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卒業「C君、お薬、闇或いは病み」

スーパーバイザーの心理士兼心理師にこう言われた。
「人間関係って三年が区切りでころころと変わっていくものなのよ。」と。
さて、C君もこのくだらない記事を読んでくれるだろうか。こんなくだらない私のことを、心のどこか片隅でもいいからで覚えていてくれるだろうか。

C君

卒業、という夢をよく見る。
卒業式であったり、自分は卒業できないけれど、卒業していく仲間を見送ったりする夢。
私は、2留して院を出た。だから確かに実際にそういう場面に出会うことはあった。
でも夢は院の卒業ではなくて、高校の卒業式なのである。いつもいつも。そして高校生活を共にしていなかったはずのC君がいるのだ。入院生活を支えてくれていた一人ではあるし、当然感謝をしているが、その感謝を毎年伝えられないままである。

なぜ卒業なのかというと、もう私には「病む必要がなくなったから」とでもいえばいいだろうか。病んだ時によく効くお薬がC君との時間だったともいえるだろう。惰性でもその時間を私にくれてありがとう。
闇が晴れたとは言わないが、もう五年も経ってしまった。

五年も経てば、赤ちゃんだって立派に歩けるし走れるようになる。
達者な口もきくようになる。それくらいの長い歳月だったのだ。
私は、この五年で人生の決算を迫られまくった。
変わらないものなんてないんだと知った。
それが卒業なのかもしれない。

お薬

お薬で遊ばなくなった。時々、遊びたくなるけれども。その代わりに作用機序などを調べて、エアプする。
前は、自分の体で実験をしたかったから、そうしていた。でもその必要はなくなった。
パブロフの犬とかの有名な実験を知っている人は多いだろう。現に私も中学二年の頃に読んだ漫画で知った。
正確にはパブロフの犬とは別原理なのだが、似たような効果を使って、デパスとミントタブレットを同時に摂取した。
ミントタブレットはもともと嫌いだった。その味を味わっているときに、デパスの効果が出る。それを利用して、ミントタブでデパスの代わりにした。もちろんリラクセーション法も取り入れたわけだけど。
そしたらデパスの服薬率が圧倒的に下がった。
咳止め薬も、ベンゾジアゼピン系もやめた。
卒業していけるものなのかもしれない。
処方されているお薬を定時に飲む私がいる。

闇或いは病み

闇は晴れない。ふとした瞬間に私はフラッシュバックする。
それは急に訪れて、それは急に去っていく。
いつ来るかもわからない。「あぁまた来たのだな」と思って嵐が去るのを待つ。ただただ静かに耐える。頓服はいらない。いらないくらいまでにはその闇の暗さを感じる必要がなくなったのだ。本当は怖い。本当はきつい。でも、耐えられるギリギリのところでやっていける術を身につけた。勇者のスキルみたいなやつ。
ひそかに読んで応援していたnote作家さんが亡くなった。旅立ってしまった。自分の人生の近くにいたわけではないけれども、それは私にも少なからずショックを与えた。闇だ。病みだ。また襲ってくるヤミ!!
でもそんな闇から自分で抜け出せるようになった。
闇は自分が進むための足かせでもなんでもない、ただのコブだと思ったとき、私は病まなくてもよくなった。
だから闇だったり、病みからは卒業することにする。


卒業、卒業、卒業。
緩やかに消失した。
卒業、卒業、卒業。
おめでとう、
おめでとう、
おめでとう。


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