澤田隆治先生とお会いした話

こんにちは。
大道芸、ジャグリングに関わりながら生きていますハードパンチャーしんのすけです。

縁があり、「サーカスを学問の対象としてとらえ、ひとつの学問として確立させることを目的とする」サーカス学会に携わっています。

本会の顧問も引き受けてくださっていた澤田隆治先生が、2021年5月16日にご逝去されました。

ぼくは、サーカス学会が2020年の2月1日に主催した「サーカス学セミナー
澤田隆治サーカスを語る」という講演会にて、一度だけ直接お会いする機会を得ました。
お会いしたのはその一度だけではありましたが、とても印象深く、そして大道芸やジャグリングに携わる者として励まされる時間でした。

そこで当時感じたことなどをここに残します。

大道芸などが「芸能」と地続きであること

澤田先生は、テレビ・ラジオプロデューサーとして活躍された方です。

先に挙げた記事にはこう書かれていました。

”テレビに移って担当したコメディー番組「てなもんや三度笠」は視聴率60%を超える驚異的な人気を博した。”

テレビのポジションが今とは違う時代であるとはいえ、視聴率60%はとんでもない数字ですね。
もう少し記事から引用すると

”「花王名人劇場」(関西テレビ制作)を手がけた。この番組で放送した横山やすし・西川きよし、B&B、星セント・ルイスの「激突!漫才新幹線」の漫才企画がヒット。刺激を受けたフジテレビが「THE MANZAI」をスタートさせ、80年代初頭の漫才ブームにつながった。”

まさに時代をつくったお一人です。

ぼくは、76年生まれです。
幼心に漫才プームがあり、さらにお笑い芸人によるバラエティ番組をみて育ったような世代です。

それゆえに大道芸・ジャグリングをはじめて、
自分が活動する世界と「お笑い」は、別のものだとずっと感じていました。

一方で、「花王名人劇場」などは、VHSとして映像化されたものをみたりして勉強させてもらってもいました。
しかし、ぼくがジャグリングに取り組んだ時に、テレビ番組でそういったものを見ることは、極めてまれなような印象で、どちらかと言えば、芸というよりもバラエティとして消費されることが多いような気がしていました。
そして、そのように演芸がテレビなどのメディアにて真っ直ぐに楽しんでもらえる状況に憧れもしたのです。
(余談ですが、そういう思いが、後に自分で舞台公演を企画した背景にあるのかもしれないな、と書いていて思いました。)

講演を聞いて

2020年2月の澤田先生の講演。タイトル「澤田隆治サーカスを語る」。

お話を聞いていて、澤田先生のサーカスへの愛情を感じました。

今もぼくの中に強く残るのは、
サーカス、そしてその周辺の芸能にも、愛情を持って眼差しを注いでくれていたことの嬉しさ。

澤田先生は吉本興業が主催する「The舶来寄席」のプロデューサーも務めていらっしゃいました。
数々の伝説的なテレビ番組をつくってきた方が、サーカスを大切に紹介してくれている!

長きに渡って、愛情を持ってつないで橋渡しをしてくれているひとがいる。そのひとがサーカスについて楽しそうに語っている。

...テレビだったり、いわゆる「お笑い」の世界と断絶めいたものを感じていたぼくには、とても励まされる時間でした。

お笑いであれ、サーカスであり、芸能としてきちんと地続きのものであるのだ。
歴史を見れば、もともとつながっているものであったのは確かなのですが、そのことを実感として感じられていなかったぼくに、
演芸、芸能というくくりで、自分で面白いものと思うものを分け隔てなくものをつくってきてくれたひとがいる。そのひとが目の前にいる。

深く心に残る時間でした。

芸人への愛情

澤田先生が注ぐ演芸やサーカスへの愛情を感じる一冊が、2020年6月に出版されています。

愛情というよりも、もはや執念の一冊と言っても過言ではないかもしれません。

一世を風靡しながら直接的な記録が残っていない芸人「永田キング」の物語。
訃報に接して、改めて見返して、
澤田先生が人生を通して追い求めていたものを感じたように思いました。


もっとお話を聞いてみたかった。
たくさんの素敵な時間、そして、文化をありがとうございました。
澤田先生のご冥福をお祈りします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?