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【時間旅行シリーズ〜日本文学をうたう。〜」

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日本の偉大な詩人・小説家の方々の《言葉の芸術》を私なりの解釈で音とイラストで映像にしています。【中原中也・萩原朔太郎・室生犀星・芥川龍之介・林芙美子…】
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記事一覧

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室生犀星「愛あるところに」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆  室生犀星さんの詩「愛あるところに」を、私なりの解釈で音楽と映像にしました。  この詩が収録された詩集「愛の詩集」は、はじめて犀星さんが出版した詩集でした。  犀星さんは、生まれてすぐ金沢の雨宝院というお寺に引き取られました。 住職であるお義父様は、香りの高いお茶をたてては、よく犀星さんを部屋へ呼んでくれたそうです。 そして、そのお茶やお義父様の優しさや、深い愛が、詩をつくる犀星さんをいつも励ましてくれたそうです。  しかし、残念ながらお義父様は、この記念すべき第一冊めの詩集が出版される前に病気で亡くなってしまいました。 室生犀星さんはそれをとても悔やんだそうです。(この「愛の詩集」の中でも何度も語られています)  この「愛あるところに」という詩には、出版までの室生犀星さんの多くの苦労や苦悩、そして出逢ったすべての人や出来事から、 犀星さん自身がたどり着いた、犀星さんだけの『真実の生き方』が見えてくるような気がしました。  ボロボロになった新約聖書や、 出逢った素晴らしい仲間たち。 清く生きる事を心から望み、選んだ道にはどんな瞬間にも愛が溢れていた事を、 お義父様へ伝えているのではないかなと思いました。

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室生犀星「供物」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆  室生犀星さんの詩「供物」を、私なりの解釈で音楽と映像にしました。  室生犀星さんの一番の親友であった、萩原朔太郎さんが亡くなり、捧げた詩だそうです。  室生犀星さんは面倒見がよく、萩原朔太郎さんの世話をよく焼いていました。  芸術家同士、違う作風のそれぞれの道を歩んでいても、お互いの一番の理解者であった事、  「大切な人がいなくなってしまった事」 「命がなくなってしまった事」  その時、こころが感じた純粋なさみしさが、この短い詩の中には愛と共につまっているのではないでしょうか。

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林芙美子「蒼馬を見たり」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 林芙美子さんの詩「蒼馬を見たり」を、私なりの解釈で音楽と映像にしました。  女優の森光子さんで有名の「放浪記」の作者でもある林芙美子さん。  彼女は複雑な生い立ちを持ちながらも、働きながら勉学に励み、文才を磨いた方でした。 女学校を卒業してからも、恋人に裏切られ、貧乏と批判、世間に認められない自らの文学に、苦悩し、苦労しながらも、いつでも根性で果敢に現実に立ち向かった女性でした。  そんな彼女の詩「蒼馬を見たり」という詩には、「心の底で燃える青い炎のような、女性の静かな怒り」と、それを純粋に感じとる清らかさを感じました…。 そして、彼女がたくましく生きる中でも、「父や母や古里の蒼馬」という唯一自分を許してくれた存在を思う、繊細さを作品に垣間見ました。

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室生犀星「小景異情 その二」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 室生犀星さんの「小景異情 その二」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。  室生犀星さんは金沢氏に生まれ、すぐに雨宝院というお寺の養子に出されました。それは「妾の子ども」という理由からでした。そのため、陰口を叩かれたりいじめにあう事もあったそうです。 しかし犀星さんには詩や文学がありました。  21歳で上京を果たしますが、貧しい生活から故郷へ戻っては上京するという放浪を繰り返していました。 しかし故郷へ戻っても受け入れてもらえる事はなく、改めて故郷から都会へと向かう時に、この詩は書かれたそうです。  そして、面倒見がよく愛が深い犀星さんには、萩原朔太郎さんをはじめ、北原白秋さん、芥川龍之介さん、その他にも多くの文士の仲間と出逢いました。   「二度と帰るまい」と故郷を離れた時には、人生の向かい風だったのでしょうけれど、心の中にこそ本当のふるさとがある事を信じた犀星さんは、その向かい風を追い風に変える事ができたのだと思います。 悲しみだけでは終わらない、決意の風をこの詩に感じました。 ★この楽曲が収録されたCD「田端文士と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ このCD「田端文士と私」には、解説ライナーノーツも付いております。よろしければぜひお買い求めください♪

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芥川龍之介「羅生門」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 芥川龍之介さんの「羅生門」という物語を、私なりの解釈で音楽と映像にしました。 「羅生門」は高校生の頃に、現代文の授業で習い出逢った物語でした。 時を経て今、再会し改めて多くの事を感じました。  物語の中では、人の心のずるさや、 悪い事とわかっていても「みんなやっている」という言葉で簡単に流されてしまう弱さ、 生きづらさや時代の閉塞感によるストレスが爆発した世の中、 「正義」のようでいて真逆を行く危険な行為、 などなど…   そして、物語の中の時代では、飢饉や災害などによって、人々の心は無秩序状態です。   現代にもしそのような事が起こったら、 そんな時に自分を見失う事がないように、 今一度心を見つめ直し、良心の在り処を確かめたいです。  今のうちに、それを「みんな」できちんとする事が一番大切なのだと、芥川龍之介さんは、この「羅生門」という物語は、きっと今の私たちに教えてくれていますね。 ★この楽曲が収録されたCD「田端文士と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ このCD「田端文士と私」には、解説ライナーノーツも付いております。よろしければぜひお買い求めください♪

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萩原朔太郎「こころ」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 萩原朔太郎さんの「こころ」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。 皆さんには、離れ離れになっても大切に想う人は、いますか? 「こころをばなににたとへん」とは、「こころを一体なにに例えよう」という意味です。 うれしい日にも、かなしい日にも、 愛しかった、大切だった、あの人の思い出と生きている。 けれど、その思い出に寄り添って悲しんでみても、戻らない。 もの言わぬ思い出を抱きしめる度に、 しあわせで、だけど傷ついて、 そのさびしさを手放さない、この「こころ」。 とても美しい言葉で綴られています…。 萩原朔太郎さんには、詩人で小説家である室生犀星(むろう さいせい)さんという親友がおり、一番の理解者だったそうです。 彼らの強い絆と、若き日の思い出を、この「こころ」という詩に思いました。 ★この楽曲が収録されたCD「田端文士と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ このCD「田端文士と私」には、解説ライナーノーツも付いております。よろしければぜひお買い求めください♪

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萩原朔太郎「絶望の逃走」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 萩原朔太郎さんの「絶望の逃走」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。 人が、本気で「逃げる」「捨てる」と決めた時、 「決断」をする時、 それは立ち向かうのと同じくらいの(もしかするとそれ以上の)ちからを要するかもしれません。 自分が決めた事を誰にどう言われようと、「自分が信じるものは、自分が決めるものだ」と、自らの前方を信じた時、いつの間にか風が生まれるのだと私は思います。 その時には、何も惜しまず行きたいですね。 ★この楽曲が収録されたCD「田端文士と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ このCD「田端文士と私」には、解説ライナーノーツも付いております。よろしければぜひお買い求めください♪

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萩原朔太郎「さびしい人格」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 萩原朔太郎さんの「さびしい人格」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。 詩集「月に吠える」にて語られていた詩や人の心というものへの考えに、とても共感し、うたにしてみたくなりました。 萩原朔太郎さんの感じていた「さびしい」という気持ち、自分をどうしても孤独に追いやってしまう心、生きづらさを感じてしまう事。 そんな自分の心の状態を理解し、 友情も恋情も超えた何かを教えてくれる人への、 痛ましいほどの愛とさびしさを感じました。 ★この楽曲が収録されたCD「田端文士と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ このCD「田端文士と私」には、解説ライナーノーツも付いております。よろしければぜひお買い求めください♪

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中原中也「頑是ない歌」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 中原中也さんの「頑是ない歌」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。 中也さんの人生を調べてみると、それはそれは波瀾万丈な人生でした。 幼い頃に弟さんを亡くされ、ご自身がお若い頃には愛する人が一番の理解者であった親友の元へと去り、 詩人としての活動の中で孤独に苛まれ、苦しみながら、悲しみながら、迷いながら、生きた人生だったそうです。 しかし、そんな中也さんも結婚をし、子供を持ち、 この詩の中では、今までの自分の人生を懐かしみ、恋しく振り返っています。 そして、弱気な気持ちもありながら、それでもまだまだこれから、 家族のためにもがんばろうとする、前向きな気持ちが綴られています。 けれども中也さんは、病によって三十歳の若さでこの世を去ってしまいました。 さらに、この「頑是ない歌」が発表されたのは、中也さんが亡くなった翌年の事でした。 つまり、中也さんは、どんなに苦しくても悲しくても、自ら命を絶つ事などは考えにもなく、 その瞬間を全力で生き、詩にし続けた人生だったのだと思います。 そして、「頑是ない」とは「聞き分けのない」「無邪気な」といった意味だそうです。 きっといくつになっても、今感じているような不安や苦悩に苛まれて、 子どものようにつまずき転んだりするものなのかもしれません。 「けれど、それも生きているからこそだ」、と、 「死にたい」なんて一言も語らないこの詩が、 どんな事があっても生きてゆこうとする中也さんの姿勢が、 今日をなんとか生きている私たちを、励ましてくれます。 最後に、中也さんは、汽笛の音をきいたあの頃の心のまま、目には見えないけれど確かにそこにあるものを、 詩人として、ずっと追い求めていたのではないでしょうか。 この楽曲が収録されたCD・DVD「中也と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ ★CD・DVD「中也と私」には、YouTube未公開映像の、中原中也さんの「湖上」も収録されています。よろしければぜひお買い求めください♪

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中原中也「骨」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 中原中也さんの「骨」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。 「ホラホラ、これが僕の骨だ、」 この衝撃的な詩のはじまり方に多くの人が驚かれたのではないでしょうか。 自分で自分の骨を見ているかのような奇妙な詩ですが、どこか軽やかさがあり、それがまたより狂気を感じさせます。 人は、追い詰められた時、死にたくなる・死を選んでしまうといった事が、この頃よくありますが、 それに対して他人が頭ごなしに「そんな事を言ってはいけない・思ってはいけない」 と言うのもまた、悲しみの種を蒔くだけなのではないかなと思います。 そんな時に、この「骨」という詩を読んでみますと。 中也は自分の骨を見ている。 その骨を描写したり、生前の自らに思いを馳せてみたり、 浮遊する意識の中で、生と死の間を、彷徨う。 私の勝手な想像なのですが、もしかしたら中也さんは、 「詩」という、常識も意識も何もかもすべてが自由な世界で、 自分の弱ささえも許される言葉の景色の中で、 【死の疑似体験】をして心を遊ばせて、自らの精神を救済していたのではないでしょうか? 自分の中で「死」という概念から、癒しだけを持ち帰っていたのではないでしょうか。 「生きる」「生きてゆく」という事に 真剣に向き合った者だけが感じる事ができる「苦痛」。 その苦痛を解放する方法は死なずとも見つけられる、と、 現代の悲しみをも骨の髄まで癒し、ちからを与えてくれる、この「骨」という詩なのかもしれません。 この楽曲が収録されたCD・DVD「中也と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ ★CD・DVD「中也と私」には、YouTube未公開映像の、中原中也さんの「湖上」も収録されています。よろしければぜひお買い求めください♪

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中原中也「サーカス」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 中原中也さんの「サーカス」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。 様々な地をまわり、人々の日々の悲しみを一時忘れさせてくれるサーカス。 皆を楽しませてくれるはずのサーカス。 だけど、みんなと同じようには思えなかった心を、この詩には感じました。 みんなの心を惹きつけてやまないサーカスですが、 その華やかさの裏にあるものを中也さんは見つめていたのではないでしょうか。 そしてこの詩は、まるで現代を風刺しているかのようにも感じました。 みんなの退屈や憂鬱を一時わすれさせてくれる、埋め合わせてくれる、 テレビや、SNSや、ゲーム、などなど…。 それらを活用していながら、ふ、と思います。 本当の幸福とは、何なのでしょうか? 情報に踊らされて、流されて、 自分の本当の気持ちや直感を、忘れてしまってはいないか? 自分を失ってはいないか? そうこの詩に問いかけられているような気がしました。 そして、そんな鰯(いわし)の群れからはぐれてしまったからには、 自分が本当に素晴らしいと思えるものを、 自分の心が素直に感じる事を、 今こそ私は、信じてみようと思います。 この楽曲が収録されたCD・DVD「中也と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ ★CD・DVD「中也と私」には、YouTube未公開映像の、中原中也さんの「湖上」も収録されています。よろしければぜひお買い求めください♪

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中原中也「月夜の浜辺」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 中原中也さんの「月夜の浜辺」を私なりの解釈で音楽と映像にしました。 夜、浜辺に落ちていた「ボタン」は、 誰にも見向きもされないようなものかもしれません。 けれど、手放せない。 途方もなく愛しくて、 自分には輝いて見えてたまらないのだ! 「もう手放せ」と、ひとに言われたとしても、それができないのだ! と、子どものように泣きわめきながらも、 目をきらきらと輝かせている中也さんの姿が、この詩を読んだ時に思い浮かびました。 自分のしあわせや、 自分の好きなもの・嫌いなもの、 何に感動し、何をするのか、 それは、自分の心が決める。 たとえ世の中においての正解が決められていても、 それに縛られる事はないのだ、 心はずっとずっと自由なのだ、 と言ってくれているような気がしました。 そして、 私にとっての「ボタン」は、 あなたにとっての「ボタン」は、 それぞれの心が、きっともうよく知っているのでしょうね。 この楽曲が収録されたCD・DVD「中也と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ ★CD・DVD「中也と私」には、YouTube未公開映像の、中原中也さんの「湖上」も収録されています。よろしければぜひお買い求めください♪

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中原中也「汚れっちまった悲しみに……」/遥奈

◆時間旅行シリーズ◆ 中原中也さんの「汚れっちまった悲しみに……」を、私なりの解釈で音楽と映像にしました。 皆さんもきっとよくご存知の、「汚れっちまった悲しみに……」に、私がはじめて出逢ったのは小学生の頃でした。 あの頃から時を経て、今、私はこの詩と再会しました。 私は、この表現活動が、「生きていく」という事が、なんだかどうにもうまくいかず、疲れて落ち込んでしまっていた時がありました。 そんなところに、この「汚れっちまった悲しみに……」との再会がありました。 そして、悲しみを様々なものにたとえて伝えようとするこの詩が、新しいメッセージをくれたような気がして、 どうしてもうたにしたくなりました。 叫び出したいほどの後悔や怒りや悲しみが、ないまぜになって込められているような、この詩。 「苦しいよう、悲しいよう」 自分にも、誰かにも、それを叫びたい、泣き喚きたい、 この心地を知ったからには、生涯それを携えて行かなければならないのか! と、打ちひしがれている姿が、この詩から感じられました。 だけど、中原中也という人には、詩があった。 この悲しみを詩とする事ができた。 悲しみがあったからこそ、「汚れっちまった……!」と、詩によって中原中也さんは嘆く事ができたのではないか? 悲しみの行き場を詩に置いたのではないか?と思いました。 そこで私は「ああ、それだ!それだったんだ」と思いました。 何かをつくる・生み出すという事の本質は、きっとそれなんだと思いました。 自分がそのように苦悩しながら、つくったもの・生み出したものを、 自分が一番に信用してやり、真摯に届けるという事が、一番に大切なのだと思いました。 中也さんが、自分の詩を信じ続けてきたように。 それが、今の私が、中原中也という人と、この詩に教わった事でした。 この楽曲が収録されたCD・DVD「中也と私」のお買い求めはこちら↓ https://shinkaikanojo.stores.jp/ ★CD・DVD「中也と私」には、YouTube未公開映像の、中原中也さんの「湖上」も収録されています。よろしければぜひお買い求めください♪