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ギザ十に想いをはせる

 こんにちは、こんばんは。A面です。A面には密かに10代の頃から続けていることがあります。それはタイトルの通り、ギザ十集めです。今回はそんなギザ十についてのお話です。


ギザ十とは何か

 十円玉の縁を見てほしい。そこに百円玉のようにギザギザはあるだろうか。おそらく今の十円玉にはないだろう。そして、もしかしたら縁にギザギザのある十円玉を見かけたことのある人もいるだろう。
 A面が初めてギザ十を認識したのは小学五年生の頃だった。習い事に行くために電車に乗るのだが、切符を買うときに財布を見ると十円玉の側面にギザギザが入っていた。その時は券売機に運悪く弾かれて、「これは使えないお金かもしれない」と思った。すぐ隣の窓口のおじさんに「この十円玉、券売機に入れても使えなかったんですけど」と尋ねると、
「これ、ギザ十やして(ギザ十だな)」と言われて、普通の十円玉と代えてくれた。これが私のギザ十ファーストコンタクトである。おじさんに聞くと、券売機でたまたま使えなかっただけで、本来は使えるお金だと教えてもくれた。
 ギザ十とは、昭和二十六年から昭和三十三年までの七年間発行されていた、側面のギザギザした十円玉のことである。すでに発行停止になっているため、年々発行され続ける十円玉に対して比較的珍しい十円玉である。
 しかしギザ十の価値は、珍しいからと言ってそんなに高いわけではない。未使用であることが確認されれば高いもので四万円を超えるものも出てくるが、未使用の十円玉など出会うことの方が滅多とない。

なぜギザ十に惹かれるのか

 戦後の激動の時代を生き抜いてきた硬貨と共に自分が過ごせることに、不思議と心が動く。自分もまだ産まれていない時代から日本に流通し続けている十円玉を見て愛おしくなる。今でも、ギザ十を見かけた友人がいたら交換してもらっている。
 ギザ十が初めて発行された昭和二十六年の物価は、なんと「アンパン」や「納豆」がこのギザ十で一個買えるくらいだったのだ。封書も十円である。今、大体アンパンが百円ちょっとで買えることを考えると、この十円玉は決して安いものではなかったことがうかがえる。
 A面が持っているギザ十で一番新しいものは昭和三十年のものである。手元の資料では、昭和三十一年に「アンパン」一つが十二円に値上がりしているが、封書・納豆は変わらず十円であった。
 以下、A面が持っているギザ十の年と、何があったかについてザックリとまとめる。

昭和二十六年

 なんとこの年は、グリコが八粒とおまけ付きで十円。グリコ好きからすると羨ましい。昭和四十年には六粒おまけ付きで十円。昭和四十二年では八粒で二十円となり、実質の値上げがあった。最近、五粒あると思っていたグリコが四粒おまけ付きになっているので、グリコは値上げ幅がかなり大きいようだ。
 当時の総理大臣は吉田茂。流行語は、「老兵は死なず、消え去るのみ(マッカーサーの言葉)」
 さらにこの年から紅白歌合戦が。同年一月三日に第一回が放送された。
 ウォルトディズニー作品では、バンビが日本で公開された(なお吹き替え版は1955年)。
 (A面は昭和二十六年のギザ十を四枚持っている。ギザ十発行元年なので、思い入れが深い。)

昭和二十七年

 ヘルシンキオリンピック開催。
 東京でトロリーバスが運転開始。
 タバコのピース、ハトのデザインに変更。
 硬貨式の公衆電話が登場。
 (A面の昭和二十七年のギザ十は三枚。)

昭和二十八年

 NHKが日本で初のテレビジョン本放送を日本で開始。
 オロナイン軟膏発売。
 DNAの二重らせん構造が決定された。
 REM睡眠が発見される。
 日本各地で民放ラジオ局が次々開局。
 (A面の昭和二十八年のギザ十は七枚、一番多い。)

昭和二十九年

 マツモトキヨシが有限会社として設立。
 七人の侍(黒澤明)公開。
 講談社から少女漫画「なかよし」創刊。
 (A面の昭和二十九年のギザ十は四枚。)

昭和三十年

 家庭電化時代、始まる。
 トヨタ自動車が「クラウン」を発売
 ぺんてるくれよん発売。
 集英社から少女漫画「りぼん」創刊。
 (A面の昭和三十年のギザ十は一枚、一番少ない。) 

 ちなみに昭和三十一年は、十円玉の発行はされていない。その翌年昭和三十二年、昭和三十三年のギザ十は流通数が少なく、七年のギザ十史の中でも希少価値が高い。ぜひともお目にかかりたいものである。

今までに集めたギザ十コレクション





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