きっかけ
些細な出来事なのに、妙に記憶に残っていることが、いくつかある。
お弁当のブドウの皮の行方をめぐって、わたしの説明が全く伝わらず、母に「嘘をつくな」と怒られたこととか。
噛めば噛むほど繊維が絡まって飲み込めなくなったほうれん草を、ティッシュに包んでこっそり捨てようとしたらバレて怒られたこととか。
幼少期に理不尽な理由で怒られたものが多い。
全部わたしの説明不足とか説明下手のせいなのだけれど。
だから、納得できないことがあっても、説明したって伝わらないからと諦めてしまうようになった。
わたしは3歳から15歳までピアノを習っていた。
物心つく頃にはもう弾いていて、当時習っていた先生もスパルタだったし、家での練習は母もスパルタだったから、全然楽しくなかった。
怒られるんだから、楽しいわけがない。
小学2~4年生くらいの頃に習っていた先生も、最初の先生に比べるとマシかな?程度のスパルタだった。
間違えたら手叩かれるの、絶対逆効果だと思う。
その頃はもう母に指導されることはなくなって(母は上手いわけじゃないので)毎日練習することもなく、週1のレッスンに2~3日に1回練習する程度で通っていた。
ある時、どうしても弾けないところがあって「もっと練習して来なさい」と言われたので、真面目に毎日練習してから行ったことがある。
でもやっぱり弾けなくて、そしたら先生が「どうして練習して来なかったの?」と言った。
練習はしましたよ、ここ最近で断トツ、練習はしましたよ。
できなければやっていないのと同じなのかもしれないけど、練習していないってどうして決めつけるんだろうって、思った。
言わなかったけど。
頑張っても意味ないやとふてくされたわたしは、その次の週、一度も練習せずにレッスンに行った。
諦めから、うまい具合に力が抜けていたのかもしれないけれど、練習していないのに詰まっていたところが弾けてしまった。
先生は「ちゃんと練習してきたじゃない!えらい!」って褒めた。
してないわ、一回も家でピアノ触ってないわって、思った。
言わなかったけど。
その一言がきっかけで、家で練習することがなんだかものすごくアホらしくなって、一切やめてしまった。
怒らずに、もっとちゃんとわたし個人を見てほしかったのかもしれない。
わたしは表面的には「いい子」だったけど、内側ではものすごくわがままだったから。
音感が付いたのも、楽譜が読めるのも、音楽に対するハードルが低いのも、ピアノを習っていたおかげだ。
だから感謝はしている。
今でも、またピアノ弾きたいなと思うことだってある。
ピアノにはもう15年触っていない。
この15年があったから、純粋にピアノが弾きたいと思えるのかもしれない。
些細なきっかけでかすり傷をたくさん作ってきたけれど、うっすらと残ったその傷痕を、ときどき眺めて痛みを思い出す。
その傷たちが、わたしを縛り付けていたのかもしれない。
なんだって、きっかけは些細だ。
たとえば、恋におちるときだって、きっかけは、意外と腕や指が太いとか、いい匂いがした、とか。
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