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自己紹介

こんにちは。もともとは私の固定記事の方に、説明の便宜を図るために自己紹介を添えていたのですが、少し長くなってしまい詳細を省いた面があるので、ここに書くことにします。

記事の方では何やら偉そうなことを言っていますが、私は生来の先天的疾患、ネット依存により、もう毎日気分が上がらない、全てがモノクロのような日々を過ごしていた人間でした。
とは言っても、恵まれた家庭に生まれ育ち、両親の厚い庇護を受け、小中高と恵まれた仲間に会うことができ、現在も大学に通って貴重な日々を過ごしています。

一見非常に恵まれていますし、こんな環境で幸せを感じない人生を送ってきたなんて信じられないでしょう。これを読む人の中には、私よりも恵まれない人はたくさんいると思います(別に自慢ではなく客観的に考えて)。よく目にする恵まれない人のサクセスストーリーとは訳が違います。ですが、精神的には一時期本当にきつかったです。

人間というもの、結局はその人が幸せを感じるか否かによって人生の幸福度が決まるわけですから、いくら客観的に見たら恵まれていても、肩書きがあっても、たくさんの高級な所有物を有していても、本人が幸せを感じることのできる精神状態でなければもはや幸せでないのと同じです。
このことは綺麗事ではなく、本当に実感しました。

明らかに周りよりも恵まれているようなインフルエンサー的存在でも、X(Twitter)などで、「私にだって地獄はある」と呟いているのを見ると思います。少なくとも私はよく見ます。
そして、それとセットで、おそらくその人よりは恵まれていないであろう人が、「その地獄、マジでぬるそう」とか言っているのも見ます。

実は、これは本当です。各人にとって、その人のいう地獄の感じ方は等しいのです。イケメンや美女、金持ちの悩みを聞くと、「なんじゃそのちっさい悩みは。こっちの身にもなってみろや」と言いたくなったことはないでしょうか。
でも、彼らのその悩み、本当に悩んでいるんです。私たちが何かを悩むときと、その悩みの度合いは等しいのです。

私も以前まで綺麗事だと思っていました。私は当然、恵まれない方だと思っていたからです。恵まれた人間たちの戯言だと、思っていました。それくらい、幸せを感じるかどうかというのは主観的なものなのです。私は今客観的に考えて、このような結論に至りました。

小学生時代

小学生までは問題なく過ごしてきました。というかこの時が人生で2番目に充実していたと言っても過言ではありません。その頃から先天性疾患はありましたが、今考えたら明らかに周りよりも恵まれた家庭に育ち、身体能力にも恵まれ、望んだものは基本手に入る。非常に贅沢で、恵まれていました。
当時はとても活発で誰彼関係なくよく喋る子だったので、楽しかったです。当時はそんなこと思いやしませんでしたが、楽しいと都度感じていたという記憶だけは残っています。

身長は小さく、前ならえでは前から3番目(クラス30人中)を六年間キープしていました、おそらく成長が遅いタイプだったのでしょう。頭の方は決していいとは言えず、成績もよくはありませんでしたが、悪くもありませんでした。ただ、そっちの方だけはませていたのか彼女がいました。付き合い方はほぼ可愛い遊びみたいなものですが、なかなか早い方です。しかも、それなりに進みました。幼いからこそ大人のフリをしたかったのでしょう。小学生までは、日々人生に幸せを感じながら生きていたと思います。

中学生時代

中学生のころから、だんだん暗転していきました。小学校は6年間同じところに通っていましたが、その地元の中学校の治安があまり良くないということで、同じ市内ですが学区を移しました。端的にいうと引っ越しです。引っ越しのタイミングは中学入学と同時なので一見問題ないように見えますが、周りの子はその地域にある大体3つの小学校から進学してきたのに対し、私は完全な1人でした。

全く知り合いはおらず、自分以外の子達はその子達同士で知っているという状況です。3つの学校なので、もちろん知らない子が複数人いるというのはその地域の小学校から上がってきた子たちにとっても同じですが、精神的にはきつかったようです。

元来人見知りはしない方でしたが、そういう状況に立たされて初めて、自分が周りの人と違って先天性疾患を持っているということを気にし始めました。そこで、だんだんコミュニケーションが上手く取れなくなってきて、人見知りになりました。ちなみにどんどんコミュ障になっていく私を見て小学校の時付き合っていた子は離れていってしまいました、当然ですし、私ももはやそんなことは知りませんという感じでした(強がり)。

それと、この地域は非常に教育水準が高く、前いた学校とは比べられないほどテストの点数、会話のレベルが高いようにも感じたのです。当時仮にそんな大きな違いがなかったとしても、相対的な中でしか物を測れない中学生だったので、大きな疎外感を覚えました。ただ、ここまでならまだ対応できたはずです。問題はそのあとです。

iPadとスマホを手に入れました。そのあたりから色々とおかしくなり始めました。当時はスマホが普及されてから時間が経っており、すでに小学生も5、6年生くらいなら割と持っている人は多かったので、気になってはいました。
そこでこの最新鋭の機器を与えられたので、見たいと思っていた漫画、アニメは際限なく見始め、勉強の時間はもちろん、だんだん人と話す時間も少なくなっていきました。

コミュニケーションを上手く取れる状態でスマホを与えられたら、普通はLINEで友達との会話、おでかけの話に勤しむはずですが、当時はむしろその逆で、人に素直に話しかけられず、疎外感を覚えていた頃ですから、そのような人生をよくするはずの機器を、隠れ蓑にするようになり、1人の世界にこもるようになっていきました。

部活には入っていましたし、学校は皆勤、行事はそれなりに楽しんだのですが、休日に新しくできた友達と遊びに行くことはなく、むしろスマホ、iPadで遊んで家にこもることが多くなりました。ちなみにその間勉強は10分もしていなかったと思います。

この時期は人間性を育み、人間関係を学ぶ上で非常に大事な時期です。そんな時期に友達と遊ばず、家にこもってばかり、たまに学校で話そうと思ったら、コミュ障を発揮して上手く喋れない。

人と話をすることが脳を成長させ活性化させます。大人でも同様ですから、この時期は尚更人間の発達のために大事なのです。アニメ、漫画、エンタメYouTubeをいくら見たって人と話すのが上手くなるわけはなく、頭もよくなりません。

成績も全く振るわず、もともと苦手だった数学・英語は学校で後ろから一桁のレベルまで落ち込みました(230人の中学校)。
もちろんもっと早い時期に依存が開始していたら、もっと依存から抜け出すのには時間がかかったでしょう。ただ、十分すぎるほど早かった。

この心身の発育にとって重要な時期にこんなことに大量の時間を費やしていた結果、後に学年が進むにつれ遊べるほどの友達はできても、やはりどこかクラスでも浮いていました。そのことを先生にも心配されていました。
せっかく恵まれた家庭・身体能力・本来の快活さを持っていたのに、不満ばかり抱き、幸せを感じることは少なくなっていました。

中学3年生ころから段々馴染んできて(というより部活が超大変でiPadやスマホで遊ぶ時間が大幅に減った)遊べる友達も増えました。よく話す女の子もそれなりにいて、女の子に緊張するとかそういうことはあまりありませんでした。
しかし、興味のある子には上手く話しかけられない、天邪鬼になってしまうという現象がおきました。完全にスマホの弊害ですね。思春期であり、先天性疾患を気にしていたのもあると思いますが、上手く話せないのとはあまり関係ないと思います。

色々困難なことはありましたが、少しずつ学校生活に慣れたこともあり、基本的に卒業までは心身穏やかに過ごせていました。


高校生時代

高校受験は中3から塾に通わせてもらい、部活の仲間がいたこと、好きな子の成績がすごくよく謎の対抗心を燃やしていたこともあって、英語国語社会の成績だけは鰻登りに上がりました。
その結果、5科目総合はそんなに高くはないものの一応中堅レベルの高校に行けました。

ただ、この高校は非常に癖の強い高校でした。そこしか成績的に選べなかったというのもありますが。なんと中高一貫校に高校から入ってしまったのです。しかも中学入試を通して入学した人たちは人数が多くて圧倒的に成績がよく、ほぼ全員県内トップの高校に行けるレベルです。

実際に内部進学せず受験した人も中学には数人いたそうですが、開成が1人、もう2人は県内トップ校と、すごいレベルの違いでした。同じく中堅校である第一志望の高校を諦め、直前でこちらに渋々変更して入学してきた私とは全く違います。

これは完全に、中学校進学と同じ状況です。こういう状況を嫌う人が多かったために、偏差値が県内中堅レベル高校の中でも低めだったのだと思いますが。入学年度の倍率は1.02倍、受けた中で数人しか落ちていません。

高校に入って早速青春を謳歌しようと色々頑張りましたが、全て空回り。当然です、当時も休日は10時間ポルノとYouTubeに費やし、夜更かしまでしていたのです。しかも人より成長期が遅いですから、本当はもっとよく寝なきゃいけないのに、睡眠の質を悪くした上で1日6時間も寝ていないという、滑稽以上に愚かです。

コミュ障は治るどころかいっそう加速し、支障なかったはずの女の子との会話もどんどんおかしくなっていきました。

さらに大きな障壁が現れます。そうです、高校に入学して好きになった子が彼氏持ちでした。共学の中高一貫で想定していなかった最大の落とし穴です。ある種絶望しました。

その上、誰が付き合っているいないなどは普通何気ない会話の中で知るはずのことなのに、コミュ障発揮しているため周りのコミュニティに入っていけず、それも叶いませんでした。結果、怖がって誰にもアプローチができないという状況に陥りました。

しかも、その子に変な言動・行動をしてしまい、同じクラスだったため、クラスでの居場所が危うくなりました。その子は活動的で、クラスでもそれなりに目立って発言拡散力が大きかったためです。

それでもその子含めクラスの皆さんはとても優しかったので一応どうにかなりましたし、行事にもちゃんと参加しました。それどころか行事だけはフルで楽しんでいました。

ただ、2重3重に心理的ショックを被ったため、相変わらず学校は皆勤で部活には入っているものの、スマホ・ネット依存は加速し、授業中にも先生の目を盗みスマホをみるようになりました。病気ですね。

しかも、謎に隠すのがうまかったため一度もバレず、指摘され更生する機会もありませんでした。貴重な授業時間さえもそのように過ごし、自習など当然しませんから、成績は悪くなる一方です。

特に数学、理科、英語文法は100点満点のテストで4点、2点を常習的に取っていました。それでも、赤ペン公正だらけの課題ノートを毎週欠かさず出せばどの教科も最低評価はつかなかったので、その制度に救われました。高校入学したての頃はそれさえ出していなかったので、その時期が一番進級と卒業が危うかったです。

大学生じゃないのに何をやってるんだか(大学生だって1年生春は真面目)。しかも原因は、部活に打ち込んでいるとか、新しくできた友達と遊びまくったとかではない。ただ時間を浪費し続けるスマホに依存していたから。

今の人生どうにかなっているから良いものの、本当に高校留年し、その他失敗を重ねて現在に至っていたら発狂ものでしょう。もちろん、どの道をいっても悪いことにはならなかったかもしれませんが、怠惰によってこのことを引き起こした、この事実は、いたたまれないものでしょう。

と、こんな様子で高2終わりまで過ごしました。受験の方は、もう国公立は無理だということで東京の私文を志望することにし、歴史の勉強だけ全力でしていました。

理由は単純で、皆の科目優先順位が低いために相対的に順位が上になれたからです。本当は英語や国語、また数学に力を入れなければいけないし、みんなそうしています。歴史はとりあえず後回しでもどうにかなるものなのです。

あと、単純に歴史において繰り広げられるストーリーが好きなようで、YouTube 、アニメと似たようなところが気に入ったようです。英語と国語はボロボロ、現代文だけは地頭で高い点と低い点を交互に取っていました。

ただ、高2の時は高校生活に慣れてきたこと、クラスの雰囲気が穏やかなこともあって、主観的には非常に心穏やかで落ち着いた日々を過ごせていました。

ただ、スマホ・ネット依存は加速し、平日部活で疲れて帰ってきてからも平気でポルノに3時間、YouTube1時間費やすようになっていたため、どこか原因のない不安感、倦怠感は続いていました。穏やかというより、もはや何も感じていないレベルだったのだと思います。

クラスのみんなも穏やかだったと言っているので学校生活は本当に穏やかだったのでしょうが、私個人はコミュ障のさらに向こう側、依存症患者のような症状が出ていたので、さらに幸福を感じずらくなっていました。

人生の大切な時期を何も知らず破壊してきていました。無自覚は恐ろしい。というか、もうその段階まで来ていたらたとえ自覚しても目を背けていたのだと思いますが。

高校三年生になる時期、世界的大事件に巻き込まれ、以前よりさらにひどくなりました。自粛期間の開始です。新型コロナの影響で学校は休校になり、せっかくなじみかけていたクラスに行けず、友達との何気ない会話もできない。そこから、自暴自棄が加速しました。

コロナによる自粛期間中、世間でもネット消費者は急激に増え、YouTube、アニメが非常に流行りました。私自身は、当然今までの生活でもひどく依存していたので、勉強しなきゃいけない大事な時期に依存は加速しました。

内容はひどいものです。結局3月頭から6月まで高校にはいかず、ほとんど家の外にも出ませんでした。その間の過ごし方は、

食事等その他の時間を除けばこんな感じです。

かろうじて睡眠時間は7時間ほどは確保していましたが、体を動かしていない上に毎日鬱のような症状と倦怠感があったので、寝付けない日もありました。総合的にはポルノが一番多いですね。幸福も何もありゃしません。

受験生にとって最大の不安は受験です。勉強しないと漠然とした不安を抱えたままですが、それでも勉強はしない。たまにくる友達のLINEでも、結構勉強しているよという話を聞く。するとまた不安になるが、でも勉強はしない、やりたくてもできない。なぜなら依存症だから。

6月学校明けのテストと模擬試験では、英語、国語は「私文で」中レベル、日本史も思ったよりできないという状況になり、不安は頂点に達しました。焦りはあっても勉強できない、寝つきが悪い。幸せなど全く忘れてしまっているでしょう。

元来楽観的な私でしたが、主観的には薬物依存者以上に不安感を持って生きていました。そういう時そのような依存症から抜け出す方法は、今は知っていますし本当は簡単です。ですが、当時は本当に深刻でした。

それでも休校明けにはみんな成績を上げてきているわけですから、いよいよ焦りが行動に代わり、勉強しました。周りが勉強している環境が救いでした。ただ、それでも依存症は治らず、一定期間やめてはちょくちょく再開し、また不安になる。これを繰り返しながら入試に至りました。

ポルノはずっと見ていました。オカズ探しの時間は多少短縮されましたが、頻度は下がりませんでした。受験についてはまた別途お話ししますが、最終的な受験結果自体は考えられないほど良いものを得られました。

大学1年生〜現在

晴れて大学生になり、今度こそ一から頑張ろうと思いました。勉強の方も意欲があり、友達も彼女も作ろうとしていましたが、まだコロナ禍の只中でした。それどころか感染拡大自体は全盛期でした。大学の授業はほぼ全てがオンライン、お店は夜遅くにはやっておらず、自粛ムードは健在でした。

私はというと、「晴れて大学生になったというのに、またこれか」と環境のせいにして何も行動せず、惰性で一、二個サークルに入り、また以前のような依存生活を繰り返していました。

更に、大学生になって自由度が増したことが拍車をかけました。オンライン授業は出席しつつ画面を切り替えてYouTubeを見ていたし、対面であった大教室での講義は当然聞きません。

しかも、高校まではやっていなかったゲームにも依存しました。感覚的な不安感等は、受験もないのでもうあまりありませんでしたが、コミュ障は加速。ポルノ依存も止まらず、おそらくその時は射精障害も引き起こしていただろうと思います。

さらに、高校の時にも決して多くはなかった女の子との関わりが格段に減り、セルフ男子校状態になっていました。クラスという制度は本当にありがたいものだったのです。大学生になったら勝手に出会い爆増して彼女くらいすぐできると思って油断していました。

しかし、今考えれば分かるのですが、ただでさえハンデがあるのに外見も磨かず外にも出ず、おまけに中学生の頃からずっとネットに依存して殻に閉じこもってきた人間に、誰が魅力を感じるでしょうか。

それで彼女ができると思っていたなんて、本当に正気ではありません。メタ認知ができていなさすぎる。そのくせ大学でたまに出会えた女子のことは、芋いだの垢抜けてないだの馬鹿にしている。

まぁ、依存症なので、文字通り正気ではないのですが。

というように現実と理想のギャップに苦しみ、精神的に弱っていました。せっかく大学に進学したというのに、恩恵を全く受けていませんでした。これも結局、気力がないからです。

意志が弱いから依存の元を断ち切ることはできず、そんな状態では当然目標もできない。でも依存症を断ち切らなければずっと無気力のまま。それでも誰にも注意されないし、私が別にこのことを相談もしませんでしたから、治りません。

大学の成績は、オンライン試験を上手く攻略した結果まずまずでした。もっとも、その後も依存症が続き、2年の終わりにかけて下がる一方でしたが。依存症だと、大事なテスト勉強もまともにできないので、ある意味当然です。

オンライン試験攻略ができたということからわかる通り、オンライン試験を一緒に解いたり、ご飯に行く友達くらいはできました。

しかし、旅行に行く、どこか遊びに行くといったような友達はできませんでした。互いに低い低いとハードルを下げまくり、いざ成績発表になるとGPAは3以上。そんな感じでした。

よっともはまぁまぁ多かったです。でも、ついさっきまでYoutubeやスマホを俯きながら見ていたことから、目は死んでいて声の通りも悪く、ちゃんとした挨拶さえできていませんでした。

大学一年生の冬には彼女もできそうでしたが、いいところまでいってもなお踏み込めず何もできませんでした。その後も何度かいろんな女性にアプローチをかけるも、一番いいところまで行ったのは大一の冬の子でした。
今ならわかることですが、歩く時に体までくっついていましたから、さっさといかなきゃいけなかったのです。

もはや小学生の時のあの早さでの交際経験は何の意味もありませんでした。彼女がいない歴=年齢ではないというプライドと、現実の実力のギャップに苦しみました。

周りには結構男子校出身者もいました。私は共学だったので、その分のアドバンテージだってあったはず。それなのに、彼らの方が早く彼女ができていたりした。これでは全く威張れません。別に威張るもんでもないのに、威張ろうとしていました。滑稽ですね。

転機


そんな感じで過ごしてきて、2年生の夏、今にも気が狂いそうなくらいにまで追い込まれた時、どういう因縁か、人は不思議なものです。急に頻繁に外出するようになりました。
外出中何をしたかの詳細は今は伏せますが、その流れで大学の図書館に行き始め、哲学のコーナーを漁り始めました。また、もともとスマホにキンドルアプリを入れていたのですが、そこでライブラリを一瞥したところ、根源的な人生哲学の本を見つけました。

弱った人はスピにハマるというのは本当です。最初に開いた本はスピ系でした。誕生月占い、行動傾向占いなど一切科学的根拠のない迷信の類と、占星術という一応は根拠のありそうな教え、どちらも読みました。

それと同時に、もともとログインしてあったキンドルアカウントのライブラリに、いかにも迷信のようなタイトルを付けられた本を見つけ、スピに何の抵抗もなくなっていた(というよりもはや何も考えていなかった)私はすぐに読み始めました。先ほどの人生哲学の本です。

最初はありきたりな内容でしたが、ページが進むにつれ画期的で明瞭な哲学、さらにはその哲学の内容そのままに生きる実際の方法まで学びました。同時に衝撃を受けました。今まで知らなければならないことを何一つ知らず生きていたことに気付かされました。読み進めてからは終わるまでとても早かったです。

そこから半年間、その人の本を初め、哲学的な内容、人生啓発系の本をたくさん読み、体系的理解を深めていましたが、大学2年の春休みまでの期間は、なかなか思うようにできませんでした。

この頃すでに文献や論文、ネット記事を基に、自分のスマホ・ネットの見過ぎが立派な依存症の一つであることに気づいていました。ポルノについても同様です。それどころかネット上で最も依存性が強く、脳の萎縮、EDなど健康への害もあることを知りました。

ヘビースモーカーや酒飲みをバカにしていた私が、なんと彼らと同類どころかむしろ酷かったことに気づき、絶対に辞めると決意していました。

皆さんもそういう場合が多いのではないでしょうか。

ヘビースモーカーやパチンコ依存者のことを、「お金と健康を失ってまでそれらを消費し続けやめられないでいる意志の弱い愚か者」だと思っている現代人のほとんどは、「時間とデータ通信料金を無駄にして、精神をすり減らしていることにさえ気づかないスマホ・ネット依存者」なのです。

もちろんパチンコやタバコよりはお金もかからないでしょうから、こっちの方がマシだと言いたくもなるでしょう。ただ、自分の意志でこれらをコントロールできないという点で、微塵も違いません。完全な仲間です。

できていない人間というのはとにかく自分のことを棚上げし、やたらと人のアラを探して、馬鹿にしてみたり蔑んでみたりする。もっといくと、関係ない他人の人生のことのはずなのに、勝手に怒ってみたりもする。自分を見つめられていない証拠です。

しかし、気づいたはいいものの相変わらず依存症は止まりませんでした。ポルノは一時期若干やめることができましたが、YouTubeは見続け、Twitter、インスタも見過ぎていました。教えにもありますが

「今までは悪いことを悪いことだと思っていなかった分、そこから受けていた悪影響は、そのもの自体から受ける悪影響以上のものは発生しない。しかしひとたびそのものの悪影響に気づいて仕舞えば、今度は心の方がそのことを病むため煩悶が生じ、害が増幅される。すると知らない方がかえって楽であったというような、滑稽以上に哀れなことになりかねない」

しっかり辞めることができなければ、つまり辞めるだけの意志の強さがなければ、理性で色々理解したがために心をより悩ませ煩わせるため、人生をより悪くすることになりかねないのです。私はこうなりました。

ポルノがまずいとか、コロナはやばいとか、その他諸々特定の行動や何かに対し警鐘をならすもの、注意喚起をするものはたくさんあります。Twitterでは、モテるためには〇〇をするな、とか、〇〇するときはマジで気をつけろ!みたいなキャッチコピーで溢れかえっていますが、どれも意味がありません。

ではいったいどうすればそれに対処できるのか、どうすれば気をつけられるのか、そこまで教えてもらえなければ、ただ不安・悩みの種が一つまた一つと増えていくだけです。

もちろん、対処法は私のノートから、とか、コンサルにて教えますっていうのは、商売なので悪いことではないです。しかし、稀になんの対処法もなく、ただ注意喚起だけしている人がいる。こういうのは本当に無意味です。

対処法を教えられないなら、むしろ黙っておいたほうがいいのではないかと。ちなみに、ほとんどの事象に対処法がないことはほぼありませんから、その点はご安心ください。

私のこれが依存症であると気づいてもなおやめられなかった時には、高3の受験の時と同じくらいの強い不安を抱えるようになりました。ですが、コロナ禍もある程度収まり対面授業も増えた大学で暗い顔をしたくなく、周りには明るく振る舞っていました。

私の大学の友達は皆賢く、何より自分の人生のことを真剣に考えていました。確かに彼らの中には軽度スマホ依存者と思わしき人もいますし、彼らとて完全に生きているとは言えませんが、当時の私より何倍も努力をしています。今だって真剣に生きています。

そういう彼らを見て内心穏やかではなく、将来の話や、何かを頑張っている姿を目にしたり、話が耳に入ると嫉妬の感情が出てきていました。努力家が好きになれませんでした。

これは結局大学2年の冬〜春休みにかけても克服できず、相変わらず迷い続けていました。ですが教えの内容を少しずつ続けていた結果、ある日急に依存症から解放されました。だいぶ時期は遅くなりましたが、今年の7月頃(大学3年)です。本当に急でした。パタっとやめてしまいました。

教えにある程度したがっていただけであり、特別なことはしていません。もちろん、少しずつ見る時間を減らそう、ポルノはやめようという努力をし、他のことをするようにしていましたが、それでもある日急にぶり返すというようなこともありましたし、何よりやめようとする上で苦しみがあった。禁断症状というのでしょう。

その日を境に、一切の依存から解放されました。元々酒は飲まないし、スタバ依存(カフェイン)、スイーツ依存もありません。タバコは、唯一私が胸を張って得意だと言える運動を奪ってしまうので、絶対にしていませんでしたし、これからもしません。

ということで、最大の汚点であり克服しなければいけなかった、SNS、ネット、ポルノを断つことができました。

自分の意志でこれらの消費をコントロールできるようになってから2週間くらい経った頃でしょうか。それからというもの、気分が常によくなり、身近なことに大きな幸せを感じられるようになりました。それもそうでしょう、長年の依存から解放されたのですから。

ポルノ患者の人たちの意見投稿フォーラムであるYour brain on porn には、2ヶ月完全にポルノを断っただけで人生が全て好転したと主張する人がいます。その人は気分が良くなっただけでなく、副業を始めて収入が上がり、音楽を作り始め、ブログを始めそれらで成功を収め、良好な関係のパートナーもできたといいます。

それほど依存症脱却というのは強いのです。全てにおいて意志の力を十分働かせることができれば、これほど生きやすいものはありません。

私の話に戻りますが、これらの方法を知っていたら、人間関係に悩むことも減っていたでしょう。もう時は戻らないですからなんとも言えませんが。

もちろん、依存症脱却のみでもだいぶ変わります。私の中学生以降の人生における、時間・機会・ポテンシャルなど、多数の大切なものを奪った依存症がもしなかったら、と考えると、それはそれは良い人生に生きれていたと思います。

ただ、何より根本的問題であった依存症から、時間はかかったものの一気に状況を好転させた哲学的、科学的知見があれば、大袈裟でなく人生の大半の問題は解決していたはずです。現に今ほとんど解決しています。人間関係という、もはや幸福度を決めるとまで言われている万人にとって最大の課題も、例外ではありません。

最後に

最後になりますが、今は全世界で、かつての私のような人が増えています。そして、日本においてはより顕著です。ポルノ大国であり、電車では全員スマホに齧り付いている。仮に仕事で使っているのだとしても、それでは心が休まる暇はありません。

自分が恵まれていても気づけない。幸せを感じられない。私はそのような、同じ悩みを持つ多くの人たちに寄り添いたい。救ってやるぜなんて偉そうなことは言えません。私も救われた一人にすぎない。

私から頼むことは一つ。縁あって私のnoteを読んだら、ぜひ実践してください。ただ読んだだけでは、せっかくその情報に触れても意味がない。インプットするということは、アウトプットをしなければならないのです。アウトプットをするからこそ、インプットに意味がある。

以上で自己紹介を終わります。

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