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「動物化するポストモダン」読了後の雑感

ちょっとばかりのワタクシ話

怪しい人間に勘違いされるリスクを踏まえつつ、カミングアウトしますと、大学時代「宗教と哲学」を中心に学んでいました(神学部ではありませんでしたが)。興味をもったきっかけは、逆説的ながら、「自分には理解できない世界そう」だったからです。自分が10代の多感だった時期に、「オウム真理教」「911テロ」などの事件がありました。自分の中で、何故このようなことが起きてしまったのか、理解できずに悶々とした日々を過ごした記憶があります。その後、大学で宗教や哲学、もっと広義に言うと「思想」について考察を深めるにつれて以下のことを暫定的に結論付けました。

ヒトとは、物語を欲する生き物である。そして、宗教はヒトに対して物語を提供する。
しかし、多くの宗教は数千年前に作られたものであり、現代社会のニーズに応じてアップデート出来ていない部分が(結構)ある。
結果、ヒトは宗教に(相対的に)マインドシェアを冠婚葬祭等のイベント以外に割かなくなってきている。
一方で、ヒトは寄りかかる「物語」が欲しい。多くの現代人は、宗教以外に「物語」を見出している(と思われる)が、
一定数は宗教という物語が必要な・魅力を感じる人たちがいる。

上記は、ロクに勉強もしていない、いち学部卒の考えですので稚拙な部分は多分にあるかと思いますが、そんなに大外れしてもいなかったのかと思います。そしてその考えは最近、タイトルの「動物化するポストモダン」を読むまで、正しいと考えていました。

動物化するポストモダンの超概説

本書では、そもそも「物語消費」という考え方自体が変容していると主張しています。私は本書でいう所謂「オタク文化」に詳しくないので正直なところ本書で記載されている事例や固有名詞がイマイチよく分かっていません。但し、大きな主張としては、以下の「物語消費」から「データベース消費」という変容があることは分かります。ちなみにこの本は2001年初版となっていますから、20年以上前にこんな本を著していたなんて、、、と愕然とします。

データベース消費とは、もう少し最近の言葉で言うと、「推し」消費ともいえるのではないでしょうか。
アイドルグループがいたとして、そのアイドルグループを押しているのか、特定のグループメンバーを押しているのか、あるいはアイドルグループを跨いだ活動が好きなのか。一つ一つは、「点」ですが、緩い設定がつながっていることによりその組み合わせを楽しむことができます。例えが適切か分かりませんが、昨年末の紅白に出たVaundyというアーティストがいます。彼がコラボをするとき、彼がVaundyソロで活動するとき、様々なパターンがありますが一つ一つの楽曲はリスナーのSpotifyプレイリスト上で「小さな物語」として消費されているイメージがあります。決して、Vaundyは大きな物語や意味づけを行っているイメージはありません(若干、楽曲のテイストなどで世界観が似ている、というのはあるかもしれません)

逆に、「物語消費」はどうでしょうか。例えば、矢沢永吉のファンの方は、矢沢永吉の物語性の中で消費をしているともいえるでしょう。その他は、、、自分が物語消費の人間ではないからか、あまりパッと思いつきません。。。

(最後に)雑記~この本を読んで考えたこと~

本書の主張は、自分のパースペクティブを大幅に更新するものでした。

ベストセラーとなったサピエンスという本があります。
サピエンスは「ヒトは虚構(フィクション、つまり物語)を共有することによって、文明を発展させてきた」という主張をしています。
「物語を消費しなくなり、データベース消費となったヒトはどこに行くのか」という問いが新たに生まれてきました。

この主題についても、何かしらのヒントがあれば本noteに記していきます。

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