意が溢れています。

物語は続く 一人の旅へと発つ
立ち寄る街で出会う人の記憶の中に残る君は
相も変わらずお人好しで
格好つけてばかりだね
あちらこちらに作ったシンボルは
勝ち取った平和の証

フリーレンが、もう一度歩み始めた旅路。
それは、これまでの魔法収集を目的とするだけではなく、「人間を知る」という新たな目的も加わった旅です。

ヒンメルは、作中でも、勇気があって強くて、人情に厚い優しい人物として描かれています。
そして、自分の容姿に大いなる自信をもっている……ちょっとナルシストな部分もあったり。(でも不思議と嫌味がなくてお茶目です)

「自分たちの銅像を各地で作ってもらった」「自分の銅像を何度もリテイクしてもらった」なんて描写もあります。
でも、それは、「自分の姿をできるだけカッコよく残したかったから」だけではないのです。

それすら未来でいつか
私が一人にならないように
あの旅を思い出せるように
残された目印

銅像を何度も作り直してもらうほど、自分の姿を忠実に残したかったのは、自分がこの世からいなくなった後も、フリーレンに自分たちと歩んだ旅を思い出してもらうため。

長い命を生きるエルフは、もしかしたらその時間の中で、すっかり孤独に慣れているのかもしれません。
でも、きっと、寂しく思う瞬間も来るから。

そのときのために、フリーレンの記憶を呼び起こすための「目印」を作っておきたいと願ったヒンメルは、「優しい」なんて言葉では足りないほど温かい人物だと感じます。

まるで御伽の話
終わり迎えた証
私を変えた出会い
百分の一の旅路

ここの歌詞、文字だけ見ると、韻を踏みながら淡々と事実を述べているように見えます。
しかし、ikuraさんはこの歌詞を、どこか縋るような必死さも感じるほど、強い声で歌っています。

それは、この後に続く言葉が、並々ならぬ決意をもって語られるものだからではないでしょうか。

君の勇気をいつか風がさらって
誰の記憶から消えてしまっても
私が未来に連れて行くから

長い時を生きるフリーレンにできること。
それは、ヒンメルの勇気を、彼が成し遂げた功績を、少しでも遠い未来にまで「連れて行く」こと。

「連れて行く」という言葉からは、その旅路を共に歩んで行く、というニュアンスも感じます。
それも、常に傍らに置いて、どんなことがあっても大切にする、というような。

君の手を取った あの日全て始まった
くだらなくて
思わずふっと笑ってしまうような
ありふれた時間が今も眩しい
知りたいんだ
今更だって
振り返るとそこにはいつでも
優しく微笑みかける君がいるから

こんなに切実で儚くて、それでいて溢れんばかりの強さを感じる歌詞、これまで、どれくらい出会ったことがあるだろう。
思わずそんなことを考えてしまうくらい、本当に素敵な歌詞、素敵な言葉の数々。

なんだか、「勇者」からは、フリーレンが心に秘めている想いを、代弁しているような印象を受けます。

フリーレン本人に訊いたら、絶対(エルフの途方もなく長い人生経験で培った技で)巧妙にはぐらかされてしまいそうなこと。
フリーレンの言動の端々から滲み出てくる優しさが、どんな想いから湧き出ているのか。

そんな部分を、的確に言葉で掬い上げているような気がしてなりません。

(それこそ、フリーレンが収集している魔法の中に「心に秘めた想いが歌になる魔法」があって、それによって作られた歌、というような気がします)

「君がいるから」というikuraさんの声も、情感を込めつつも決して叫ぶようではなく、クールなフリーレンの印象の中に収まるような表現がされているように思います。

新たな旅の始まりは
君が守り抜いたこの地に
芽吹いた命と共に

壮大なコーラスの後に歌い上げられるこのフレーズ。
初めて聴いたときは、なんとなく、「この後、さらに壮大な展開があって曲が終わるんだろうな」と感じていました。

しかし(!)ここで予想を鮮やかに裏切ってくるのが、YOASOBIのコンポーザーAyase氏。

「芽吹いた命と共に」というフレーズは、ikuraさんの柔らかな声で、まるで「芽吹いた命」をそっと愛おしむように歌われています。
地に足を着けて、一歩一歩その旅路を進んでいくフリーレンにぴったりな、足元からふわりと広がっていくような印象です。

そして、その後に続くのは、どこか優しげで少し切ないメロディー。
これが、「葬送のフリーレン」という作品を包み込む切なさや、ほのかな痛みに共鳴するような気がします。

これだからYOASOBIの楽曲は、Ayaseさんの曲も歌詞も、ikuraさんの歌声も、もちろんMVも、全ての要素が原作小説に寄り添っていて、たまらなく大好きです。

まとめ~共に歩む旅路を~

私は、この「勇者」という曲こそ、アニメ「葬送のフリーレン」とその視聴者が歩む旅路を共に進んでくれる存在なのではないか、と感じます。

その理由は、「勇者」が、フリーレンの旅の始まりを描いた曲だからです。

フリーレンの旅が、ひとつ、またひとつと進むたびに、きっと、その始まりに想いを馳せてしまうから。
その原点を振り返りながら、決意を新たにしたり、これからのさらなる旅路に想いを巡らせてしまうから。

フリーレンの心に、いつまでもヒンメルの勇気や優しさが息づいているように。
私たち視聴者の心にも、これからずっと、「勇者」に込められた想いの数々が温かく光り続けるのではないか、と私は感じます。

また、この曲が絶えず人々の心に残ることこそ、フリーレンの決意のひとつでもある「ヒンメルの記憶を未来に連れて行くこと」の一助になるのではないでしょうか。


さて、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

ついつい熱々に語り尽くしたくなってしまうほど、私はこの「勇者」という曲が大好きです。

他にも素敵な登場人物がたくさんいるところ、今回はフリーレンとヒンメルの二人の関係性に絞って書かせていただきました。(ちなみに私はフェルンとフリーレンの関係性も好きです。)

この記事で、ほんの少しでも、アニメ「葬送のフリーレン」とYOASOBIの「勇者」の魅力がお伝えできていましたら幸いです。


今回お借りした見出し画像は、白いスイートピーの写真です。白い花びらが、MVでフリーレンが着ている白いワンピースのように見えて、選ばせていただきました。青空の色も素敵。ちなみに、花言葉は「別離」や「優しい思い出」です。


この記事が参加している募集

アニメ感想文

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。